広島電鉄に「快速」が新登場 路面電車の「急行」運転の歴史を見てみよう

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広島電鉄 駅前大橋線開業によるダイヤ改正 快速が運転開始

広島電鉄は2025年7月8日、宮島線を含む市内線のダイヤ改正を8月3日に実施することを発表しました。

これは、広島駅ビルの改築に合わせてかねてから建設が進められていた、通称「駅前大橋ルート」の開通によるもので、従来広島駅へ東から回り込んでいた路線を廃止し、駅前通りに軌道と高架橋を建設することで直線的に広島駅ビルに乗り入れるようになります。

駅ビルでは2階に停留所が設置され、JRとの乗り換えもスムーズになるほか、広島駅を発着する各系統とも4分程度所要時間が短縮されます。

また、路線の付け替えにあわせて猿猴橋町の停留所は廃止となり、的場町、皆実町一丁目は新たな軌道が設置される2026年春ごろまで休止となります。

この改正では、ルート変更のほか宮島線や市内線の増便、車両の大型化について発表されていますが、さらに1号系統(広島駅ー広島港)において、朝ラッシュに路面電車としては珍しい「快速」が新たに設定されます。

運行本数は広島駅から紙屋町方面へ向かう7時台の2本で、広島駅ー紙屋町東の間にある5停留所のうち、3つを通過します。今回の設定は実証実験という扱いで、改正日となる2025年8月3日から12月31日までの平日ダイヤ実施日の運行となります。

広島電鉄によると、これにより約1分程度の所要時間短縮が見込まれるということです。

路面電車の通過運転 現在はどれだけあるの?

路面電車で通過運転とは現在はあまり聞きませんが、それもそのはず、交通信号や道路状況に大きく左右される路面電車では、たとえ通過運転をしても所要時間短縮の効果に乏しいことは容易に想像できます。

また、路面電車が走るのは市街地であることが多く、総じて利用客も多いことから、通過運転のメリットは限りなく小さなものとなります。

2025年現在、路面区間で通過運転を行う例としては、宇都宮ライトレールで平日ダイヤの朝ラッシュに6停留所を通過する片道2本の快速が設定されています。宇都宮ライトレールは総延長が14㎞あり、所要時間が40分を超えるため、構想段階から速達列車の設定が考慮に入っており、途中2か所の停留所で退避が可能な構造となっています。とはいっても、当面は緩急接続は行わず、所要時間も各駅停車便と比べて2~3分の短縮にとどまっています。

また、福井鉄道でも列車種別としては「急行」が存在しますが、通過運転を行うのは鉄道線区間だけで、路面区間ではすべての駅に停車します。

路面電車の通過運転 過去の例を見てみよう

さて、前章で「現在は」とお断りした通り、過去には路面電車で急行運転が行われていた例もあちこちで見つけることができます。

路面電車といっても、かつては比較的長距離の都市間路線としての性格を持った路線も存在し、そうした路線では急行ないしは通過列車が設定されている例がありました。

例えば、高知県を走るとさでん交通の東側は、現在後免町停留所が終点となっていますが、かつては鉄道線である安芸線が接続し、1日数本ながら高知市内との間で急行(のちに準急)が設定されていました。軌道線である後免線内でも、郊外部ではほとんどの停留所を通過していたようですが、そもそも列車本数の少ない区間のため、緩急接続や追い越しはなかったと想像できます。なお、安芸線は1974年(昭和49年)に廃止となっています。

また、岐阜駅前を起点としていたいわゆる名鉄岐阜市内線とそれに接続する揖斐線でも、急行が設定されていました。こちらは末期には日中の毎時4本のうち約半数が急行で、揖斐線内で2駅を通過するのみとなっていましたが、かつては市内中心部でも通過停留所がありました。2005年に岐阜市内線、揖斐線とも廃止となっています。

名鉄揖斐線 モ510
新岐阜駅前(現在の名鉄岐阜駅)に停車中の、揖斐線黒野行き電車 急行円板がある通り、最晩年の揖斐線はデータイム毎時4本のうち、2本が急行で、2停留所を通過した この区間は今も昔も道幅が狭く、駅前停留所といえど安全地帯は設置されていなかった Wikipedia(名鉄岐阜市内線)より @Jr223

この他、京都と大津を結ぶ京阪京津線は、京都市内に路面区間があり、自動車の増加で定時運転が困難となってきたことから、滋賀県内でのダイヤ乱れを最小限に抑えるため、路面区間の停留所はすべて通過する準急が設定され、早朝深夜を除き京都市内と大津市内を結ぶ準急と、京都市内完結の各駅停車に分かれていました。なお、古くは途中の山科駅に退避設備があり、全線速達の急行が運転されていた時代もありました。現在は地下鉄東西線に乗り入れる運行形態となり、全列車各駅停車となっています。

京阪600
路面区間を行く京阪600系による準急三条行き 京阪京津線は、使用車両と列車種別がほぼ分かれており、路面区間をすべて通過する準急用の600系は低床式ホームでの客扱いは想定されていなかった この区間も道幅が狭く、右折車両に行く手を阻まれることもしばしばだった Wikipedia(京阪600形電車_(3代))より @Gohachiyasu1214

過去には大々的にあった 路面電車の「急行」 「特急」の例も

どちらかというとレアケースな路面電車の通過運転ですが、遡れば大々的に行われていた時代もありました。

これは、おもに1940年(昭和15年)前後から大都市において実施されたもので、戦争の長期化により国内の電力事情がひっ迫。このため、加速・減速を最小限に抑え、使用電力を減らしつつ、工場勤務者の急増に合わせた輸送力増強を行うための措置として、路面電車の急行運転が行われるようになりました。

実施されたのは名古屋市、京都市、大阪市、神戸市などの大都市で、東京都電は不要不急路線の整理が行われたせいか、この処置は行われなかったようです。

当初は朝夕ラッシュ時の実施が中心で、1940年2月から名古屋市・大阪市でスタート。実施都市や時間は順次増えてゆき、1943年(昭和18年)頃には、大阪市や京都市では終日急行運転となり、急行通過停留所は実質休止扱いとなりました。また、名古屋市ではさらに停車停留所を減らした「特急」も誕生しました。

名古屋市電 特急
「特急」の円板を掲げた戦時中の名古屋市電 市内約200の停留所のうち、急行は120、特急は80ほどの停留所に停車した 戦時中は、郊外鉄道や省線(のちの国鉄)では優等列車の廃止がすすめられたが、路面電車は運行効率化のため停車停留所の削減が進められた Wikipedia(名古屋市電)より @(撮影)荒井友光 – 徳田耕一 『名古屋市電が走った街 今昔』 JTB、1999年、ISBN 978-4-533-03340-7、p.150, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=50464937による

これらの処置は、戦争という非常事態に基づくもので、利用実態や採算性に合致したものではありませんでした。1945年(昭和20年)の終戦とともに、やがて通常運転に戻っていったようです。

戦後に大々的に実施された例としては、京都市電が挙げられます。

1960年代には、高度経済成長によって職場と住居が離れることが一般的となり、これに伴って通勤・通学需要が急増し、朝夕ラッシュの混雑は全国的に問題となっていました。京都市でも輸送力の増強は進められていましたが、朝夕ラッシュの混雑に比べて日中の需要の伸びは少なく、また物価の値上がりで経費は増加し、朝夕の混雑緩和とコスト削減の両方が求められるようになりました。

そこで1962年(昭和37年)3月より、朝7時から9時まではすべての電車を急行とし、市内177か所の停留所のうち68か所を通過とすることで、所要時間の短縮と輸送力の増強が図られることとなりました。各電車は、あらかじめ決められた区間ではなく、7時を回ると運転席窓下に「急」の看板を掲げ、9時を回ると看板を回収して普通運転を行いました。なお、日曜・祝日は実施されませんでした(当時は土曜日は平日扱い)。

運行開始当初は平均速度が1割ほど向上する効果があったようですが、のちに自動車の増加とそれに伴う交通信号の増加により速達効果は徐々に低下、乗客が多く乗降に時間がかかる分、日中より所要時間が多くかかるケースも多かったようです。それでも、この急行運転は1978年(昭和53年)の全廃まで実施されました。

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