1997年春 京阪京津線蹴上駅
トップの写真は、1997年春の京阪京津線蹴上駅での写真です。 季節を無視した写真となりましたが、なにとぞご容赦を。 三条駅から三条通の併用軌道を走ってきた電車は、桜並木を背景とした蹴上駅(正確には停留所ですが)を通り過ぎるといったん専用軌道に入ります。そして、山科区へ向け66.7‰の連続勾配を上り、頂上付近からは急勾配を下ってまた併用軌道に入ります。
京阪京津線は、もともとは京都市の三条駅と滋賀県大津市の浜大津駅を結ぶ路線でした。このうち京都市内の三条―蹴上、日ノ岡-御陵(みささぎ)と、大津市内の上栄町-浜大津は併用区間があり、1997年当時は2両編成の電車が行き交っていました。
京都市内の三条―御陵は、新たに建設される地下鉄東西線と区間が重複するため、地下鉄開業前日の1997年10月11日をもって廃止となりました。廃止区間は地下鉄へ乗り入れる形で列車の運行形態は残され、京都市内の併用軌道は全廃、車両も地下鉄対応の800形4両編成へと変更されました。
写真は、この年で姿を消す京都市内の併用軌道と、京津線の桜の組合わせを撮影に行ったものと思われます。
地下鉄東西線開業後、京津線は京都市中心部とは地下鉄を経由しないと行けなくなり、運賃を2重に支払う必要となったため、非常に割高となりました。しばらくは移行期間として特別運賃が設定されていましたが、現在この制度は廃止されています。また、九条山、日ノ岡の両駅が廃止されるなど、京津線だけに限ってみると、当時から利便性の向上については疑問の声が上がっていました。並行するJR琵琶湖線の利便性向上も伴って、2003年頃には接続する石山坂本線と合わせ年間15億円程度の赤字が出るなど、大変苦しい経営が続いており、2018年ダイヤ改正ではそれまでの日中15分間隔から約20分間隔へ減便されています。
1990年代の京阪京津線 600形・700形・80形
さて、そんな京津線ですが、撮影のころは車に揉まれながら今も続く独特のタイフォンを鳴らし、三条通を頻繁に行き交う姿が見られました。路面や地上から直接乗り降りできて、乗客もそれなりに多かったように思います。
当時は三条―浜大津を直通する準急と、三条-四宮の普通が交互に運行され、日中はそれぞれが15分おきに走っていました。京都市内の併用区間となる三条通は、交通量の多い渋滞の名所であり、右折車両に行く手を阻まれることも多く、時間通りに走れないこともしばしばでした。ダイヤの乱れを極力抑えるため、滋賀県内まで直通する準急は併用区間が存在する三条―御陵間の駅、停留所はすべて通過するダイヤが組まれていました。普通は、早朝深夜を除き三条―四宮の運転でした。
特徴的だったのは、準急は600形または700形、普通は80形と使用される車両が列車種別によりほぼ完全に分けられていたことでした。80形は路面停留所に対応したステップを装備していたのに対し、その他の車両は高床ホーム専用となっており、併用区間での乗降は想定されてませんでした。
この撮影から半年後の1997年10月12日に地下鉄東西線が開業、京津線は一部廃止となり800形に置き換えられました。車齢の浅かった600形、700形は石山坂本線へ転属、こちらに残っていた260形や360形を置き換えましたが、吊り掛け駆動の80形はこの前日限りで運用離脱、全車廃車となりました。