香川県で「オハネフの宿」2021年秋オープン予定 24系寝台車を活用した宿泊施設

車両のはなし
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24系寝台車を活用した「オハネフの宿」が2021年秋オープン予定

香川県善通寺市で、廃車になった24系25形寝台客車を活用した宿泊施設の開業準備が進められています。

その名は、「四国遍路の駅オハネフの宿」 。

地元でうどん店を経営する店主が、四国八十八カ所巡り六十六番の雲辺寺山麓ロープウェイ乗り場付近で準備を進めているもので、すでに2021年4月には4日がかりで車両の搬入が完了しました。今後は車両の修繕や塗装、電気工事や水道の整備を行い、2021年秋ごろの開業を目指しているということです。

車両は『なは』として使用された24系客車 熊本県から輸送

今回宿泊施設として利用されるのは、24系客車のオハネフ25-2209とオハネフ25‐206の2両で、2008年改正までは寝台特急『なは』として使用されていたものです。『なは』の廃止後、2009年から肥薩おれんじ鉄道阿久根駅前で宿泊施設「あくねツ-リングSTAYtion」として使用され、廃車となった寝台車再利用の先駆けともなっていました。

「あくねツ-リングSTAYtion」当時の24系客車
「あくねツ-リングSTAYtion」 として使用されていた頃の24系 内外装とも当時からほぼ現役当時のまま 2014年に営業停止となり、その後は放置状態だった デュエットに改造されたオハネフ25はそもそも3両しかなく、当時から貴重な存在だった Wikipediaより

内装はほぼ現役当時のままで、その名の通りツーリング客はもちろん鉄道ファンも多数訪れたようですが、その後財政難により運営のNPO団体が解散してしまい、宿泊施設も閉鎖。屋根も設置されていなかったため、その後は野ざらしで朽ちるに任されている状態でした。

この状態を知った鉄道ファンでもある香川県の「岸井うどん」の店主が、貴重な車両を何とか救う方法がないかと思案、地元香川県で再び宿泊施設として蘇らせることなりました。

オハネフの宿完成イメージ クラウドファンディングページより引用

総輸送費1300万円はクラウドファンディングで調達され、当初は資金不足で1両をあきらめざるを得ない状況にも陥りましたが、2回目の追加調達で資金のめどがついたことから、阿久根駅前に残る2両ともが移設できることとなりまました。

1両30tを超える車両は九州から四国まで陸路輸送ができないため、大分から愛媛へのフェリー輸送を含め4日がかり700㎞の大移動となり、最後は標高260mの山麓までの山道が難関として立ちはだかりましたが、2021年4月21日に無事2両とも輸送が完了しました。

2021年秋開業目指し、引き続き資金募集中

2021年9月10日現在、秋の開業へ向けさらに追加資金のクラウドファンディングが実施されています。

[なは]オハネフ25 2209 .206の完全修復したい! クラウドファンディングページより

車両は5年以上にわたって風雨にさらされていたことから外観も痛々しいほど傷んでいましたが、2021年8月末現在塗装作業が終了し、2両とも現役当時の外観を取り戻しているようです。

しかし、予想以上の損傷が発見され、当初考えられていたよりもはるかにたくさんの費用が掛かる見込みとなり、2021年9月9日現在追加資金調達のクラウドファンディングが実施されています。

クラウドファンディングページの説明によれば、できる限り現役当時の機器や設備を活かした施設としたいものの、窓ガラスの破損や雨漏りなどで予想外の損傷もあり、追加で修理費用が必要となってしまったということです。

完成予想図によれば、車両はビニールハウスの中に格納されて設置される様子ですので、雨風にさらされることもなく長期にわたってきれいな姿を保ってくれそうです。

なお、2021年9月10日現在オープン日の告知はなく、公式のサイトもまだ完成していないようですが、SNSなどでははやくも完成を期待する声が上がる一方、本当にオープンできるのかという心配の声も寄せられているようです。

寝台特急『なは』とは? なぜ列車名が沖縄県?

『あかつき』と併結運転を行うようになった最晩年の『なは』 機関車の次位にあるのが3列シートのレガートシート車で、個室寝台車率の高さとともになかなか特徴のある編成だった 14系を使用した『あかつき』に対し、『なは』最後まで24系だったので、熊本方にに電源車が連結されていた この時点では東海道・山陽本線を走る寝台特急はこの『あかつき・なは』と『はやぶさ・富士』のみという寂しい状況になっていた Wikipediaより

寝台特急『なは』は、かつて関西と九州を山陽本線・鹿児島本線経由で結んでいた列車です。

『なは』の列車名は、1968年10月のいわゆるヨンサントオ改正で、従来新大阪―西鹿児島・長崎で運行されていた特急『かもめ』から西鹿児島系統を分離、大阪―西鹿児島の昼行列車として誕生しました。

『なは』が命名された1968年は、沖縄はまだアメリカの占領下にあり、日本本土と沖縄の自由な行き来はできませんでした。沖縄返還が実現するのはこの4年後の1972年でしたが、沖縄県民の間からは本土復帰を願う声が日増しに高まっていました。

そこで沖縄の本土復帰を願うキャンペーンの一環として、「日本本土に沖縄の地名の列車を走らせよう」ということになり、事前に公募されたものの中から国鉄によって『なは』が選ばれました。

寝台特急となるのは、山陽新幹線が全通した1975年改正で、昼行列車としては運転区間を博多―西鹿児島に短縮の上『有明』に吸収されて廃止となったものの、『あかつき』1往復を振り替える形で夜行列車となり、583系による運行となりました。

その後列車の統廃合により『なは』はたびたび廃止されるものの他の列車からの名称振り替えにより辛うじて存続し、1984年改正で24系化されました。

JR化後は、高速バスに対抗するためレガートシートの連結、個室「デュエット」「ソロ」の連結など、テコ入れが図られるようになります。1997年改正では、東京―西鹿児島を結んでいた『はやぶさ』が熊本発着へと短縮され、鹿児島県まで足を延ばす唯一の寝台特急となっていました。

単独運転時代に連結されていた『なは』のレガートシート車 最も京都よりに連結されていた『あかつき』とは違い、末期には7~9両編成のうち6号車に連結されていて、塗装もその他の車両と同じ青20号に白帯であった 485系サロ481からの改造であるため、車体断面や屋根高さが周りの車両と異なるのが特徴 2005年に『あかつき』と併結運行となった際に編成から外れ、全車廃車となった Wikipediaより

2004年改正では、九州新幹線新八代―鹿児島中央が暫定開業、鹿児島本線の一部が肥薩おれんじ鉄道へ移管されたため、運転区間が熊本までに短縮されます。

翌2005年改正では京都―鳥栖で『あかつき』と併結運転となり、併結区間は電源車を除いても10両という寝台特急らしい大編成でしたが、単独運転区間では電源車を除くと4両という寂しい編成となりました。それでも、『なは』編成4両のうち個室が2両、『あかつき』編成6両のうち個室3両+レガートシートというなかなか贅沢な編成でした。

この運行形態は3年続き、2008年改正で『なは』『あかつき』とも廃止となり、いわゆる「関西ブルートレイン」は終焉を迎えることになります。

2023年3月18日追記情報

この記事は2021年9月10日に公開したものです。予約や料金に関しては2023年3月18日付で追記しています。よろしければ「どこで予約? 料金は? 「四国遍路の駅 オハネフの宿」 2023年GWに開業か」もご覧ください。

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