しなの鉄道、115系による「ほぼ各駅停車」の夜行列車を運転
しなの鉄道は、日本旅行と共同で「ほぼ各駅停車」の115系による夜行列車ツアーを開催することを発表しました。
出発日は2024年5月25日土曜日で、115系湘南色3両編成を使用します。運行区間は軽井沢発妙高高原経由軽井沢行きとなっており、ほぼすべての駅に停車するダイヤです。
なお、主な駅の到着時刻は下記の表の通りです。
軽井沢 | 21:16 |
小諸 | 21:40 22:10 |
坂城 | 22:43 23:08 |
長野 | 23:39 23:42 |
妙高高原 | 0:29 1:00 |
戸倉 | 3:20 3:51 |
上田 | 4:08 4:30 |
小諸 | 4:51 5:06 |
軽井沢 | 5:32 |
乗車にはツアーの申し込みが必要で、ボックス席を1人または2人で利用するか、扉付近のロングシートを1人で利用できるプランが用意されています。
このツアーのコンセプトは、青春18きっぷで気軽に乗ることのできた、かつて中央線や上越線で運行されていた普通夜行列車のイメージで、車両や運行ダイヤもそれを彷彿させるスタイルとなっています。また、青春18きっぷシーズンの夜行普通列車は混雑が当たり前で、何時間も前から始発駅で並んだ経験のある年配読者の方も多いと思いますが、それでも座ることができずデッキに新聞を敷いて1晩を過ごすこともありました。今回のツアーでは、懐かしのアイテムとして古新聞が1人に1枚手渡されるというこだわりです(今回のツアーでは、実際に床に敷いて使用はできません)。
申し込みは日本旅行のWebサイトからとなっていますが、残念ながら4月11日現在満席となっており、人気の高さがうかがえます。
ツアーのモデルとなった、中央本線『山岳夜行』と上越線夜行列車とは
青春18きっぷで利用できる夜行列車がなくなってすでに久しいですが、「夜行普通列車」と言われて最近までその面影があったのは『ムーンライトながら』でしょうか。かつては『大垣夜行』とも言われ、多くの夜行普通列車がそうであったように、長距離利用客はもちろん、最終・始発列車を兼ねている区間もあり、実に多様な利用客で賑わいました。
このツアーがモデルとしているのは、かつては央本線や上越線で運行されていた列車で、115系を使用した「ほぼ各駅停車」な夜行列車が存在していました。
中央本線は、今も昔も首都圏から長野県方面へ向かう登山客の利用が多く、戦後世相が落ち着くにつれて行楽客も増加し、列車の混雑が常態化していました。最盛期の1970年代には、週末になると多くの登山客が押し寄せ、これに対応するために多くの夜行列車が設定されていました。
この中でも、定期普通列車として運転されていたのが425・426列車で、上下1往復の夜行列車が設定されてました。この列車は後に電車化され、長野行きの441Mと新宿行きの442Mに整理され、『山岳夜行』の愛称で親しまれるようになります。
しかし、登山需要という関係から、復路の夜行利用は少なく、1985年(昭和60年)3月改正で上りの442Mは廃止、さらに下りの441M(1988年3月改正で421Mに変更)も上諏訪止まりと縮小されてしまいます。
1992年3月改正では、甲府駅を境に1521Mと421Mに分割され、時刻表上も深夜の甲府駅で別列車のように掲載されるようになりました(1521Mは新宿0:02→甲府2:25、421Mは甲府4:00→松本6:21)が、実際には長時間停車を挟む直通運転でした。なお、この改正では再び上諏訪―松本が延長されています。しかし、翌1993年3月改正で臨時化されると、年々運転日は減少し、1998年のゴールデンウィークを最後に運転を終了しています。
一方、上越線を走る夜行普通列車は、古くは首都圏から秋田、新潟を結ぶ列車が設定されていましたが、1970年頃から優等列車化される例が目立ち、1972年(昭和47年1月)改正では上りの夜行普通列車が全廃、それ以降は上野発長岡行きの下りのみの設定となっていました。
こちらも使用車両は115系で、最終時点では上野駅を22:10に発車し、終点の長岡駅には4:45に到着するダイヤでした。
こちらは1985年(昭和60年)3月改正で廃止となり、JRへ引き継がれることはありませんでした。