引退決定の201系を解説 225系投入で消える元祖省エネ電車とは

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JR西日本201系を置き換えへ 225系投入で2023年度までに

JR西日本の発表によると、JR京都線、神戸線系統に225系144両を2023年度までに投入し、同線から捻出される221系により、おおさか東線や大和路線で運用される201系が置き換えられることがわかりました。同時に223系についても一部改良がおこなわれ、225系同様の運行情報や広告が表示される情報ディスプレイが設置されます。

201系は、すでにJR東日本からは2011年に引退、JR西日本ではリニューアルを受けた6連×22本が 吹田総合車両所奈良支所に健在で、主におおさか東線や大和路線、万葉まほろば線、和歌山線などで活躍しています。JR西日本では、播但線や加古川線でまだ201系の先輩格にあたる103系が活躍していますが、ひと足早く置き換えられることになりそうです。

「省エネ電車」として期待された新型通勤電車

201系は、1979年(昭和54年)から製造された、国鉄通勤電車の1形式です。

国鉄では、1964年(昭和39年)の量産開始以来、大都市の普通電車用として、一部を除き長きにわたり103系を製造してきました。103系は、日々増え続ける通勤通学輸送に合わせて大量生産を繰り返し、地味で目立たない役割ながら日本の経済発展を支えた影の役者とも言えます。しかし、長年にわたる大量生産はコストダウンと作業効率の向上にはつながりましたが、一方で技術の旧式化は免れませんでした。1970年代の後半になると、1957年(昭和32年)から投入された101系や、103系の初期車が更新時期を迎えることから、引き続き103系を増備するのか、新型車両を投入するのかが国鉄内部でも問題になります。

1970年代半ば以降、オイルショックを契機として、鉄道車両にも省エネルギーが求められるようになります 。また、1975年(昭和50年)のスト権ストをピークとして国鉄の労使問題も落ち着きを見せ、新型車両の開発、投入にも容易な環境が整いつつあったことから、103系以降15年のブランクを埋めるべく新技術を取り入れた車両として、1979年(昭和54年)に201系試作編成が製造されました。

モーターへの電力を調整するため、従来は電気抵抗を繋ぎ変える「抵抗制御」が用いられてきましたが、この方式では最終的に使用する電力量にかかわらず一定の電力を消費する上、不必要な電力は抵抗器で熱として放出していました。201系ではこれを改め、極めて短い間隔で回路のON、OFFを繰り返す装置を取り付けることで、電気を小さく切り刻んで必要な電力を取り出す方式となりました。必要な分だけ回路を構成することで消費電力を抑える仕組みで、小さく切り刻む様子から「チョッパ制御」とも呼ばれます。201系は、このチョッパ制御を国鉄では初めて採用、さらにブレーキをかけた際には、走行エネルギーを電力エネルギーに変えて架線に戻し、他の車両のエネルギーとして使う回生ブレーキも、国鉄としては初めて採用されました。

車内設備や外観も、101系、103系の流れを組みながらも随所が改められました。前面は一目で新車とわかるよう運転席周りが黒となり、以降205系を始めJR東日本の通勤電車で、現在に至るまで引き継がれることになります。座席は7人掛けながら、3+1+3人で区分することで定員着席を暗に促すデザインとなり、これも以降の多くの通勤電車で取り入れられることとなります。

性能的には、大出力モーターの搭載で高速性能が向上、特に路線の平均速度が高い京阪神緩行線では、俊足の新快速から逃げ切れるダイヤの組成が可能となりました。一方、加速性能においては103系と大差ない程度となりました。

201系は、まず1979年(昭和54年)に試作編成として5連×2本が登場。国鉄初の技術を多数搭載していたため入念な試運転を行い、1981年(昭和56年)より量産車の投入が始まりました。

中央線快速、総武・中央緩行線、そして京阪神緩行線へ集中投入

当初は、初期型103系の更新時期が近づいていた中央線快速に集中投入され、 1983年(昭和58年)には中央線快速系統から103系が撤退、その後2010年まで長きにわたって同線の顔として使用されたことから、201系といえば「オレンジバーミリオンの中央線」をイメージする方も多いでしょう。1982年(昭和57年 )からは総武・中央緩行線にも投入が始まります。

中央線快速で使用されていた頃の201系
Wikipediaより

首都圏以外では、1983年(昭和58年)から京阪神緩行線(現JR京都線・神戸線)への投入を開始。同線から103系を捻出することで、関西圏に残っていた101系の置き換えが行われました。先にも述べたように、京阪神緩行線では比較的駅間が長いことに加え、当時は電車線(内側線)を走っていた俊足の新快速にダイヤを譲る関係から、緩行線区間である京都-西明石のうち、普通電車は京都―甲子園口と吹田―西明石に系統分割されていました。103系の性能では、新快速から逃げ切るのにこれが精一杯だったのです。低速域での性能に重点を置いた103系は必ずしも京阪神緩行線の実情に合っておらず、長い間高性能車両の投入が待たれていました。国鉄時代、新車の投入先はほとんどが首都圏で、私鉄との競争が激しい関西では常に車両面で並行私鉄に後れを取っていましたが、201系に限っては早く、そしてハイペースでの投入となりました。同時期に投入された117系と並び、国鉄のイメージアップに大いに貢献しました。

京阪神緩行線の201系
Wikipediaより

1985年(昭和60年)の改正では、201系の運用数が過半数となったことから運用の見直しが行われ、高槻-西明石と吹田―甲子園口の2系統に再編され、緩行線の直通運転が復活しました(京都-高槻は、快速を各駅停車とすることで朝夕以外の緩行線を廃止)。

4年で製造終了 期待した省エネ効果が発揮できず

こうして省エネ電車と高性能の期待を込めてスタートした201系でしたが、チョッパ制御自体は省エネに貢献したものの、中核となるサイリスタ装置が重く、期待したほどの省エネ効果が得られませんでした。また、サイリスタ装置は非常に高価で、保守・点検にも手間とコストが必要でした。財政難に悩む国鉄が大量に量産するには不向きな車両となり、1985年(昭和60年)以降は従来の抵抗制御ながら軽量ステンレス車体を採用し、走行・製造・メンテナンスのすべての面でコスト削減を図った205系の製造へと移行します。

このため、201系の製造はこの年をもって終了、製造総数は1,018両となりました。ちなみに103系は1963年(昭和38年)に試作車が登場、翌年から量産が始まり、最終増備車が登場したのは1984年(昭和59年)で、他形式からの改造を含めて製造総数は3,503両でした。国鉄分割民営化の際には、JR東日本に794両、JR西日本に224両が継承されました。まだ車齢も浅かったことから、1990年代頃まではJR化後に生産された新型車両とともに、各線で主力車両として活躍しました。

1990年代後半 主役の座を降りる

1990年代後半以降、首都圏では209系、E231、E233 系、関西圏では207系、321系などの増備が進むと、次第に新型車との設備、走行性能の差が大きくなり、 2005年には試作編成が201系としては初めて経年廃車されました。2006年には中央線快速から撤退。リニューアルを受けることなく廃車が進む一方で、京葉線などへ転属。塗装をスカイブルーに変更して活躍しましたが、2011年にJR東日本からは全廃となりました。

関西圏でも、2007年には321系の増備で京阪神緩行線からから撤退、その一方で、大幅にリニューアルを行い、103系に代わって大阪環状線やおおさか東線の主力となるなど、幅広い活躍を見せていました。しかし、2016年から323系の投入が始まると、大阪環状線からも撤退、2019年末現在は在籍する全ての車両が吹田総合車両所奈良支所に集められ、最後の活躍が続いています。

JR西日本 リニューアル車両の車内
Wikipediaより

2019年末現在、在籍するのは6連×22本の132両で、全てがウグイス色(黄緑6号)となっています。主におおさか東線、大和路線で使用される他、朝夕には和歌山線、万葉まほろば線で使用されています。

おおさか東線で活躍する延命工事済みの201系
Wikipediaより
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