乗客が非常用ドアコックを開け車外に 使用基準はあるの? かつてはわかりやすさが惨事に

社会
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ダイヤ乱れの京浜東北線で乗客がドアを開く けが人なし

7月31日朝、人身事故の影響で蒲田駅付近に停車していた京浜東北線で、非常用ドアコックを使用して男性が扉を開け、線路に飛び降りる事件がありました。男性に怪我などはありませんでした。

一連の騒動はTwitterでも話題となり、「自己中心的」「危険極まりない」という意見もある一方、一部では男性の体調などを心配する声もあがっています。

各種情報を整理すると、座っていたこの男性は電車が停車して間もなく立ち上がり、非常用ドアコックを使って扉を開け、付近にいた乗客の制止を振り切って車外に出たということです。また乗客が非常通報装置で乗務員に連絡、蒲田駅ホームで確保されたということです。

非常用ドアコックの使用基準は?

今回の事件を受け、JR東日本は「非常用ドアコックの使用に基準はないが、車外に出ることは危険なため、まずは乗務員に連絡してほしい」とし、男性が扉を開けた理由について、JR東日本は「わからない」とだけ答え、悪質性はないものと判断しているようです。ただ、男性が線路に降りる際「もう無理」などと発言してたことから、ネットなどではトイレだったのかも…と、男性に同情する声も寄せられています。

ただ理由はどうあれ、営業中の線路に降りるということは危険な行為であることは間違いありません。

電車の床面は想像しているより高く、飛び降りた際に怪我をするかもしれません。あるいは、たまたま鉄橋の上に停車している可能性もあります。また、その電車が止まっていても、周囲の電車が止まっているとは限りません。むろん一刻を争う場合に遭遇する可能性のゼロではありませんから、JR東日本も「急病や、命にかかわるほどの非常事態が車内で発生した場合などはその限りではありません」としながら、何らかの非常事態が発生したとしても、まずは「乗務員の指示に従ってほしい」とコメントしています。

設置は法律で義務付け わかりやすく表示する必要も

非常用ドアコックをみだりに扱うことは、鉄道営業法又はこれに準ずる法律で罰せられる可能性があります。

また、悪質な場合は威力営業妨害として逮捕される可能性もあります。

2019年11月、走行中の山陽新幹線でドアコックを操作しようとして新幹線の運転を妨害したとして、59歳の男性が威力営業妨害で逮捕されました。また、同じ月の京浜東北線で、事故で電車が遅れたことに腹を立て非常用ドアコックを操作して電車の運転を妨害した25歳の男性が同様に威力営業妨害として逮捕されました。男性は現場から立ち去っていましたが、防犯カメラやIC乗車券の記録から特定され逮捕に至りました。つまり、逃げても悪質な場合はきちんとした捜査が行われる可能性があるということです。

非常用ドアコックとは、空気や機械の力で閉まっている扉の力を解除し、手動で自動扉を開け閉めできるようにする装置です。車内、車外どちらからも操作できるようにする必要があり、法律によって設置が義務付けられていま。また、設置場所は分かりやすく必ず表示しなければなりません(車内側は赤や黄色など目立つ色がついていることが多く、車外側は▲で示されています)。

ドアコックの位置を示す三角印 東急電鉄の例
Wikipediaより

分かりにくくても、分かりやすすぎても····· かつて大きな事故に

このように、非常用ドアコックが乗客が簡単に操作できるように設置されているのには理由があります。1951年(昭和26年)4月26日、工事ミスにより電線と接触した京浜東北線電車で火災が発生、停電で扉の開閉が不可能になりました。しかし、非常用ドアコックの設置場所は乗務員すら知らず、多くの人が燃える車内に取り残され、死者106名、負傷者92名を出す大惨事となりました。これがいわゆる「桜木町事故」です。この事故をきっかけに非常用ドアコックの設置とその設置場所の表示が義務化されることになりました。

非常用ドアコックの設置のきっかけとなった桜木町事故 高架線上で激しく燃える63形電車 事故原因は垂れ下がった通電中の電線が車体に触れたことによるショートだったが、戦後すぐの資材のない時代の製造で安全性などはまったく考えられておらず、ブレーカーの装備もなく塗装は可燃性のペンキだった 窓ガラスが不足し、さらに混乱の中窓から出入りする乗客を防ぐため、あえて窓は小さく作られており、また貫通扉は手前に引く構造で殺到した乗客で開けることができなかった こうした粗悪な作りと防災体制の不備が重なり、100名以上の死者が発生した
Wikipediaより

しかし、後年これが悲劇を呼ぶことになります。

1962年(昭和37年)5月3日夜、常磐線三河島駅付近で側線から飛び出した貨物列車と本線上の旅客列車の衝突事故が発生しました。乗客らはわかりやすく表示された非常用ドアコックを使って扉を開け、車外へ避難していました。

しかし、当時の連絡体制の限界から対向列車に事故の情報を伝えることが出来ませんでした。対向列車は事故現場に差し掛かったところで線路上の乗客を見つけ急ブレーキをかけたものの間に合わず、多数の乗客を巻き込みながら脱線して現場をふさいでいた電車に衝突しました。この事故では合計160名もの犠牲者が発生、先の桜木町事故とともに国鉄戦後5大事故のうち「三河島事故」として世に知られるようになりました。

この事故をきっかけに、全国の国鉄線でATS(自動列車停止装置)が整えられました。また、事故現場の安全が確保できるよう、軌道短絡器(左右の線路を繋ぎ列車がそこにいると信号に思わせることで、現場区間を赤信号に変える)、発煙筒、信号煙管などの装備が整えられ、後の列車防護無線の開発につながりました。

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