違反じゃなかったの? 路面電車への速度計設置義務化を見送りへ 過去には「悪用」も

社会
スポンサーリンク

アマゾン タイムセール

人気の商品が毎日登場。

タイムセール実施中

スポンサーリンク

アマゾン タイムセール

人気の商品が毎日登場。

タイムセール実施中

路面電車への速度計設置 義務化見送りへ 熊本市電の事故を受け

国土交通省は、一部の機関から指摘のあった路面電車への速度計設置について、今回も見送りとする方針であることを明らかにしました。

これは、2025年4月11日に行われた中野国土交通大臣の記者会見の中で述べられたもので、説明によれば「運転免許試験で速度を認識する技能を確認しているため、見送った」としています。

路面電車への速度計設置については、3月25日に発生した熊本市電の追突事故のおいて、事故原因が内規で定められた速度を超過していたとみられるにもかかわらず、速度計が設置されていなかったとして、熊本市が今後速度計の設置を検討することを公表しています。

路面電車の速度計 設置義務はないの?

この記事をみて、路面電車には速度計がないの? と思った方も多いと思います。

実は、法律上路面電車への速度計の設置は義務ではありません。

これは、大臣の説明の通り、鉄道の運転士となるための試験項目のひとつに「速度観測」と呼ばれる項目があり、速度計を隠した状態でも走行速度を把握できないと試験に合格することができないので、運転士は速度計がなくても問題ない、というものです。

豊橋鉄道モ3500形の運転台
豊橋鉄道モ3500形の運転台 この電車は元東京都電7000形として製造されたもので、豊橋鉄道には1992年以降4両が移籍している 写真の通り、運転台には速度計がない Wikipedia(豊橋鉄道モ3500形電車)より @Rs1421 

また、路面電車には通常の鉄道とは違い「軌道法」という法律が適用され、運行に際しても鉄道に適用されるものとは別に「軌道運輸規定」「軌道運輸規則」が定められています。

鉄道事業法とそれに付属する規定類は、1987年(昭和62年)の国鉄解体とJR発足に伴って全面改訂されたのに対し、軌道法は1924年(大正13年)に施行されたもので、細かな点では改正が行われているものの、基本的には法律制定当時の世相や情勢を反映したものとなっています(戦後に制定された軌道運輸規則を含め、文語体で書かれています)。

軌道法の制定当時はそもそも電車の性能もそれほどではなく、また自動車を含めてその他の交通も極めて少なかったことから、路面電車への速度計設置は重要とはみなされず、設置しなくてもよいことになったようです。その後法律の改正が行われていないため、路面電車への速度計設置は、義務とはされないまま現在に至っています。

過去には、2000年代初めに土佐電気鉄道(現とさでん交通)で相次いだ事故を受け、総務省四国行政評価支局が国土交通省四国運輸局に対し、2008年4月9日付で「速度計による速度把握が安全運行に不可欠」として路面電車への速度計設置を求める意見を付していたことが4月11日になってわかりましたが、この時も特に指導や変更はなかったようです。

もちろん、設置の義務がないだけで設置してはいけないわけではなく、東京都交通局や札幌市交通局など、設置率が100%となっている事業者もある反面、事故のあった熊本市電では設置率が42%、長崎電気軌道では15%程度となっています。こうした状況を受け、専門家からは「速度制御を人間の感覚に任せるのは、安全管理上、適切ではない」として早急な設置を望む声がある一方、事業者からは路面電車は他の交通の動きなど確認しないといけない場面も多く、速度計はかえって視線を固定してしまう恐れがあるとして、導入に慎重な意見もあるようです。

過去にはあった 速度計未設置を「悪用」事例

さて、路面電車に速度計の設置義務がないことがわかりましたが、これを悪用(?)していたとして有名のが、現在の阪神電鉄です。

阪神電鉄は、大阪・出入橋ー神戸・三宮に都市間鉄道(インターアバン)の先駆けとして1905年(明治38年)に開業しました。すでに阪神間には官営鉄道(現在のJR神戸線)が存在していたため、競争となることを嫌った逓信省(後に鉄道省や運輸省を経て現在の国土交通省)は鉄道としての建設を認めませんでした。このため阪神電鉄は路面電車を監督するのが内務省(のちの建設省で、現在は国土交通省)であったことに目をつけ、阪神本線の建設は軌道法に準拠した路面電車という体裁となっていました。

ただし、あくまで体裁面というだけの話で、実際に路面区間があったの神戸市内のごく一部に留まり、しかも1933年(昭和8年)の神戸市内地下により併用軌道区間は消滅、1913年(大正2年)からは連結運転を行うなど、路面電車とは一線を画した運行形態となっていました。

開業時の所要時間は90分で、速度では官営鉄道の50分には及びませんでしたが、1時間に1本程度で途中3駅しかない官営鉄道に対し、阪神電鉄は12分間隔で途中駅32駅という利便性で、官営鉄道の利用客の多くを奪うことに成功しました。

これで不思議だったのは、路面電車として最高速度8マイル(約12.9㎞/h)として特許を得ていた(鉄道でいうところの認可)はずだったのに、阪神間30.6㎞(当初)が90分(平均速度約20㎞/h)で結ばれるという謎のダイヤが組まれていたことでした。つまり、端から速度条件を守るつもりはなかったということになり、これは「速度計の設置が義務ではない」ということを悪用した結果でした。

阪神電鉄によれば、「当社に対しては、『其筋』からときどき速度違反の注意があった」ということですが、「法定の速力制限は実質的意味を持たず、乗客の要望に応えるために、できるだけ早い運行を心掛けていたのである」と社史に記載されているということです。

阪神1形
阪神本線開業時に投入された1形車両 体裁上は路面電車だったが、単車が当たり前だった時代にボギー車となり、車体も大型の13m級となった 車内設備も高水準で、端から高速運転を目指していたことは明らかだった 監督官庁の内務省からは幾度となく注意を受けたが、罰則はなく速度計未設置をいいことに開業翌月には所要時間を72分まで短縮、1910年には63分となっていた Wikipedia(阪神1形電車)より 

なお、こうした速度違反は阪神電鉄に限った例ではなく、例えば南海電鉄の前身の一つである阪和電気鉄道では、やはり速度計がないことを利用して認可速度95㎞/hに対し120㎞/h程度の運転が常態化していたことや、阪急京都線の前身である新京阪鉄道でも、規定通りの速度では達成不可能なダイヤが組まれていて、特に戦前の関西では当たり前のように行われていた、とも言われています。

コンプライアンスの厳しくなった現在ならたちまち炎上しそうな話ですが、まだまだ鉄道や法令も存在するようになってまだ間がない時代、なんとものんびりした雰囲気のお話です。

タイトルとURLをコピーしました