倉吉線廃線跡 緑の木々に包まれる泰久寺駅跡付近
なんとなく、日本を代表するアニメっぽい世界観が漂う廃線跡。
1985年(昭和60年)に廃止となった、鳥取県の倉吉線跡です。
倉吉線はほぼ全線にわたって何らかの痕跡が残されており、特に終点の山守駅とその一つ手前の泰久寺駅との間には、線路がほぼ完全に残されている区間があります。
トンネルの通行には事前の申請やツアーへの参加が必須となりますが、その他の区間は特に立ち入りに制限はありません。
泰久寺駅から山守駅方向へ向かって歩いていきます。なお、泰久寺駅跡周辺には駐車場がなく、道幅も狭いためやや離れたところにある専用駐車場を利用します。
線路の周りには大きな木が育ち、廃線からの年月の長さが想像されます。
線路から竹が生える 廃線跡屈指の映えスポット
そして、倉吉線廃線跡の中でも最も注目されるのが、この線路から延びる長い竹です。
当然現役時代にはあるはずはなく、廃線後伸びてきたものです。冒頭の記載ではありませんが、何となく日本を代表するアニメの世界が思い起こされます。道路とも竹やぶや森で隔離されているため、実に静かな不思議な空間です。
もともとは3本ありましたが、2021年秋に1本が枯れ始め、雪の重みで倒れてしまったため、2022年1月に伐採されました。残る2本もそろそろ寿命を迎えるということで、この光景が見られるのもあと数年といったところだそうです。
SLや混合列車が遅くまで残った倉吉線 第一次特定地方交通線として廃止
倉吉線は、山陰本線と接続する倉吉駅から、倉吉市の山守駅を結んでいた、全長20kmの路線でした。
町の中心から外れたところを通る山陰本線に対し、倉吉線は倉吉市の旧市街地を通る路線で、実際1972年(昭和47年)までは、倉吉線の打吹駅が倉吉駅を名乗っていました。
将来的には、終点の山守駅から姫新線の中国勝山駅までを結ぶ南勝線と接続し、陰陽連絡線の一つとなる計画もありましたが、南勝線は起工はされたものの完成することはなく、倉吉線は盲腸線となっていました。
1981年頃には、倉吉駅を起点として終点の山守駅までが1日6往復、途中の西倉吉駅または関金駅までが1日6往復という閑散路線で、1984年までは客車と貨車による混合列車も残っていました。線路も極めて低規格で、混合列車による運転では途中での荷物積み下ろしなどの手間も含め、倉吉―西倉吉6.8㎞を30分近くかかっていました(ディーゼルカーの場合は、10~15分程度で走破していたようです)。
かつては倉吉市の市街地を走ることなどから、本数は少ないながら活気に満ちていた倉吉線も、自動車の普及とともに次第に利用は低迷。1968年(昭和43年)には国鉄が発表した「使命を終えた路線」、いわゆる赤字83線の一つとして早くも廃止候補に選定されましたが、この取り組み自体が中途半端に終わり廃止は免れました。
しかし、国鉄改革が進む中で赤字ローカル線の整理も進み、1980年(昭和55年)には国鉄再建法に基づき、廃止を前提とした特定地方交通線に選定。その中でも、最初の廃止候補となった第一次特定地方交通線に選ばれた倉吉線は、地元では乗って残そう運動もみられたものの、わずか12往復ではすでに交通機関として役割を果たせるものではなくなっており、1985年3月限りで廃止となりました。