鉄道車両の窓 時代とともに大きく変わった構造

社会
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鉄道車両の窓 かつては開閉式が一般的だった

新型コロナウィルスの対策の1つとして、換気の必要が叫ばれるようになりました。鉄道でも例外ではなく、窓の開閉できる車両では窓開けが推奨され、開閉不可な車両では、その換気方法が様々な媒体で記事になっています。近年は鉄道車両に限らず、住宅やオフィス、商業施設でも空調の普及で窓は通年密閉されているのが普通となりましたが、当然のことながらかつては適宜窓を開けて換気するのが一般的でした。1979年産まれの私ですが、子供の頃は当時住んでいた京都市内でも、夏になると窓全開で走っていた乗り物もまだまだありましたし、ローカル線や中小私鉄では1990年代半ば頃までは非冷房車も珍しくありませんでした。

上昇式の1段窓を持つ35系客車
Wikipediaより

冷房のなかった1950年代半ば頃までは、特急列車から通勤電車まで、窓を開けるのは一般的でした。いわゆる旧形国電や旧型客車は、この前提に基づいて設計されています。窓枠は車体に作り付けで、内装同様に窓も木製であることがほとんどでした。蒸気機関車から出るばい煙は開いた窓から車内にも侵入し、乗客の顔はすすけて真っ黒になり、停車駅で顔や手を洗わなければなりませんでした。主要駅のホームに最近まで洗面所が残っていたのは、この時代の名残です。

窓を開けるには上に引き上げる構造が多く、窓枠と屋根の間には開けた窓を格納するスペースが必要で、必然的に窓は小さなものになりました。下降式にすると大きな窓が設置できますが、雨水が入り車体腐食の原因となるため、鋼鉄や木を多用した昔の車両には不向きで、採用例はあまりありませんでした。

独特の3段式窓を備えた63系電車 開閉できる上段、下段は幅29㎝しかなく、緊急時の脱出は不可能だった
Wikipediaより

特殊な例としては、1944年(昭和19年)~1951年(昭和26年)にかけて製造された63系電車があります。戦時下と終戦直後の混乱した時代に作られたこの車両は、物資不足で大きなガラスが手に入りにくいことと、窓からの乗降を防ぐため、中段は固定、上段と下段が開閉式の3段式という珍しい窓が採用されました。しかし、こうした構造と粗悪な製造、非常設備の案内不足といった事情が重なり、1951年(昭和26年)の桜木町事故では、車両火災を起こした車両から乗客が脱出できず、死者106名を出す大惨事となりました。

ユニットサッシの登場 2段窓が標準装備に

2段上昇式窓を備えた101系 この外見は以後長らく鉄道車両の標準となった
103系は、1970年(昭和45年)のロットから窓自体が別パーツのはめ込み式となった 101系と比べ、窓に枠が見えるのが特徴 103系の冷房化は1973年(昭和48年)からで、非冷房車の2段上昇窓は窓全開! 風圧で日除けが外れて頭にゴツン、バサバサ… 今の若い人にはわかんないだろうなぁ
Wikipediaより

1950年代半ば以降、昭和30年代になると、ユニットサッシの窓が登場します。

まず101系はその後長い間鉄道車両の標準ともなった2段窓で登場。ただし、上段、下段とも上昇式の窓でした。その後、窓枠を車体本体に作り付けるのではなく、車体にあけた窓枠スペースに別に作ったユニットサッシの窓をはめ込む製造方法が採用されます。1960年代以降は、一部の例外を除いてこのユニットサッシの上段は上昇または下降、下段は上昇窓が一般的となり、国鉄はもちろん私鉄やバス窓としても長きにわたり使用されることになります。少し年配の方なら、乗り物の窓というとこれを連想される方も多いのではないでしょうか。

時期尚早だった1段下降窓

1段下降窓を採用した10系寝台車ナハフ11 従来の旧型客車に比べ、大きな窓とすっきりとした外観が近代的なイメージを与えたが、晩年は車体の傷みが目立ち、車齢30年にも満たず全車引退となった
wikipediaより

一方、2段窓は窓に桟が入るため、すっきりとした外観を狙って1段下降窓を採用する例も増えてきました。しかし、腐食対策の不足から早期に廃車になる車両も多く、本格採用はステンレス車の登場を待つ必要がありました。

しかし、この下降窓を伝統的に使用している会社もあります。

阪急電鉄では、1920年(明治43年)の開業以来、伝統的に1段下降窓を採用してきました。木造車の時代から現在に至るまで、その外観は阪急のシンボルともなっています。また近鉄でも1960年代以降は鋼鉄製でも1段下降窓を採用しています。これらの会社では腐食対策のメンテナンスに極めて高い技術とノウハウを有し、大きな問題にはなっていません。

伝統的に1段下降窓を採用する阪急電鉄 木造車の時代から徹底したメンテナンスで車体の美しさを保つ 5401は1972年(昭和47年)製だが、経年による古さはそれほど感じない

空調の設置で優等列車は固定窓が標準に

1958年(昭和33年)10月、東京―博多を結ぶ寝台特急『あさかぜ』に20系客車が投入されます。すべての車両に空調を備えた画期的な車両で、窓の開閉は考慮されずほぼすべての客用窓が固定式となりました。さらに11月には20系電車(後に151系)を使用した『こだま』がデビュー、連続して高速運転を行うことからこちらも窓は全て固定式とされました。これ以降、特急型は固定窓という考え方が主流となり、1960年(昭和35年)以降製造されたキハ80系列も同様のスタイルとなりました。

空調を搭載し、完全固定窓となった20系客車
Wikipediaより

そして1964年(昭和39年)10月、東海道新幹線が開業。時速200㎞/hを超える列車で窓の開閉は事実上不可能なことから、0系には当然固定式窓が採用されました。特に0系では飛行機並みの気密構造とされたことから、外気取り入れ用のルーバーが山側についていました。走行時の風圧でここから外気を取り入れ、床下から排気することで車内を換気する仕組みで、トンネル通過時にはいわゆる「耳ツン」を防ぐため自動的に閉鎖されました。しかし、トンネル区間が約半分を占める山陽新幹線への延伸に当たり、この方式では換気能力の不足が心配されたため、後にファンによる強制通風方式に改められ、現在に至っています。

小田原駅を通過する0系『ひかり』 屋根上に並ぶのが自然通風用のルーバー
Wikipediaより

一方、通勤電車への冷房車の普及は特急列車からかなり遅れ、一般的となってゆくのは1970年代に入ってからでした。国鉄では1970年(昭和45年)7月、山手線に待望の103系冷房車がデビュー、当日の新聞には「ついてるぞ 冷房国電」と取り上げられるほどでした。しかし、通勤電車では乗客数によっても体感温度が大きく変わることや、停電時に換気する必要から引き続き窓は開閉式で、こののち登場する201系や私鉄各社でも引き続き2段ユニットサッシが主流となりました。ただし北海道では、冬の保温性に優れた上昇式の二重窓の採用が多くなっています。

冷房化と並行して、軽量化のため1970年代頃よりステンレス製の車体が登場し始めます。ステンレスでは腐食の心配がないため、このころから外観がすっきりとして見える1段下降窓の採用例も増えてきます。ステンレス化に熱心だった東急電鉄でも、1967年(昭和42年)の7200系で本格的に1段下降窓が採用されます。1984年(昭和59年)、山手線に205系が投入された際も、量産先行車を除き1段下降窓が採用されました。たまたま量産先行車の完成を工場へ見に行った国鉄の担当者が、横に並んでいた東急の車両を見てその場で量産車の設計を変更した、という逸話がありますが、その後大量生産される205系は全て1段下降式窓となり、「窓桟のない」スタイルが、通勤電車の標準となります。

ステンレス車体の採用で、腐食の心配がなくなったため1段下降窓となった205系量産型
Wikipediaより

1990年代以降 窓は「開かない」がスタンダードに

1990年代に入ると、換気機能や空調機能の向上で、むしろ窓を開けているよりも空調に任せているほうが快適なことも多くなりました。また、開閉できる窓は生産工程や製造コスト、車体重量の増加につながるため、この時期に製造された209系や207系などは、通勤電車ながら大部分を固定窓として登場しました。前者は製造コストを下げるため、後者はメンテナンス性の向上で車体寿命の延長を計る期待も込められていました。ローカル線においても、キハ100系列やキハ120の2次車以降、キハ200の大部分というように、この時期に生産された車両はほとんどが固定窓を採用しているのが特徴です。

換気能力の不足から再び窓は開閉式に

223系の車内 固定窓だった221系と違い、ドア間のうち2か所が開閉式 第3次車より、中折式から下降式へ変更になった
Wikipediaより

しかし、2005年3月に発生した京浜東北線での長時間にわたる停電による立ち往生では、2時間以上も乗客が車内に閉じ込められる事態となりましたが、停電で空調の停止した車両の換気能力の不足から、多数の体調不良者を出す結果となりました。これを受けてJR東日本では、209系の扉間大窓のうち4枚を開閉式とする工事を行ったほか、E231系、E233系は製造当初より1段下降窓を採用しています。JR西日本でも、207系、221系でほぼ固定式となった窓が、321系、223系、225系では開閉窓が増えるなど、開口面積は増える傾向にあります。

時代や求められる要求により、文字通りこのコロナショックにより、より一層車内の換気について叫ばれている今、今後製造される車両はまた開閉式の窓が主流となるかもしれません。

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