日本最後の立山トロリーバスが電気化 日本から全廃へ
立山黒部アルペンルートを運営する立山黒部貫光株式会社は2023年5月31日、立山トンネルで運行してるトロリーバスを、2025年度以降に電気バスへと置き換える方針であることを発表しました。
立山トンネルは、標高3,000mの立山直下を横切る全長約3.5㎞のトンネルで、1971年に完成。同年より営業運転が始まり、長野県大町と富山県宇奈月を結ぶ立山黒部アルペンルートが開業しました。当時はディーゼルエンジンによる通常のバスで運行されていましたが、全線がトンネル内という特殊な環境下で、観光客の増加により排気ガスがトンネル内に滞留する問題が発生。換気を行っても改善しなかったことから、1996年に排気ガスが出ないトロリーバスへと転換されました。国内のトロリーバスとしては実に32年ぶりの新設で、この時点では同じくトロリーバスで運行されていた立山黒部アルペンルート内の関電トンネルと並び、最も新しくかつ日本で2つしかないトロリーバスのうちの1つとなっていました。
しかし、運行開始から30年近くが経過し現行車両の老朽化が進行。さらに関電トンネルが電気バス化されたため国内唯一のトロリーバスとなり、修理部品の確保も難しくなってきたことから、更新に合わせて電気バス化する方針が発表されたものです。
これにより、国内からはトロリーバスがすべて姿を消すこととなるほか、「日本一標高の高い駅」とされている室堂駅も、停留所化されるためその地位を明け渡すこととなります。
実は電車のトロリーバス 正しくは無軌条電車 その仕組みと歴史
鉄道ブログになぜトロリーバスの話題か、と訝しむ読者もおられるでしょうが、トロリーバスは法律では「無軌条電車」と呼ばれ、鉄道の一種とされています。
運転するには通常のバスの運転に必要な大型二種免許のほか、動力車操縦者運転免許(簡単に言えば電車の運転免許)が必要となります。
このため、トロリーバスの停留所は鉄道駅と見なすこともでき、立山トロリーバスの起点でもある室堂駅は標高2,450mで、日本一標高の高い駅となっています(「鉄道駅標高よもやま話 最も標高の高い駅、標高の低い駅はどこ?」もよろしければご覧ください)。
トロリーバスは、電車と同様に上空に張られた架空線からトロリーポールで集電し、その電力でモーターを回して走行します。このトロリーがトロリーバスと呼ばれる所以で、英語でもそのままtrolleybusと表記されます。線路を走る鉄道はマイナス電流を線路に返すため、架空線は通常1本で済みますが、トロリーバスはマイナス電流も架空線に戻す必要があるため、架空線とトロリーが2組必要となります。
なお、法律上無軌条電車とされる要件はトロリーがあるかないか、という点で区別されており、同じように電力で走行する電気自動車は、トロリーがないため通常の自動車となります。
日本におけるトロリーバスは、すでに明治時代から試作されていましたが、初めて営業運転を行ったのは1928年の現在の兵庫県宝塚市と川西市を結ぶ1.3kmの路線と言われています。しかし、業績不振から1932年には廃止されてしまいました。
本格的な都市交通としては、1932年の京都市で開業した路線が初めてでした。本来であれば東から伸びてきた市電の線路が延長されるはずでしたが、この区間には山陰線の踏切があり平面交差の許可が下りなかったこと、かといって他の通りのようにアンダーパスしようにも、この前年に京阪電鉄の新京阪線(現在の阪急京都線)が地下開業しており、それも不可能であったためにトロリーバスが選ばれました。
しばらく後に続く都市はありませんでしたが、1943年に名古屋市で、1950年代には東京都、川崎市、横浜市、大阪市で新規路線が開業しました。大都市ではすでに路面電車の路線網がほぼ完成していたため、各都市とも小規模な路線にとどまっています。
バスや路面電車ではなくトロリーバスとなった理由は?
この時期にトロリーバスの開業が相次いでいたのは、当時はバス(というより自動車そのもの)の性能に対する信頼が低かったこと、そして路面電車の1/3というコストの低さでした。一方で路面電車の技術はすでに一定水準に達していたことから、この技術が応用できるトロリーバスは、路面電車ほどコストはかからないが、バスよりは信頼できる新たな都市交通として期待されていました。
しかし、開業後しばらくすると、デメリットが次第に目立ち始めるようになります。
自動車の急増により走行環境は急激に悪化、軌道が不要とは言え、架線から大きく逸脱することはできず、しばしば交通渋滞で運行が不安定となりました。さらにディーゼルエンジンの改良でバスの信頼性が大きく改善、車体も大型化し、延長に際して架線も不要なバスのほうが、はるかに経済的な存在になりました。
このため、1960年代以降はトロリーバスを廃止して通常のバスに置き換えられることとなり、1972年の横浜市を最後に都市交通としては姿を消すこととなりました。
その後、立山トロリーバスの運行開始まで国内唯一のトロリーバスとして、1964年に開業した関電トロリーが存在していましたが、こちらも車両の更新に合わせ2019年より電気バスの運行となっていました。
海外では・・ 近代化されたトロリーバスも 低床化・架線レス車両も
日本では姿を消すこととなるトロリーバスですが、海外では数多くの姿を見ることができます。
特にロシアを中心とした旧共産圏では、石油の節約のため積極的にトロリーバスの導入が進められました。ロシアの首都モスクワでは、かつてトロリーバスの営業距離が1,300㎞を超え、世界最大のトロリーバス路線網を誇っていましたが、通常のバスに置き換える形で観光路線を除いて2021年までに廃止となっています。
それでも、現在でも東欧諸国の都市でトロリーバスの姿を多く見かけるのは、こうした経緯によるものです。
また、西側諸国の間でも、スイスのジュネーブやカナダなど、雪解け水のおかげで安価で大量の電力を得られる場所を中心に、トロリーバス網が発達している都市があります。こうした都市では、路面電車やバス同様に超低床式車両が導入されており、近代化が進んでいます。
この他、近年では環境意識の高まりにより、一度は廃止されたトロリーバスを復活させたり、路線を拡大したりする例も相次いでいます。
この際、景観的に架線を張ることができない場所や、新たに設置するコストを抑えるため、バッテリーや補助エンジンを搭載した車両も数多く存在します。トロリーバスの欠点であった「架線がないと走れない」はすでに過去の話となり、架線のない区間を走る姿を見ることができます。