最後の青い夜行客車急行『 はまなす』乗車記 どんな列車だったの?懐かしの写真とともに振り返る

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2016年2月5日 21時38分 札幌駅4番線『はまなす』入線

2016年2月5日21時30分、多くの通勤客が列を作る札幌駅3番ホーム。その向かい側4番ホームの発車標には、急行『はまなす 』青森行の表示がなされていました。そう、かつては日本中で見られた夜行客車急行列車、ついに最後の1本になってしまった『 はまなす 』です。21時40分少し前、甲高い機関車特有のホイッスルを響かせながら、ラッシュの喧騒の中列車が入選してきます。先頭に立つのは、これまたかつては非電化区間で当たり前の用に走っていたDD51、そして後に続くのは正統派夜行列車としてふさわしい青い車体の14系、24系です。寝台車と座席車の混結も、急行列車全盛期を彷彿させる編成です。今晩は、この『 はまなす』に乗って、終点青森を目指します。

遠い行先が掲示される 長い旅路を実感する
撮影:鉄道模型モール制作室

最後の正統派夜行列車 ここに健在

私が中学生~大学生だった頃、1990年代前半から2000年代初めは、まだ運行形態も国鉄時代を色濃く残していた頃で、実にたくさんの夜行列車が走っていました。しかし、資金に乏しい学生の宿命というべきか、利用したのは青春18きっぷで利用できる快速列車がほとんどで、急行列車や、ましてや寝台特急など利用する機会は滅多にありませんでした。高校の修学旅行で乗った寝台特急『 日本海』と、社会人になってから出張の帰りに乗った急行『 銀河』の他、個人的に利用したのは急行『 ちくま』で長野を目指したくらいでしょうか。

大学卒業後は、しばらく鉄道趣味から遠ざかっていたため、以前のような旅行はしなくなり、夜行列車を利用することはなくなりました。その間、21世紀になってからの夜行列車の衰退は今さら書くまでもありません。廃止の報道がなされる度に、まあいつか最後に乗る機会もあるかな、とぼんやりと考えているうちに、いつの間にか定期夜行列車は、2016年初頭現在『 サンライズ』とこの『 はまなす』の2本だけ、という状態になってしまいました。

そして、久しぶりに乗る機会が訪れたのが、今日2月5日です。昔は散々利用して珍しくもなんともなかった14系の青い車体が目の前にあります。隣の普通列車が発着するホームとは、まるで異世界のような静かな雰囲気、これこそが夜行列車の醍醐味です。

14系の青い車体は、夜行列車のイメージそのもの
撮影:鉄道模型モール制作室

調達したビールとツマミを片手に早速列車に乗り込みます。車内は国鉄型車両そのもので、バリアフリーのかけらもない入口のステップ、ステンレス地の扉も懐かしく感じます。この車両は指定席ですが、もとキハ183系のグリーン車の座席を流用した「ドリームカー」で、リクライニングも深くかつてのボックスシートや簡易リクライニングシートとは雲泥の差です。

「ドリームカー」車内 wikipediaより

『 はまなす』はこの時点で廃止まで1月余りとなっており、乗車した5号車はほぼ満席でしたが、車内は比較的落ち着いており、廃止間際を感じる事もなく、普段着の夜行列車を感じられるのも嬉しい限りです。

古き良き夜汽車の旅、14分遅れでスタート

発車時刻の22時00分を回りましたが、動く気配はありません。と、放送が入り「稚内からの特急が遅れているため、接続待ちをします。今のところ、特急の到着は22時07分頃を見込んでいます」とのこと。ビジネス特急ならたちまち舌打ちが起こるところですが、どうせ目的地に着くのは明日の朝なので、前夜の遅れなど気にする人はいません。こののんびり感も夜行列車ならではです。

結局22時10分ごろ、隣のホームに遅れてきた『スーパー宗谷』が到着、その接続を受け14分遅れで札幌駅を発車、都会のネオンを見ながら列車はゆっくりと動き出します。ハイケンスのセレナーデで始まる車内放送も、客車列車でしか聞けません。『 はまなす』は、この日からさっぽろ雪まつりが開催されているせいか、所定7両編成のところ、フル編成に近い11両編成での運転。前から 1号車、増21号車、2号車 の3両がB寝台、指定席が3~7号車(4号車カーペットカー、5・6号車ドリームカー)、8~10号車が自由席です。

車内改札も終わり、車内が何となく一段落したところで、車端部にあるミニロビーへ。4人がけの小さなテーブルと丸椅子が通路を挟んで2組あるだけですが、こうした座席以外のフリースペースがあるのも鉄道ならでは。すでに先客が男女2名あり、男性は札幌への出張帰りで明日青森から新幹線に乗り継いで東京へ向かい、女性は青森の娘さんに会いに行くところで、どちらも初対面だとか。かくいう私も当然初対面ですが、夜行列車では不思議とこういう出会いがあります。女性は『 はなます』の常連で、青森へ0泊で往復できる『 はまなす』の廃止を残念がっています。

札幌を出た『 はまなす』は、新札幌、千歳、南千歳、苫小牧と、急行らしく比較的こまめに停車していきます。ホームを覗くと、どの駅でも比較的まとまった下車客があり、短距離の需要もそれなりに多いようです。この点も、長距離客と短距離客の両方の需要に応えていたかつての急行を彷彿させます。

さて、10分ほど遅れて0時過ぎに東室蘭を過ぎると、車内はいわゆるお休み放送が入り、車内灯も減灯されて深夜モードに。「貴重品は必ず身に着けてお休みください」「この放送が終わりますと、車内が少し暗くなります」など、夜行列車でしか聞けない言い回しも健在です。ただ、『 はまなす』の場合は寝台車を除き車内放送は随時入ります。若い頃は一晩くらい寝なくても平気で、ずっと流れゆく車窓の明かりを眺めていましたが、さすがにおじさんになるとそうはいきません。歳をとったことを実感しながらしばし体を休めることにします。

夜行列車のイベント「長時間停車」と「機関車交換」

1時過ぎ、5分遅れで長万部への到着放送を聞きながら、しばらくうとうとしていると、何となく車内に音にならないざわつきが始まります。『はまなす』最大のイベント、函館の長時間停車です。間もなく「あと10分で函館です。時間通りの到着です」との放送。どうやら遅れを取り戻したようです。

深夜の駅は、昼間とは違う魅力に溢れる 下車するわくわく感は年をとっても変わらなかった
撮影:鉄道模型モール制作室

2時52分、函館着。所定ダイヤでは3時19分の発車ですが、青函トンネル工事時間を確保するため、3時56分の発車に変更となっており、1時間以上の文字通り長時間停車です。かつての夜行列車では、時間調整や機関車の交換などで長時間停車はつきものでした。

到着と同時に、深夜にもかかわらず大勢の乗客がホームに降ります。気温は氷点下のはずですが、暑すぎるくらい暖房の効いた車内で十分温まっているので、それほど寒さは感じません。ホームに降り立った乗客の目指す先は、機関車交換です。この光景はすっかり有名となり、鉄道ファン以外の大勢の乗客もカメラをもって最後部または最前部へ駆けつけます。

『はまなす』はこの函館で進行方向が変わり、今まで1号車の前にあったDD51を切り離し、最後尾(青森からは先頭)の10号車の前にED79を連結します。この作業はほぼ同時進行で進むため、両方を見ることは困難です。特に今日は11両という長い編成のため、切り離しは諦め、連結作業を見に行くことにします。

11号車の周りにはすでに大勢の人だかりができていました。間もなく、五稜郭方向からED79が入線、『はまなす』の手前で待機します。今日は雪は降っていませんが、厳寒期の深夜、作業員の方は完全防備で作業に当たります。こういう方のおかげで鉄道の定時運行が守られているのかと思うと、お礼の一つも言いたくなりますね。

汽笛一声、ゆっくりと動き出したED79は、誘導に従って『はまなす』との距離を詰めてゆき、誘導員の合図に従って停車、ちょうどのタイミングで連結器が接触し、固定ピンがガチャンと落ちて連結完了です。

隣の機回し線には、切り離されたDD51が回送されてきました。おそらく切り離しを撮影していた集団がばらばらとやってきましたが、時はすでに遅し。やはり両方見るのは難しかったようです。

連結作業は終わりましたが、発車まではまだ50分ほどあります。しかし、ほかの列車が発着するわけでもなく、『はまなす』のためにだけ開けている、という状態で、特に何があるわけでもありません。車内は暖かいですが(寝台車から浴衣姿で出てきている人もいました)、ホームは厳寒です。1人、また1人と車内へ戻ります。かつては青函連絡船からの乗り換え客で昼夜を問わず賑わったのでしょうが、まったく寂しい限りです。列車1往復のために駅の深夜営業を行う人件費もばかにならないでしょうから、こう少なくなっては坂道を転げ落ちるように夜行列車の衰退が進むのも無理はありません。席に戻り発車を待たずウトウトします。「急行『 はまなす』、間もなく発車します」という放送を聞いたような、聞いてないような、そんな夢うつつの中、函館を後にします。

函館で進行方向が逆になり、後ろ向けに進んでいますが、眠気が勝り気になりません。間もなくトンネルに入りましたが、これが青函トンネルのようです。結構な騒音で何度も目が覚めます。寝たのか寝てないのかよく分からないまま、列車は本州へと入ります。

急行『はまなす』青函トンネル開業とともに誕生

札幌-青森を結ぶ急行『 はまなす』は、1988年(昭和63年)3月13日、青函トンネル開業によるダイヤ改正で誕生しました。それまで存在していた青函連絡船の深夜便を代替するため、青函トンネルを深夜に通過するダイヤとされました。

1991年7月よりB寝台を連結。1993年には、急行『 まりも』廃止により余剰となった「ドリームカー」を組み込み、1997年には「カーペットカー」が登場するなど、多彩な車両が魅力の列車となりました。

一方、2000年改正で『 宗谷』『 サロベツ』『 利尻』『 礼文』が特急化されたのに伴い、道内唯一の急行となったのを始め、2012年改正では『 きたぐに』の臨時化で唯一の定期急行列車となり、さらに2015年改正で『 北斗星』が臨時化で唯一の定期客車列車となるなど、最後まで正統派国鉄夜行急行列車としての姿を残している列車となりました。

ハイケンスのセレナーデを聞きながら ありがとう夜行客車列車

時刻は5時頃になったでしょうか。ふと外を見ると、函館とはうってかわって激しい雪が降っています。その雪の中、貨物列車と交換が続きます。青函トンネルの主役が、旅客ではなく貨物であることを実感します。

「皆様おはようございます。時刻は只今5時50分です。急行『 はまなす』時刻表通りの運転です」、減灯されていた車内灯が通常に戻り、俗に言う「おはよう放送」が入ります。残念ながらハイケンスは流れませんでしたが、「洗面をご利用の際、外されました指輪、時計、ネックレスなどお忘れにならないようご注意ください」「混み合いましたら、譲り合ってご使用願います」など、おはよう放送でしか聞けない案内が続きます。

やがて空が薄らと明るくなり、右手に青森運転所の車両群が見えると、終点放送です。ハイケンスのオルゴールに始まり、到着案内、乗換案内と続きます。長い列車旅を締めくくるにふさわしい長い放送、何回乗っても、夜行列車はこの瞬間が一番眠たくなります。放送の最後は、もうすぐ廃止ですが「またのご利用をお待ちしています」でした。そして、人生で最後かもしれないハイケンスのセレナーデを聞きながら、定刻の6時19分、終点青森へ到着です。

青森駅から引き上げる急行『 はなます』
撮影:鉄道模型モール制作室
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