「オリエント急行」に新たな歴史 新型車両が2025年に運行開始

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2025年 新たな「オリエント急行」が運行を開始 イタリア国内を周遊

ヨーロッパで、新たな「オリエントエクスプレス」が運行を開始すると話題になっています。

といっても、かつてのように西洋と東洋の橋渡しをする列車ではなく、今回はイタリア国内を巡るクルーズトレインとして運行されます。

これは、イタリアの高級ホテル運営会社であるアルセナーレ・グループが2022年に発表し、車両の製作がすすめられていたもので、当初は2023年の運行開始を目指していたようですが、第一便の出発は2025年4月となったようです。

ヨーロッパには、ほかにも「オリエント急行」を冠した観光列車がいくつか存在している、またはかつて存在しており、2025年現在運行されているものとして特に有名なものは、イギリスーフランスーイタリアのルートを結ぶベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスがありますが、こちらはオリエントエクスプレス全盛期ともいえる1920年代に製造された車両を主に使用しており、専用の車両が新製されるのは実に久しぶりのこととなります。

新たなオリエント急行は「ラ・ドルチェ・ビータ」 2泊3日で100万円越

この新たな「オリエント急行」は、「ラ・ドルチェ・ビータ」と名付けられています。

直訳すれば「甘い生活」となり、文字通り優雅でゆったりとした設備と旅程が提供され、近年人気の日本の「クルーズトレイン」を模したものであることは疑いありません。

基本的には、ローマを起点としてイタリア各方面へのツアー列車として運行され、1泊ないしは2泊、または3泊の旅程が組まれています。乗客は目的地ごとに専用のミニツアーが組まれているのも日本と同じです。また、必ずしも列車内ではなく、最高級ホテルに宿泊となる場合があるのも、日本とよく似ています。

Orient Express Revelation: The New Orient Express Train

列車は名誉スイート1室、スイート客室18室、その他12室で構成され、食堂車やラウンジカーなど11両編成で、定員は62名となっています。クルーズ旅行などと同じく、旅程中の食事などはすべて代金に含まれ、価格にはコースによって異なりますが、公式サイトによると、例えば4月8日出発のローマ発シチリア周遊2日間コースでは、1人€4,720(1€160円として75万5,200円)~、4月13日出発のローマ発シチリア周遊3日間コースでは、1人€7,440(同じく119万400円)~からとなっています。

また、2023年に報道公開されてからは予約は好調で、すでに満席となっている便やグレードもあるようです。

なお、アルセナーレ・グループではオリエント急行をイメージしたホテルを1件、さらにクルーズ船を2隻運営することを発表しており、交通機関を問わず、古き良き時代を感じることができるツアーが予定されているほか、サウジアラビアでも列車ツアーを企画しているということです。

ヨーロッパでは、オープンアクセス方式といって海外や異業種からでも鉄道の運営に参画できるシステムが整えられており、鉄道会社以外の業種ならではの視点や施設が生かされるのも日本と違った特徴となっています。

オリエント急行とは? かつてヨーロッパを走った長距離夜行列車

オリエント急行とは、かつてヨーロッパを走った夜行列車の1つです。

ヨーロッパでは、19世紀後半には鉄道網の拡大が進められていましたが、その整備は各国ごとに行われており、また国によっては私鉄主導で路線が拡大されたケースもあり、直通運転はそれほど盛んではありませんでした。

一方、大陸横断鉄道の全盛期を迎えていた同じころのアメリカでは、各社から線路を借りて長距離列車を運行する専門の会社により、寝台車や食堂車を連結した列車が多数運行されていました。この状況を見たベルギー人の実業家により、国際的な寝台車所有会社、ワゴン・リ社がベルギーで設立され、1870年代以降はヨーロッパでも国際的な長距離寝台列車の運行が始められることとなりました。

この時代、ヨーロッパの夜行列車の運行をめぐって、ワゴン・リ社とアメリカのプルマン社は激しい競争を行っており、ワゴン・リ社ではより豪華な列車の運行を画策するようになります。この時考案されたのが、パリと東洋の玄関口と言われたイスタンブールを直通する豪華寝台列車で、のちに「オリエント急行」と呼ばれるようになります。

「オリエント急行」の運行開始は1883年で、当初はパリーイスタンブールを81時間で結んでいました。ただし、運行開始当初はすべての線路がつながっていたわけではなく、途中で2度の船舶連絡を含んでいました。直通運転が実現したのは1889年のことで、所要時間は69時間まで短縮されました。

運行開始当初は寝台車2両、食堂車1両、事業用車両2両という編成で、豪華な内装と沿線の食材を生かした料理は好評であったと伝えられています。ただし、その利用料金は法外で、この時代オリエント急行を利用できたのは各国の要人か大富豪に限られ、一般人には遠い存在となっていました。

20世紀になると、路線網のさらなる拡大により、「オリエント急行」は様々な派生列車も登場します。特に、自国の威信をかけてこの豪華列車に接続させようという試みや、類似列車の運転も多数行われました。また、連絡船と連絡列車により、イギリスーイスタンブールもこの時連絡が可能となっていました。

第一次世界大戦から第二次世界大戦の間、オリエント急行の前世機器ともいえる時期の関連路線図 実に数多くの長距離列車が運行されていたことがわかる Wikiperia(オリエント急行)より @Devilm25

オリエント急行の発展と成功により、運行するワゴン・リ社もその営業範囲は拡大し、このころヨーロッパの夜行列車の運行を独占するまでに至りました。

しかし、1914年に第一次世界大戦が勃発。ヨーロッパ全土が戦火に見舞われると、国際列車は運休を余儀なくされます。ベルギーはドイツに占領され、ワゴン・リ社は事実上活動を停止。「オリエント急行」も1914年に運行を停止しました。

「オリエント急行」が運行を再開したのは終戦翌年の1919年で、ヨーロッパの復興に合わせて関連列車も順次運行を再開。1930年代には、パリー(ドイツ経由)ーアテネ・イスタンブールが毎日、パリー(スイス経由)ーイスタンブールが週3便と、「オリエント急行」の全盛期を迎えます。これらに接続する列車を含めると、当時のトーマスクック時刻表の「オリエント急行」のページには、ロンドンからイスタンブールを経てイラク・イランの都市までの連絡が記載されていました。

ワゴン・リー社が全盛期を迎えたのもこのころで、同社は1931年には寝台車・食堂車を実に2,268両を所有し、サービス業としてはヨーロッパのみならず世界有数の規模となっていました。ただし、同社はあくまで寝台・食堂の提供にとどまり、機関車や線路、駅といった施設は保有せず、必要な場合は関連する会社から借り入れて営業していました。

この全盛期も束の間で、1939年には第二次世界大戦が勃発し、再び国際列車の運行は不可能となります。運行が再開したのは1945年11月のことで、1946年までにはほぼ元の運行体制へと戻されました。

しかし、第二次世界大戦後は航空機や自動車の発達により、長距離輸送の主役は鉄道ではなくなりました。また、東西冷戦の影響により、西側諸国と東側諸国の移動にも支障をきたすようになり、1962年の夜行列車再編によりパリーイスタンブールの列車から「オリエント急行」の名称は使用されなくなりました。

運行区間も順次縮小され、車両も老朽化しこれがさらに乗客の減少を招くこととなり、1977年をもってパリーイスタンブールの直通列車は廃止となりました。

派生列車として運行されていたパリとハンガリー・ルーマニアをオーストリア経由で結ぶ列車は、引き続き「オリエント急行」を名乗っていたものの、2001年改正で「ユーロナイト」へと変更され消滅しました。

現在「オリエント急行」を名乗っているのは、1982年に運行を始めた主にロンドンーイタリアを結ぶ観光列車のみとなっています。

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