ドイツで新幹線往来妨害か 日本でも終戦直後頻発した列車破壊工作

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高速鉄道の運行妨害で逮捕者 -ドイツ

フランクフルトとケルンを結ぶドイツの高速鉄道で、線路のボルトを抜いて列車の運転を妨害したとして3月20日、男を逮捕したと現地の警察が発表しました。報道によると、実際に80mに渡って橋梁上のボルトが緩められ、最大で5cmの線路の浮き上がりを発生させたもので、この区間を通過した運転士が異常を感じたため発覚しました。最悪の場合列車が脱線転覆し、橋梁から転落する可能性もありましたが、異常が確認される前に通過した数本の列車を含めて事故やけが人はありませんでした。

警察やドイツ鉄道は破壊工作との見方をしていますが、その背景などについてはまだ日本では報道がありません。

1950年前後、日本でも列車往来妨害が多発した

線路のボルトを緩めて列車の運転を妨害する行為がどのような惨事を招くかは、容易に想像ができます。メンテナンスのミスで事故につながったこともありますが、実は日本でも妨害工作として死傷者を出したこともあります。特に、1948年(昭和23年)~1950年(昭和25年)は、同じような手口で列車の脱線転覆を狙った事件が4件立て続けに発生しました。このうち1つは後年「国鉄三大ミステリー」として有名になる松川事件で、残る3つも含めて4件全てが未解決事件となりました。

まず最初の事件は、1948年(昭和23年)4月27日、奥羽本線の庭坂-赤岩(福島県)を走行中の青森発上野行列車が脱線、機関車とそれに続く郵便車2両が10m転落し乗務員など3名が死亡しました。

調査の結果、現場付近では線路を止める犬釘4本、線路継ぎ目板2枚とボルト4本が抜き取られていることがわかりました。しかし、何者かが持ち去ったのか、あるいは保線のミスなのかは判明しませんでした。

こうしてこの事故は未解決事件となりましたが、後に発生する列車運行妨害と非常に手口が似ていることから、何らかの関与があることも推測されます。

それから約1年後の1949年(昭和24年)5月9日、予讃線浅海駅付近(愛媛県)で、高松発宇和島行列車が脱線、切通し区間であったため転覆して壁面に衝突しながら暴走し、機関助手と機関助手見習いの計3名が死亡、機関士と乗客の計4名の負傷者を出す事故となりました。この事故でも、犬釘7本、ボルト8本、継ぎ目板4枚が外され、線路が75mmずれていたことが判明、先の庭坂事故が故意であるなら、手口は同じものでした。

現場では国鉄のものでは無い工具が発見されたり、アメリカ軍らしき軍靴の跡があるなど不審な情報が飛び交うだけで、有力な手がかりはないまま時効を迎え、未解決事件となりました。

国鉄三大ミステリーの一つ 松川事件

松川事件で転覆した列車
Wikipediaより

さらに3ヶ月後の1949年(昭和24年)8月17日、東北本線の松川―金谷川(現在の福島市)で、青森発上野行列車のうち、先頭の機関車が脱線転覆、それに続く荷物車、郵便車、客車2両が脱線し、機関士ら3名が死亡、8名が負傷しました。現場では、線路継ぎ目のボルトが緩められて線路継ぎ目板が外れていた他、犬釘も多数抜かれいてるのが発見されました。これにより、長さ25m、重さ925㎏のレールが外れた状態になっていました。

事件後、捜査当局は国鉄の人員整理に対する実力行使を行ったものとして調査を行い、別件で逮捕された元国鉄職員の自白を基に国鉄関係者など合計20名が逮捕、起訴されました。1950年(昭和25年)には第一審で5名の死刑を含む全員が有罪となりましたが、その後の裁判の過程で次第に捜査方法に誤りがあったことが発覚し、1963年(昭和38年)、最高裁で全員無罪が確定しました。

これが世にいう「松川事件」で、今なお真相は明らかになっていません。また、松川事件は、同じ1949年(昭和24年)の7月~8月に発生した同じく未解決事件の「下山事件」(当時の下山国鉄総裁が行方不明となり、翌日汽車に轢かれた状態で発見されたもの。自殺とも他殺とも判明しないまま捜査打ち切り)「三鷹事件」(三鷹駅で無人の電車が暴走し死傷者を出したもの。容疑者は死刑判決を受けたものの不審な点も多いまま獄中死)と合わせ「国鉄三大ミステリー事件」と言われています。

少し時代は下った1951年(昭和26年)5月17日、根室本線の狩勝峠で、釧路発函館行急行『まりも』が脱線しました。上り勾配で速度が出ていなかったおかげで、先頭のC57が脱線、宙づりとなりましたが、機関士1人が軽傷を負うにとどまりました。

この事故でも、レールの継ぎ目板が外され、レールが4㎝ずらされていたことがその後の調査で判明しました。手口が2年前の松川事件と酷似していたことから、犯行は国鉄の人員整理に反対する労働組合関係者であると見た捜査当局は(この時点では、松川事件の裁判は第一審の判決しか出ておらず、全員が有罪と見られていました)、これらを中心に捜査を行いましたが、物証や目撃証言もなく捜査は難航、やがて未解決事件となりました。

1950年頃の時代背景 国鉄は混乱の中スタート、共産党勢力の台頭

1949年(昭和24年)6月1日、それまで政府の直轄であった国営鉄道は、独立採算性を基本とする公営企業「日本国有鉄道」として再出発となります。敗戦にともなう海外引き揚げ者や復員兵などを大量に雇い入れたため、現在のJR合計の3倍以上となる60万人もの職員を抱えてのスタートでした。終戦直後のハイパーインフレーションの影響で経営状態は非常に悪く、国鉄は直ちに10万人の人員整理にとりかかります。

当然これは労働者や労働組合の強い反発にあうことになります。これに加え、中国では毛沢東率いる中国共産党が蒋介石を台湾に追いやって、アジアにも共産主義国家が誕生。この勢いは日本にも及び、日本国内にも共産主義者が台頭し、自民党政権や、GHQ(当時の日本はまだ占領下にありました)と対立します。現に1949年(昭和24年)の衆議院選挙では、共産党の議席が4議席から35議席へと急増しました。当時の国鉄の混乱に付け込んで政権の転覆を図ろうという勢力もあり、実際事件のいくつかは共産党勢力がかかわったのではないか、とも言われています。一方で、GHQは日本の共産化を何としても防がなくてはなりませんでした。そこで、社会的に大きな事件を起こし、共産党勢力の仕業に見せかけるというアメリカによる陰謀説も、今なおくすぶり続けています。

いずれにしても一番の犠牲になったのは、現場で働く職員と、無関係な利用者でした。

列車の往来妨害、どんな罪になる?

鉄道の運行を妨害した場合、どのような罪になるのでしょうか?

これによって列車の遅れや運休が生じた場合、また車両や施設の損傷が発生した場合は、当然その損害を賠償する責任が生じます。ですが、これは民事上の金銭の話で、これとは別に法律によって刑事罰が定められています。

日本の刑法では、列車の往来を妨害する罪として規定され、以下のようになっています(分かりやすく書いていますので、詳しい方から見れば違う点があるかもしれませんが悪しからず)。

  1. 往来危険罪
    • 鉄道の施設を破壊し、列車の往来に危険を生じさせる行為
  2. 汽車転覆等罪
    • 人の乗る列車を転覆させる、または破壊する行為
  3. 往来危険汽車転覆等罪
    • 往来危険罪を犯したことにより、列車を転覆させるまたは破壊する結果を生じさせたもの
  4. 過失往来危険罪
    • 過失(=わざとではなく)によって発生した上記の行為

この罪は意外と大きく、1の場合でも2年以上の懲役(線路への置石もこれに含まれます)、2・3の場合は仮に死者が出た場合は死刑または無期懲役となります。

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