かつて駅のホームでよくみた洗面台 何のため?
筆者がよく読んでいるえちごトキめき鉄道社長の鳥塚亮さんのブログ(えちごトキめき鉄道社長(いすみ鉄道前社長) 鳥塚亮の地域を元気にするブログ)で、駅のホームにあった洗面台の話題が取り上げられており、少し思い出したことがあるので書いてみます。
9月24日付のブログで、駅のホームの洗面台という記事が出ており、今の若い人には駅のホームに洗面台があったことを言うと驚かれたというところから始まります。
洗面台といっても、今の駅で見かける、水飲み器のような蛇口一つと小さな流し大のものではありません。駅によっては鏡なども備え付けられた本格的なもので、見たことがない、という方は、小学校の洗面台を思い浮かべていただければ近いものかと思います。
冒頭の写真は紀勢本線の新宮駅のもので、少しわかりにくにですが中央付近に蛇口のいくつかついた洗面台が写っているのが見えるでしょうか?(なお、新宮駅の洗面台は残念なことに撤去されてしまったようです)
なぜ駅のホームに洗面台があるかと言えば、ブログ中でも取り上げられている通りで、かつてSL列車が当たり前だったころ、蒸気機関車から出る煤煙が開いた窓や隙間から車内に侵入し、乗客の手や顔はすすけて黒くなってしまうので、主要駅へ停車した際にホームへ降りて手や顔を洗うために設けられていたのでした。
水回りはどうしても老朽化が進むので、SLのない今は駅の改良工事の際に撤去されてしまう例も多く、2021年現在残されている駅は果たしてどれだけあるのか…、という状態になっていて、若い人が知らないというのも無理はありません。
いつごろまでこうした洗面台が見られたのかははっきりとは記憶していませんが、40過ぎのおじさんである筆者が知っているくらいなので、少なくとも2000年代に入ってしばらくの間はまだあちらこちらで見られたのだと思います。
特に夜行列車の長時間停車で、眠気覚ましに冷たい水で顔を洗うのは、また格別でした。
今も思い出として残っている 朝の広島駅のホームにあった洗面台
さて、タイトルにもある広島駅の話ですが、前後の写真の記録によると2001年7月、ちょうど夏休みで、関西から長崎へと旅行する途中の出来事でした。
当時関西から西へは多数の夜行快速列車が運転されており、この時も青春18きっぷを利用して長崎を目指していました。利用したのは『ムーンライト山陽』で、この前年の夏から広島ー下関を延長し京都ー下関の運転となっていました。
前夜に大阪を出発した『ムーンライト山陽』は、神戸出発後にお休み放送を聞きながら減灯され、広島手前の5時半頃におはよう放送が入ります。放送後は皆が一斉に行動を始めるため、トイレや洗面が混雑するのもこのおはよう放送の後となります。
うろ覚えで申し訳ないのですが、確か広島駅の本屋につながった1番ホームに列車は到着、この1番ホームには、かなり大規模な洗面台が設置してありました。
10分ほど停車のため、筆者は狭くて混雑する車内の洗面所を避け歯ブラシやタオルを持ってホームの洗面台に。すると、同じように夜行列車慣れした猛者たちがたくさんおりてきて、いつの間にやら洗面台の周りは10人以上の人だかりに。みんな歯ブラシ片手にシャコシャコと歯磨きです。皆さん、やっぱりよく知ってるんだな、やることは同じだなとその時妙に感動したことが、不思議なことに20年以上たった今も強烈な思い出として残っています。
その時はそれ以上は気に留めることもありませんでしたが、こんな光景もあと数年でなくなるとは思ってもみませんでした。
2000年頃はいわゆる関西初の『ムーンライト』シリーズ全盛期のころで、『ムーンライト山陽』は京都ー岡山で『ムーンライト高知』『ムーンライト松山』を併結し、この区間は10両編成で運行、岡山以西の単独列車としては4両編成でした。グリーン車が中心の高知・松山とは違う14系モノクラス編成ながら、シュプール&リゾート編成が使われており、ハイクラスな普通座席となっていました。なお、山陽編成と高知・松山編成は連結されていても通り抜けはできず、車内放送も別々に行われていたと記憶しています。
この列車の最大の利点は、大阪発が確か0:15と0時を過ぎていたことでした。
夜行列車がなくなった現在では気にすることもなくなりましたが、青春18きっぷの1日とは「午前0時を過ぎてから午前0時を過ぎて最初の停車駅」とされており、0時を過ぎて大阪駅を発車する「ムーンライト山陽」は翌日の日付で乗車することができました。そのため、翌朝終点下関に到着してからも丸1日分青春18きっぷが有効というお得な列車で、実際翌日は長崎まで移動しましたが、大阪からは青春18きっぷ1回分を消費しただけで到着することがでるという、とてもありがたい列車でした(実際の始発駅は京都で、記憶では2001年当時は確か23:27でした。このため始発の京都から乗車する場合は、0時を過ぎて最初の停車駅である大阪までの乗車券当時540円が必要でした)。
こんなたわいもない思い出ですが、夜行列車もなくなり、ホームも洗面台もいつの間にか風前の灯火となり、今はもう経験できない懐かしい風景の仲間入りとなってしまいました。