故障で長期離脱中のC57‐1号機の現状は? 修理はどうなっているの?

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貴婦人C57‐1号機 『SLやまぐち号』牽引中に故障で長期運用離脱

2020年10月10日、『SLやまぐち号』の牽引機として津和野駅から新山口駅に向かっていたC57-1号機は、津和野駅発車直後に不具合が生じて立往生、運行不能となりました。乗客は代行バスで新山口駅へ向かい、C57‐1号機を含む列車は救援のDD51‐1143号機に牽引されて新山口駅に戻り、10月20日には所属区である梅小路機関区へと回送されました。

調査の結果、シリンダーの気密を保つ部品が破損したため、圧力を保つことができなくなったことがわかり、修理が必要な状況となっていました(「『やまぐち号』をディーゼル機関車牽引で運転 最後の晴れ舞台となるか DD51を解説」もよろしければご覧ください)。

2021年シーズンは、D51-200号機も修理で運用離脱となったため、DD51牽引による代走で『DLやまぐち号』として運行を開始。当初、C57‐1号機は2021年9月にも復帰できる見込みも示されていましたが、10月23日にD51‐200号機が復帰したところで、2021年の運行は終了となりました。

C57-1号機が牽引する『SLやまぐち号』 SL復活運行の嚆矢であり、1979年の運行開始から40年以上が経過した 客車は、12系オリジナル客車から始まり、12系レトロ客車を経て2017年9月から35系客車となった Wikipediaより

2022年シーズンも、C57-1号機は引き続き運用離脱中であることから、D51‐200号機による牽引でスタートしています。なお、D51‐200号機は2022年5月3日に炭水車に亀裂が発見されたため、少なくとも5月中はDD51による牽引となっています。

C57‐1号機の現状は? 本線復帰はいつになる?

さて、そんなC57-1号機ですが、故障から1年半以上が経過しても本線復帰の便りは聞こえてきません。

それどころか、各種情報によれば、2022年5月1日現在梅小路機関区の扇形機関庫で留置されたままで、修理が行われている気配がないとされています。

コロナ禍でJR西日本の懐具合が厳しく予算が組まれないことや、SLの部品を製造する技術の喪失などが噂されていますが、どうやら2022年5月15日現在、扇形機関庫を離れ、SL検査修繕に特化した梅小路機関区第2検修庫へ搬入されている模様です。

度重なる廃車の危機を乗り越えたC57-1号機

C57形は、C55形蒸気機関車の改良型として1937年(昭和12年)より製造が開始された蒸気機関車です。戦前から戦後にわたって201両が生産され、安定した性能を発揮して現場の信頼度も高かったことから、四国を除く全国で数多くの優等列車の牽引機として使用されました。また、ボイラーが他の蒸気機関車と比べ細い様子が華奢に見えることから、「貴婦人」というニックネームもつけられました。

C57‐1号機は、このトップナンバーとして1937年に製造され、水戸機関区に配置されました。

1945年(昭和20年)には、当時所属していた宇都宮機関区で空襲にあい、機銃掃射を受けてボイラーが破損するという損傷を受けています。この損傷がもととなり、1958年(昭和33年)にはボイラーを新品に乗せ換える修理を受けています。

しかし、この修理から3年後の1961年(昭和36年)2月9日、羽越本線を走行中に土砂崩れに遭遇、土砂に乗り上げてC57‐1号機は脱線転覆、続く客車2両が脱線しました。幸いにも乗務員1人が軽いけがをしただけで済みましたが、C57‐1号機はその後2カ月以上も現場に放置されることとなり、一時は廃車も同然となっていました。その後長野工場(現在の長野総合車両センター)で修理され9月に運用に復帰しました。

1972年(昭和47年)3月に最後の定期列車を牽引、この年の10月に梅小路蒸気機関車館の開館に伴い梅小路機関区へ転属、車籍を保ったまま2022年を迎えています。

C57‐1号機が本格的なSL復活運転となった『SLやまぐち号』として使用されるのは1979年(昭和54年)8月からで、その間にも様々なイベントに使用されていました。その中でもSL復活運転のテストケースとして1976年(昭和51年)に運転された『京阪100号』では、撮影のため線路に入っていた小学生が列車と接触、死亡する事故が発生しました。これにより、国鉄ではSLの大都市圏での運行に消極的となり、後に山口線が選ばれることとなりました。

C57-1 京阪100年号
1976年9月に運転された『京阪100年号』 京阪間に鉄道が開業して100年となったことから、記念列車として京都―大阪で1往復運行される予定だった SL全廃からまだ日も浅く、SLブームの熱はまだ冷めておらず、テレビでも特別番組が組まれるなど反響は大きく、午後の運行となった復路は群衆も膨れ上がり沿線はパニック状態だった 茨木駅付近で撮影しようと線路に侵入していた小学生と列車が接触、死亡事故となり、C57は高槻駅で運行を終了した Wikipediaより

C57‐1号機の最大の危機は1995年に発生した阪神大震災でした。

この時C57‐1号機は、検査のため神戸市の鷹取工場(2000年に網干へ移転)へ入場しており、動輪が外され、ジャッキでボイラー本体が支えられていました。そこへ発生した地震による激しい揺れでジャッキが倒れ、ボイラー本体が落下、ボイラーの台枠が変形するという損傷を受けました。一時は廃車が危ぶまれる損傷でしたが、近くの兵庫県姫路市に保存されていたC57‐5号機から部品を調達することにより修理を行い、本線復帰を果たしています。

C57‐5号機は、1号機と同じ1937年製造で、製造所も同じ川崎車輌ということもあって部品も共通で、また保存状態も良好であることから、以後も予備部品の調達に使用されています。

2000年代以降は様々な不具合が発生し、その都度修理や改修が行われてきました。2009年の全般検査ではボイラーの大半を新製、2013年の全般検査では台枠やシリンダーなども新製品と交換、さらに2009年の検査では老朽化の著しかった炭水車が新製されるなど、2022年現在は大半が新製部品に置き換わっています。一方で、これらの継ぎ接ぎの新製が、近年頻発する不具合の原因ではないかともいわれており、SL保守技術の難しさが顕著になっています。

C57‐1号機は、2022年現在で製造から85年が経過しています。いかに修理や部品の交換を重ねているとはいえ、はやり老朽化は避けられませんが、貴重な動態保存の蒸気機関車として、一刻も早く運用へ復帰してほしいものです。

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