鉄道で自動車を運ばない理由は? カートレインやピギーバック輸送が日本で復活しない理由

海外
スポンサーリンク

アマゾン タイムセール

人気の商品が毎日登場。

タイムセール実施中

スポンサーリンク

アマゾン タイムセール

人気の商品が毎日登場。

タイムセール実施中

カーフェリーが人気なら、鉄道でも自動車輸送は行えないのか?

世間ではエネルギー問題やドライバー不足などから、このところカーフェリーの存在感が大きくなっているようです。マイカーにしても、長距離を寝ている間に移動でき、高速代や燃料代、宿泊代の節約になるということもあって、人気を集めています。特に船舶の更新時期が重なっているようで、各地には設備を一新した新造船が続々就航、かつては雑魚寝のイメージが強かった船旅も、最近は快適な寝台が中心となりこうしたことが人気を呼んでいる理由の一つのようです。

さて、そうなると思うのが、鉄道で自動車を運んだらどうだろう? という疑問です。フェリーよりは圧倒的に速く、交通渋滞に悩まされる心配もありません。夜行にすれば夜の時間を有効活用でき、寝台車も連結できるわけですから、ドライバーはぐっすり眠りながら、あるいは一杯やりながら(深酒はできませんが)なんとも贅沢な時間を過ごすことができるはずです。

夜行列車自体が風前の灯火となってしまった2023年現在、こうした列車の設定は残念ながら期待はできませんが、日本でも列車に自動車を載せる輸送方法は行われていた時代がありました。かつては、車運車による新車輸送、そして1980年代から90年代にかけてはマイカーと旅客を同時に運ぶ「カートレイン」、トラックをそのまま貨車に積み込むピギーバック輸送が行われていました。

こうした輸送はなぜなくなってしまったのでしょうか。

日本でも存在した マイカーとドライバーを同時に運ぶ「カートレイン」

日本でもかつては存在した「カートレイン」 好調な時期もあった

マイカーを鉄道貨車で運ぶ試みは、国鉄時代の1960年代後半に実施されたことがありました。

自動車工場で生産された自動車を輸送するための車運車ク5000型を用いて、1967年(昭和42年)に新宿ー梅小路(京都)で『オート・エクスプレス』が運転を開始。夜行上下1往復で貨物列車に連結されて運行され、旅客は新幹線で移動しました。当初は相当の需要があったそうですが、次第に高速道路利用に圧倒され1970年(昭和45年)に廃止となりました。

車運車ク5000
鉄道で自動車を運ぶといえば、この車運車ク5000形を思い起こす人も多いはず もともとは自動車工場で完成した自動車を目的地へ届けるため作られた車両で、1966年(昭和41年)から930両が製造された 当時は道路事情も悪く、鉄道輸送は重宝されたが、旅客と違って「直接」文句を言わない貨物列車は労働争議のターゲットとなり、相次ぐ運休、遅延で荷主離れが進んだ 道路整備も進み、1973年(昭和48年)以降は国鉄の自動車輸送は急減、1985年(昭和60年)改正で自動車輸送は消滅した その後復活した例もあるが、ク5000形は1996年に全廃となった Wikipediaより

現在知られる形態としてのカートレインは、1985年(昭和60年)夏の臨時列車として汐留―東小倉で運転を開始しました。

14系や24系の投入で余剰になっていた20系寝台車に、貨物列車の削減でこれまた余剰になっていた有蓋貨車(屋根付き貨車のこと)のワキ10000形を活用、いずれも100㎞/h走行に対応した高速車両であることから、当初は急行列車、後には特急列車としてこの区間を約16時間で結んでいました。設定直後の列車名は単に『カートレイン』を名乗っていましたが、その後他の区間にも設定されるにあたり『カートレイン九州』に変更されています。

発着が汐留駅(後に恵比寿駅、そして浜松町駅へと変更)、東小倉駅と中途半端な理由は、自動車を積み下ろしする施設と場所を備えている必要があるためで、貨物駅を発着するというレアな列車となっていました。

カートレイン北海道
ワキ10000形を連ねて運行される『カートレイン北海道』 青函トンネルは自動車が通行できないため、本来ならば自動車輸送には相当の需要がありそうだが、初期投資費用の問題などからその後は実現していない 北海道新幹線よりよっぽど需要がありそうな気がするのだが Wikipediaより

余剰となっていたク5000形が使用されずに通常の貨車が使用されたのは、車が汚れるのを嫌う日本人の性質に配慮したことや、最高速度が85㎞/hという車両性能からで、パレットに自動車を固定し、フォークリフトで貨車へ積み下ろしする方式が採用されていました。

また、ガソリンは必要最小限とすること、万が一の際は旅客車との隔離が素早く行えるよう、貨車は列車の後方に連結することなど、火災予防に対してはかなり厳しい処置が行われていました。

カートレインが登場した1980年代は、自動車の性能や乗り心地も今ほどではなく、また長距離運転に必ずしも信頼もなかったので、カートレインは非常に人気を集め、「チケットの取りにくい列車」の上位に扱われるほどでした。

好評を受け、1986年(昭和61年)年末から熱田ー東小倉に『カートレイン名古屋』(後に『カートレインユーロ名古屋』)、青函トンネル開業後の1988年夏から恵比寿(後に浜松町)ー白石(北海道)に『カートレイン北海道』が運行を開始。この頃にカートレイン最盛期を迎えました。

カートレイン名古屋
『ユーロライナー』で運行された『カートレイン名古屋』 後に『カートレインユーロ名古屋』となった 客単価を上げるため、旅客車には寝台車が使用される例が多かったが、名古屋系統は『ユーロライナー』によるグリーン車だった  この車両は4人または6人の個室となっており、マイカー単位で乗車するグループにはちょうど良かったのかもしれない 3両目のスハフ12は電源車で、客扱いはしていなかった Wikipediaより

1990年代以降、カートレインブームは下火に その理由とは?

この後、カートレインブームは次第に下火となります。

その理由として、まず挙げられるのが自動車の大型化です。

いわゆる3ナンバーサイズの大型車の普及により、自動車が積載可能なサイズに収まらないケースが増加しました。自動車輸送専門の貨車は、新車輸送の衰退でク5000形以降製造されることはなく、1960年代の自動車の規格で作られていました。また、ワキ10000形も自動車輸送用の貨車ではないため、自動車の大型化には対応できませんでした。

分割民営化による運行側の都合も、衰退の大きな理由でした。

国鉄時代は問題にもなりませんでしたが、分割民営化により会社間をまたぐ長距離列車については、その列車の収入のうち、折り返しの手間として2割ずつが終点の会社のものとなり、残りは通過距離に応じて各社に配分されることになっていました。

ところが、九州側の終点が東小倉駅となっていて、九州内の通過距離が極めて短く、その割に折り返しの負担が大きいとして、JR九州が列車の存続に消極的であったと伝えられています。

このため、『カートレインユーロ名古屋』は1994年のゴールデンウィークを最後に、『カートレイン九州』も同じ1994年の夏を最後に運行取りやめとなりました。

『カートレイン北海道』はその後も運行が続きましたが、それも1997年夏までの運行となり、1997年末から1999年年末にかけては北海道内で完結する、札幌―釧路(当初は新富士)の『カートレイン釧路』が運行されました。

新富士駅は聞いたことがない人も多いと思いますが、釧路貨物駅に隣接する無人駅で、パレットに積載された自動車をフォークリフトで降ろす必要があるため、貨物駅に近い新富士駅が発着駅として選ばれたようです。1998年夏からはこの扱いが改められ、自動車を自走させて積み込む方式へと変更。釧路駅にそのための設備が設置されたことから釧路発着となりました。また、当初は開放式B寝台の他にB個室ソロ、ロビーカーを連結(『北斗星』の予備車両)、電源車を入れて9両程度の編成でしたが、1998年年末にはカーペットカーと指定席の編成に変更となっています。

1999年夏には『カートレインさっぽろ』として運行区間が青森―白石となり、自動車が通行できない青函トンネルの移動を狙った運行区間に変更されましたが、結局定着することはなくこのシーズンの運行が最後となり、1999年末の『カートレイン釧路』をもってカートレインはすべて姿を消すこととなりました。

マイカーだけではなく… トラックごと輸送する「ピギーバック輸送」

マイカー輸送をするカートレインの他、1990年前後には、トラックを貨車に積載して輸送するピギーバック輸送も行われていました。

貨物列車でトラックごと輸送する車両としては、1966年(昭和41年)に試作されたクサ9000形にまで遡ることができます。これはトラックの荷台だけを輸送する方式で、首都圏―関西圏で試用されましたが、積載が煩雑であることから実用化には至りませんでした。さらに1974年(昭和49年)にはトラックをそのまま積載できるよう、小径車輪を採用して車高を下げたクラ9000形が試作されています。こちらは試験結果に問題はなかったようですが、折からの国鉄の経営悪化による貨物列車縮小の中でコンテナ列車を強化することとなり、やはり実用化は見送られています。後にチサ9000形へと改造され、1984年(昭和59年)から実際に走行試験も行われたものの、積載できるトラックの大きさに制限があり、この時も本格採用には至りませんでした。

しかし、1980年代後半から日本はバブル景気とよばれる空前の好景気が到来、輸送もさかんになり、トラック業界では運転手の不足が深刻化していました。

そこで、一部の運送業者からの要望にこたえる形で、4tトラック2台を搭載可能な貨車としてクム80000形が登場、国鉄最後のダイヤ改正となった1986年(昭和61年)11月改正から東海道・山陽本線系統で運行を開始しました。この運行は好評で、1990年までに北陸・信越本線や上越線、東北本線系統まで運行区間を拡大、当初は通常のコンテナ列車に1~2両を連結して走っていたものが、最大で20両編成の専用列車も登場しました。

19890722 19890723東海道線
1989年頃という東海道本線東京口の映像 ピギーバック輸送の貨物列車は5:00頃に映像に現れるが、寝台特急や185系、平屋建てグリーン車の113系など、今では昔懐かしい列車のオンパレード この動画の最後には、20系+ワキ1000形のカートレインも登場する

1989年には、110㎞/h運転に対応したクム1000系が登場。こちらはクム1000形+クム1001形でユニットを組む基本番台と、1両で使用されるクム1000形500番台が生産され、クム80000形が79両、クム1000系は91両の陣容となりました。

両形式とも基本構造は同じで、貨物駅では専用ホームからトラックを自走させて積み下ろしを行いました。1993年には、1両に4tトラック3台を積み込めるクサ1000形と専用のトラックの試作も行われました。

しかし、バブル経済の崩壊からピギーバック輸送は1992年をピークに急激に落ち込みを見せるようになります。貨物輸送量そのものの減少でトラックドライバーに余裕が生まれたことや、重量ベースで設定された鉄道貨物運賃では荷物だけでなくトラックの重量まで加算されて割高となっていることが敬遠されたこと、狭軌の在来線では、積載できるトラックに限りがあり、必ずしも効率出来ではなかったことが理由として挙げられています。

トラック積載用として製造されたクム80000形 コンテナ車とよく似ているが、荷台部分はトラックの走行に備えて平板構造となっている 貨物駅では、ホームに横付けし歩み板を使ってトラックが自走して乗り込む方式だった Wikipediaより

このため、ピギーバック輸送は年々数を減らしてゆき、2000年3月改正で全面的に廃止となりました。

1993年には、石油類を搭載したタンクローリー車専用のクキ1000形も量産され、首都圏の渋滞を避けて貨物列車に積載した運行が始まりましたが、こちらもバブル崩壊による需要低迷や道路事情の改良により1996年に運行中止となりました。

海外では、自動車輸送は日常的 夜行列車に連結される例も

海外に目を転じると、鉄道による自動車輸送は日常的に行われている国があります。

アメリカやヨーロッパでは、日本の在来線よりも車体規格が大型で、そのまま自動車を積載することに制限が少なく、バスやトラックもそのまま積載できる例も多くあります。

ドイツ・フランス・イタリアに囲まれたスイスでは、これらの国を行き来するトラックによる環境汚染が社会問題となっており、「スイスには排気ガスしか残さない」と改善を求める声が高まりました。このため、これらのトラックを鉄道にシフトするいわゆるモーダルシフトが積極的に推進され、日本でいうところのピギーバック輸送が盛んにおこなわれています。

スイスでは、長年通過するだけの交通に悩まされてきた 1992年、貨物輸送をトラックから鉄道へ切り替えるためのアルプ・トランジット計画がスタート 長大トンネルの建設などで鉄道の所要時間を短縮する一方、1994年には通貨貨物は鉄道利用を義務付けることが憲法に明記された Wikipediaより

また、スイスにはアルプスの山岳地帯を貫く数十㎞に及ぶ鉄道トンネルが複数建設されており、新たな道路の建設を避ける代わりに、鉄道による自動車のトンネル輸送も日常的に行われています。

スイス・フェライナトンネルを走るカートレインの様子 乗用車はもちろん、観光バスのような大型車両でも積載できる 自動車は専用のホームで車体側面にある積み込み口から自走して乗り込み、車両の中を移動する 大型車の場合は、車体を横付けし、縦列駐車の要領で後進で入る場合もある Wikipediaより

イギリスとベルギーを結ぶユーロトンネルでは、開業時より自動車輸送が行われており、ユーロシャトルと呼ばれる車載列車が日常的に運行されています。

長距離列車では、オーストリアやドイツを中心に、夜行列車に車運車を連結、ドライバーとマイカーを一緒に輸送する『Motorail』が、夏のバカンスシーズンやクリスマス休暇の前後で運転されています。

フランス国鉄SNCFによる自動車輸送の例 ヨーロッパではこうした車運車が夜行列車に連結されている例も珍しくはない 旅客は連結された列車に乗車していく例もあれば、自動車だけの輸送もあり、後日自動車を受け取るサービスもあったようだ 日本と違い、ヨーロッパでは自動車の汚れを気にしない人が多く、露出した輸送でも問題ない Wikipediaより

カートレインは復活するのか? 需要はあれども…

日本ではなくなって久しいカートレインですが、世界では環境問題などで自動車輸送から鉄道輸送へと転換する、いわゆるモーダルシフトが盛んに叫ばれています。果たして、日本では復活の見込みはあるのでしょうか?

最も可能性があるのが青函トンネルです。自動車が通行できないため、貨物列車に自動車を積み込み、トンネルを通行する方法は、トンネル開業時から模索されてきました。

しかし、積み下ろしターミナルの建設費やアクセス道路、貨車の製造費用などをだれが負担し、誰が運用するのかという問題や、例によって縦割り行政やJRの閉鎖的な性質などにより、実現までの道のりはかなり険しいものとなっています。そもそもJRが会社またぎの長距離列車を嫌う傾向にあることから、カートレインの特性を最も活かせる中距離~長距離列車の設定そのものが難しいでしょう。また、唯一設定可能とも考えられるJR貨物は、法律により旅客営業ができないため、こちらも旅客と自動車の同時輸送は難しそうです。

カーフェリーでは、近年新造船の投入により、再び利用が見直されて着実に旅客が増えてきているようです。時代に合わせてテコ入れを行えば、時間がかかっても夜行利用や長距離利用の需要はあるという証明です。JRは何かあると「時代のニーズに合わなくなり云々」というのが決まり文句ですが、たまには時代のニーズに合わせた商品を考えていただきたいものです。

タイトルとURLをコピーしました