日本は自動車も鉄道も左側通行で同じだけど… 世界の国もそうなの?
日本の道路や鉄道は、原則として左側通行となっています。
道路の場合、一つの国の中では一つのルールに統一することが世界的に定められており、日本では道路交通法によって、車両は原則として道路の中央から(必ずしも実際の中央ではなく、中央線を示す表示がある場合はそこから)左側を通行することが決められています。
鉄道の場合はそうした決まりはなく、日本では鉄道開業以来左側通行が原則とされ、道路交通と同じであることが当然のようになっています。
しかし、自動車の交通ルールが国によって違うように、鉄道の通行方法も国よって様々です。そこで、 日本以外の鉄道の通行方式について、ざっくりとご紹介します。
自動車と鉄道の通行方向 世界では国によって異なる 一致しない例も
日本では自動車も鉄道も同じ左側通行、ならば、世界の国々でも自動車と鉄道は同じ通行方法なのでしょうか? 自動車が右側通行なら、鉄道も右側通行なのでしょうか?
実は、鉄道の右側、左側通行は国によってそれぞれで、自動車の通行方法と一致しない国や、同じ国でも路線よって右側、左側通行が異なる例も存在します。
世界で初めて鉄道の営業運転を始めたのはイギリスで、1825年にストックトン・アンド・ダーリントン鉄道が開業しました。ただし、主に石炭輸送を目的として馬車を併用したもので、旅客はそのついでに輸送していたにすぎませんでした。蒸気機関車のみで時刻表や運賃表を用いた本格的な旅客鉄道としては、1830年に開業したマンチェスター=リバプール鉄道が始まりとなります。この路線は開業当初から複線で、イギリスの馬車が左側通行であったことから、鉄道でも左側通行が採用されました。以降、イギリスでは「鉄道は左側通行」が採用されることとなりました。
イギリスに遅れること2年の1827年、ヨーロッパ本土で初の鉄道となるサン=テティエンヌ-アンドレジュー鉄道(ただし当初は馬車鉄道)がフランスで開業。さらに1830年にはアメリカ、1835年にはドイツでも鉄道が開業しました。
しかし、馬車は左側通行としていたイギリスに対し、ヨーロッパ本土やアメリカでは右側通行が採用されていました。この理由は後述するとして、新たに誕生した鉄道に対しても新しいルールが必要でした。結果として、イギリスの技術指導をそのまま受け入れたフランスは左側通行、アメリカやドイツは自国の馬車のルールと同じ右側通行を採用。こうして鉄道の右側通行、左側通行が国によって分かれることとなりました。
こうした流れが21世紀の今日まで続いた結果、世界の自動車や鉄道(国鉄か、それに準ずる鉄道)は、
- 自動車、鉄道とも左側通行(イギリス、日本、シンガポール、ニュージーランドなど)
- 自動車は左側通行、鉄道は右側通行(インドネシアなど)
- 自動車は右側通行、鉄道は左側通行(フランス、イタリア、スイス、ベルギー、スウェーデン、中国、韓国、台湾など)
- 自動車、鉄道とも右側通行(アメリカ、ドイツ、オランダ、オーストリア、スペインなど)
の4パターンに分かれています。
1を採用した理由としては、やはりイギリスの影響が強く表れた結果と思われます。イギリスの技術を全面的に取り入れた日本や、かつてのイギリスの植民地であった国がほとんどです。
2、3、4を採用した理由としては、隣国との乗り入れる都合や、こちらもかつての植民地支配国の影響が強く出ているものと思われます。
鉄道の右側通行と左側通行 国によって違っては混乱しない?
日本やかつてのイギリスのように、島国で隣国との調整の必要のない国はともかく、陸続きで線路もつながっているヨーロッパでは、右左が入り乱れて混乱を招かないかが気になります。
結論からすれば、動力集中式を多用するヨーロッパでは、国際列車が国境を超える際には機関車を付け替える例がほとんどですので、日本人が思うほど混乱は起こらないのでしょう。逆に、左右の通行が一致していないことが、ヨーロッパで動力集中式が多数派を占める理由の一つになっているようです。
ただ、近年見られる高速列車では、動力分散式を採用する例も増えており、この場合は左右どちらを通っても問題の少ないよう、運転台が中央に作られることが多くなっています。
また、国や都市の中でも、路線によっては左側通行、右側通行が混在している例も見受けられます。
フランスでは、国鉄や近郊線は左側通行ですが、パリの地下鉄は自動車と同じ右側通行を採用しています。
韓国や中国、台湾の鉄道も左側通行ですが、地下鉄は自動車と同じ原則右側通行となっています。「原則」というのは、例えばソウルに9路線ある地下鉄のうち最も古い1号線のみ、左側通行を採用する国鉄線と乗り入れを行うため左側通行となっており、同じ国、都市、事業者によっても混在する例も見受けられます。
地下鉄がその他の鉄道と異なり自動車と同じルールを採用したのは、路面電車の延長線上と考えたためとも思われますが、はっきりとした理由は分かりません。
また、各国に存在する路面電車については、さすがに自動車と同じルールを採用している例がほとんどのようです。
世界の交通 左側通行と右側通行が存在するわけ
日本では、1960年(昭和35年)に施行された道路交通法により、道路を走る車両は左側通行が義務付けられていますが、これが明文化されたのは1881年(明治14年)の警視庁(当時)通達で「車馬(シャバ)や人力車が行き合った場合には左に避けること」とされたのが始まりとされています。つまり、自動車が存在する以前から日本人は「左側通行」の意識があったことになりますが、江戸時代にも日本は左側通行の考え方があったようです。これは左側に帯刀している武士同士がすれ違った際に刀が触れ合わないようにしたため、とも言われていますが、はっきりとした理由はわかっていません。
世界に目を向けてみると、2023年現在日本と同じ左側通行を採用しているのは約80の国と地域で、右側通行を採用する国と地域約160と比べると、半数ほどとなっています。しかし、19世紀始めごろまでは、世界的に左側通行であったといわれており、これは圧倒的多数な右利きの人が、万が一の際右手で武器を扱いやすいようにという理由であったとされていますが、これもはっきりとした理由は分かりません。
これが世界で右側通行、左側通行に分かれたのは、馬車の御者(馬を扱う人間)が馬の左側に立つ構造を採用していたフランスの皇帝ナポレオンが、馬同士が至近距離ですれ違って暴れないように自身の支配地域で右側通行を採用したのに対し、御者が馬車に乗るイギリスではその心配もないことから引き続き左側通行を採用したことに端を発するといわれています(ナポレオンが左利きであったから、という説もあります)。
こうなるとフランス、イギリスそれぞれの影響力の強い国や地域でそれぞれのルールに改められることとなりましたが、陸続きの国では国境ごとにルールが変わると不便を感じることも多かったため、周囲の国に合わせて右側通行を採用する国が多くなりました。特にヨーロッパは、そのほとんどが一時ナポレオンの支配下に置かれたため、これをきっかけにほとんどの国で右側通行に改められました。また、アメリカでは当初イギリスの影響で左側通行を採用していましたが、フランスの影響力の増加で右側通行となり、これにつられる形でカナダやメキシコも右側通行となりました。19世紀までのフランスは、東南アジアやアフリカ、南米など広大な植民地を持っており、世界の中での影響力は今日とは比べ物にならないほど大きなものでした。
このため、現在も自動車に左側通行を採用する国は、フランスの支配を受けず、イギリスの支配下にあったか、イギリスと極めて親しい関係にあった国が多くなっています。
馬車の通行は周辺国や支配者の都合に合わせて変更したのに対し、鉄道の通行は自国で発生したルールが、時代や為政者が変わっても基本的に継承されることとなったようです。自動車の通行方法を変更する例は近年でも時折あります(1967年のスウェーデンや、1978年の沖縄が有名です)が、鉄道の通行ルールを変更したという話は、そういえばあまり聞いたことがありません。
なお、交通ルールの起源や理由についてはよくわかっていないことも多いようですので、本ページの内容もあくまで一説として参考としてご覧いただければ幸いです。