KATOから発売のキハ58 冷房化に翻弄されたその編成ルールとは

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キハ58パノラミックウィンドウとキハ65 KATOより発売

KATOから、キハ58系とキハ65の新製品が発表されています。

モデルとなるのは、キハ58系のうち、1968年(昭和43年)以降に製造された「パノラミックウィンドウ」と呼ばれるグループで、それまでに比べ前面窓が側面にまで回り込んでいるのが特徴です。製品では動力車としてキハ58、トレーラーとしてキハ58、キハ28、キロ28の3形式4種類の展開となり、4両セットの他単品でも販売されます。

実車でも短編成から大編成まで自由に編成が組めることが特徴でしたので、必要に合わせて買い足せる単品展開は嬉しいところです。

なお、このグループの生産両数は145両で、1800両以上生産されたキハ58系の10分の1にも満たないことから、実際にはパノラミックウィンドウ車のみで編成を組むことはほとんどなく、さらには冷房容量や編成出力との兼ね合いからキハ65を編成に加えることもよくありました。

製品としても、平窓の前期タイプやキハ65も用意されており、在りし日の急行列車を再現することが可能です。

キハ58 急行型ディーゼルカーとして大量増備

キハ58系の基礎ともなった準急用キハ55系
Wikipediaより

1956年(昭和31年)、首都圏と日光を結ぶ準急『日光』に投入されたキハ55系列は、小エンジンながら2エンジン搭載車両を中心とすることで編成出力を向上させ、蒸気機関車牽引と比べ大幅な所要時間の短縮を実現しました。また、余裕ある編成出力のおかげで車体も大型化し、従来のディーゼルカーの弱点であった車内の狭さも改善され、あらゆる点において客車列車の水準を超えることに成功しました。この成功を踏まえ、国鉄では蒸気機関車牽引の列車のディーゼル化を進めることとなり、準急用のキハ55系を基本として急行用として設計されたのがこのキハ58系でした。

キハ58系は、1961年(昭和36年)から1969年(昭和44年)にかけて、幹線・亜幹線の区別なく全国的に投入されました。この時代は、輸送量の急増に伴って全国で急行列車が増発されるとともに、蒸気機関車からディーゼルカーへの転換が図られていた時代で、実に1,823両という大量増備となり、一時は国鉄の保有するディーゼルカーの3割以上を占めた時期もありました。

基本形式のキハ58は2エンジン、キハ28とキロ28は1エンジン搭載とし、使用される線区の事情に合わせて2エンジン、1エンジンの比率を調整して編成を組むことが可能です。 勾配線区ではキハ58の割合を高めることで、編成全体の出力を上げて運用されました。

今回のKATO製品化のモデルとなったのは、このうち1968年(昭和43年)以降に製造された最終グループとも呼ばれるもので、コストダウンのため見送られていたパノラミックウィンドウの採用や、当時標準となりつつあった冷房の準備工事(キロ28は新製時より搭載)がなされたグループです。

キハ58系の編成ルール 冷房化により制約が誕生

先にも述べたように、キハ58系は使用される線区に応じて自由に編成が組めるようになっており、編成にルールはありませんでした。しかし、後に冷房装置を搭載するにあたり、ルールに制約が発生することになります。

キハ58が登場した当時は、冷房を搭載していたのはごく一部の特急列車のみで、急行用であったキハ58への冷房搭載は時期尚早として、設計段階より考慮されていませんでした。しかし急行列車についても1963年(昭和38年)より、まず1等車(現在のグリーン車)の冷房化が始められます。当時急行用の最新であったキロ28についても冷房装置が順次搭載されましたが、本来非冷房設計であったキハ58系では、冷房用電源の確保が問題となりました。もともと量産性を優先して時代遅れの小馬力エンジンを採用していたため、冷房用に出力を割く余裕はなく、取り敢えず自車のみの冷房装置に給電可能な発電機を新たに搭載することで解決しました。

この方式は、1968年(昭和43年)以降2等車(現在の普通車)も冷房化されるに当たって問題となります。同様に1エンジンのキハ28はともかく、2エンジンのキハ58には新たに発電機を搭載するスペースがないため、冷房化しても電源を確保することがでしませんでした。そこで、キハ28には新たに自車を含めて3両分の冷房電源用の発電機を搭載することで、キハ58にも冷房用電源を供給することとしました。また、キロ28についても約半数について3両給電できる発電機に換装しています。これら3両分の電源供給車は、原番号に2000がプラスされているので、車体番号から識別することができます。

このため、編成全体の冷房を稼働させる場合、キハ58 2両に対し3両給電が可能なキハ28又はキロ28が1両必要となり、これが編成を組む際の目安とルールになります。ただし、冷房電源が足りていても、電源を搭載したキハ28またはキロ28とキハ58との間に非冷房車が挟まれる場合は、電源供給用のケーブルがないため、キハ58の冷房は稼働できません。

キハ58のブースター的存在 キハ65の誕生

急行『由布』の運用につくキハ58系+キハ65 
Wikipeidaより

こうして冷房化の問題は解決したキハ58系ですが、冷房電源確保のためには1エンジンのキハ28の比率を上げざるを得ず、時として編成全体の出力を下げる結果ともなりました。もともと非力なエンジンなため、勾配線区では出力不足となることもあり、冷房を搭載した代償として、性能的には2エンジン車の割合に制限のない準急用のキハ55を下回るこことなりました。このため、勾配線区でキロ58やキハ58を中心に編成を組んでいた中央本線の急行『アルプス』など一部の列車では、冷房装置はあっても冷房非稼働で走る姿が見られました。

この事態を解決するために1969年(昭和44年)より製造されたのが、キハ65でした。

キハ65は、出力不足のキハ58系に連結するブースターとして製造され、自車を含めて3両分の冷房電源を搭載しました。また、キハ58系のエンジン出力180馬力に対して、キハ65は500馬力のエンジンを搭載、冷房電源を確保しつつ編成全体の出力アップに貢献しました。一方で、キハ65単独での使用は考慮されず、常にキハ58系との混結が前提とされたことから、トイレ・洗面などの車内設備は省略されていました。また、外観はキハ58系の最終増備グループと似ているものの、2段式ユニット窓や2枚折戸など同時期に製造された12系客車との共通部分も多く取り入れられました。

急行列車の削減 ローカル運用へ

こうして様々な問題を抱えてもひとまず解決されていったキハ58系とキハ65は、国鉄非電化区間の急行列車の主力として日本全国で使用されるようになります。

1970年代以降は、急行列車の走る路線の電化が進み、さらに急行列車そのものの削減が始まると、次第に急行運用を離れローカル運用が中心となります。

一部には車内設備の改装やジョイフルトレインへの改造などを受けた車両もあり、国鉄分割民営化の際も3分の2程度が健在でした。また、1990年代までは、全国各地で本来の急行運用につく姿も見られました。

2000年代以降になると老朽化も顕著になり、急行列車の廃止、新型車両の投入などで急速に廃車が進み、キハ65は2009年に定期運用を離脱、キハ58系も2011年3月に高山本線からの引退でJR線から営業運転を終了しました。

2020年現在、キハ65は全車廃車、キハ58系はキハ58-75のみが秋田車両センターに保留車として留置されているのみですが、千葉県のいすみ鉄道ではJR西日本からの譲渡車が現在も活躍中です。

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