フランス交通機関のストは1ヶ月を経過 いったいいつまで続く? よく似ている日本であった「スト権スト」とは?

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スト開始から1ヶ月経過 そもそもなんのスト?

フランス交通機関のストライキは、12月5日の開始からついに丸1ヶ月が経過しました。今日1月5日は日曜日のため、週明けにも組合と政府の話し合いが持たれる予定との報道ですが、依然として先行き不透明な状況です。

そもそも今回のストのきっかけは、フランス政府の出した年金改革でした。フランスでは職種によって年金の待遇が異なり、フランス国鉄の従業員はかなり優遇された立場にありました。しかし今回の改革案ではこの優遇が無くなることになったため、国鉄労働者が改革撤廃を求めることになり、これにパリの交通公団、反政府団体なども加わって非常に大きなストに発展しました。

フランス TGV
Wikipediaより

この結果、日にもよりますが、TGVを含めた長距離列車や近郊列車が1/10からよくて半分程度の運転、パリの地下鉄14路線のうち、通常運行は自動運転の2路線のみで、残る12路線は平日の朝夕を中心に区間を限ったり間引いたりして運転しそれ以外は運休、トラム、バスも不確定運行、シャルル・ド・ゴール空港とパリ市内のアクセスは辛うじて維持というように、市民や観光客に大きな影響が出ています。

ストライキは労働者の権利 ですが「理解を得ること」も重要

最近の若い人達には、ストで電車やバスが止まると言ってもいまいちピンと来ないとは思いますが、ストライキは労働者が自分達の待遇や職場環境を守るために、事業者や経営者(以後便宜上会社と記述します)に対抗するための欠かせない制度のひとつです。労働者がストに入ると、業務が停止し会社は大きな損害を受けることになります。特に交通機関のストとなると、会社が受ける損害の他、社会活動に与える影響は甚大で、会社は社会的な非難を受けます。それを盾にストを実施して労働者の権利を主張するわけです。このため、交通機関の労働者は、他の産業に比べ会社に対し強い立場を得やすい傾向にあります。ですが、あまり無理な要求やストを繰り返し、会社が減収となったり倒産しては本末転倒です。そのあたりは労働者側も微妙な舵取りが必要で、会社がダメージを受けすぎない範囲で戦う必要があります。

ところが、今回のストを起こしているのは国鉄や交通公団の職員です。いくらストをして会社がダメージを受けたところで、倒産するわけではありません。もちろん労働者の権利を守ることも大切なことなのですが、なんといっても国民や利用者の理解あっての国鉄です。国民を置き去りにし、労働者の権利のみを主張するのは、やがて自らの首を絞めるのではないか、とも感じます。

構造的には日本もフランスも同じ? 国鉄、利用者不在、そして政治

さて、これとオーバーラップして見えるのが、1960年代後半から1970年代にかけての、日本の国鉄の労使関係です。年配の方なら、「順法闘争」や「スト権スト」に振り回された記憶のある方も多いでしょう。国鉄という背景や、利用者不在で優先された労働者側の権利、必ずしも労働者だけでなく政治的背景を感じるところも、今回のフランスのストと非常に通っています。

1960年代半ばから、日本の国鉄は赤字経営となります。その原因は複雑で、国鉄内部の問題だけではなく外部からの干渉や法律上の制限もたくさんあり、ここでは触れません。1970年(昭和45年)、国鉄は職場規律の是正と生産性向上のため、生産性向上運動」、いわゆるマル生運動を開始します。しかし、一方でこれらは労働者への管理強化を伴い、さらに労働組合潰しなどが発覚し、一部の労働組合は野党や反政府勢力の協力を得て反マル生運動を展開、労使関係が極度に悪化します。さらにマスコミが国鉄に批判的な立場に立ったことから、マル生運動は失敗に追わります。

これに勢いを得た労働者側、特に国鉄労働組合(国労)、国鉄動力車労働組合(動労)といった労働組合は、組合員数も多く、数の力も借りて攻勢に転じます。国鉄の合理化に対し、ことごとく反対運動を行い、その内容は次第にエスカレートします。反対運動を行って処分された労働者の処分撤回運動も繰り返し行われました。労働組合、労働者側に過大な力が備わった結果、生産性や効率性は著しく低下、そればかりか、職場規律の乱れなどにより日々の運行すら不安定になり、ダイヤの乱れや運休が慢性化し、国民の不満も高まりました。この頃、国鉄の膨大な赤字が社会問題になっていましたが、組織の立て直しや新技術の導入、作業の効率化すら不可能な状態に陥りました。

1970年代初めごろまでは、国内の経済に占める国鉄の重要性は、今と比べ物にならないほど高いものでした。航空運賃は庶民の利用できるような金額ではなく、マイカーの普及率も今ほどではありません。高速道路も未発達で、少し地方に行けば道路整備も進んでいない時代ですから、長距離輸送から短距離輸送まで、安価で確実な輸送は国鉄の独占場でした。そして、国鉄への不満や、国鉄が原因で起こる社会の混乱の批判の矛先はやがて政権へ向くようになり、それを期待、利用する政党、反政府組織や集団も台頭してきます。

こうなると、労働組合も労働者も一体何が目的で行動を起こすのか不明瞭になり、行動を起こすことが目的となってしまいました。もはや国鉄の労働者問題は、単に労使問題ではなく、政治的な目的も絡んだ収拾のつかないものとなり、その過程で置いてきぼりとなったのが国民や利用者でした。

日本中で10日間国鉄が止まる「スト権スト」

この運動がピークに達したのが、1975年(昭和50年)に発生したいわゆる「スト権スト」でした。国鉄労働者は、法律によりストライキが認められていませんでした。あえてストライキを実施することにより、既成事実としてスト権を認めさせようというもので、11月26日から12月5日まで、実に10日間にわたって日本中の国鉄をストップさせるという前代未聞のストライキです。

この計画が発表された時、時の自民党政権でも意見が分かれ、一部ではスト権を認める動きもありました。国民生活への影響があまりにも大きく、国民の理解を得ることは困難で、政治的にも好ましくないという理由です。特に、大都市圏の通勤通学輸送の混乱はもちろん、食料などの生活物資が大都市圏に届かなくなることで社会が混乱することが予想されました。国鉄職員のストライキはに法律によって禁じられていましたが、これを首相権限で与えることが検討されました。

しかし、自民党内でも慎重論が唱えられます。首相権限によるスト権付与など、法治国家としてあるまじき行為であること、これはもはや労働者の権利主張問題ではなく、政権転覆を狙った政治問題であることなどを理由に、「国鉄職員にスト権を認めるのではなく、経営形態を含めて見直す」という意見が出ます。スト権を求めた国鉄労働者にとっては皮肉なことに、これは後の国鉄分割民営化のきっかけともなりました。結局スト開始までに政府側の結論は出ませんでしたが、自民党内では違法ストに対して強行に対処する方針が強まりました。

こうした中で1975年(昭和50年)11月26日、スト権ストが始まります。支援のため東京都交通局をはじめ全国7都市の公営交通もストに入り、通勤通学輸送は大きく混乱しました。しかし、労働組合側が期待した生活物資の混乱はほとんど起こりませんでした。

スト権ストの敗北と国鉄の影響力低下 そして解体へ

1970年代半ばには、高速道路ネットワークや道路整備も地方にまで進みつつありました。国鉄に頼らなくても、物流は隅々まで行き渡る時代になっていたのです。また、スト権スト以前の国鉄の混乱により、大荷主の多くはすでに国鉄輸送を離れ、トラック輸送へとシフトしていました。国内貨物輸送における国鉄のシェアは、 20年前の1955年(昭和30年)には50%以上ありましたが、10年前の1965年(昭和40年)には33%、スト前年の1974年(昭和49年)には13%にまで低下していました。

大都市においても、労働組合の誤算が続きました。これまで同じ交通系労働者として戦ってきた私鉄系の労働組合が、乗客を国鉄から自社へ取り込む方針へと転換。私鉄各社も「公共的使命を果たしています」とPRを行い、国鉄と一線を引く態度を明確にしました。首都圏はともかく、すでに国鉄より私鉄が優位に立っていた名古屋、関西圏ではあまり問題にもならず、マイカーの普及した地方ではすでに国鉄の影響力は小さなものでした。

首都圏など大きな影響が出た地域もありましたが、日本全体としては思ったほど影響も出ず、ストライキは行き詰りました。12月1日、当時の三木武夫首相は自民党内の意見をまとめ、記者会見で「ストには屈しない」ことを発表、ここに事実上ストライキは敗北したのです。12月3日、労働組合側もスト解除を宣言しました。この間運休した列車は、旅客列車14万本、貨物列車4万本に達し、影響を受けた延べ人数は1億人とも言われています。また、違法ストの責任として15人を解雇、270人が停職、5000人以上が減給・戒告以上の処分となった他、政府は国労、動労へ202億円の損害賠償請求を行いました。

一連の行動により、国労、動労は大きくその力を落とし、 スト戦術は一段落しました。 また、これ以降は組織力の低下で、組合内部の統率さえ取れない状況に陥ります。

また、国鉄も大きく輸送量を落とし、特にスト中にトラックへシフトした貨物輸送が戻ってくることはありませんでした。旅客輸送も大きく落ち込み、それを補うため以後運賃値上げが続くことになります。短期間での大幅な値上げは更なる旅客、貨物の減少を招き、航空会社、私鉄、内航、トラック業界は国鉄から離れた輸送の取り込みで大きく輸送力を伸ばしました。もはや経営的にも人員的にも解決の糸口がなくなった国鉄に対し世論の目も厳しく、いつしか分割民営化の声が高まるようになりました。行き過ぎた労働者の行動は、ついに職場の解体にまで発展することとなりました。

フランス国鉄の労働者がここまでのことを考えているかどうかはわかりません。しかし、スト戦術も、今までどおり通用するという保障はどこにもありません。過去と比べ、鉄道職員の労働環境ははるかに改善され、年金が優遇されるべき理由も少なくなっています。また、鉄道以外の交通機関も昔と比べてはるかに発達し、国鉄がフランス国内に果たす役割も相対的に下がっているはずです。現にスト開始から1ヶ月を経過しましたが、見るべき効果は伝わってきていません。もちろん直接フランス国民と話をしたわけではありませんので、実際にフランス国民がどう考えているかはわかりませんし、国民性の違いもありますので、単純に日本と比較してどうだと結論付けることもできないことは承知しています。しかし、果たして国民の理解をどこまで得られるかは、今一度考えてみる必要があるのではないかと、他人事ながら思います。最悪の場合、フランス国鉄の解体民営化というシナリオも、考えられなくはありませんから(実際は一度解体されていますが)。

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