もう間もなく 2026年3月31日 留萌本線が全線廃止
「日本一短い」本線である留萌本線の全線廃止まで、あとわずかとなりました。
石狩沼田駅に設置された廃止までのカウントダウンもとうとう一桁となり、連日多くの鉄道ファンでにぎわっている様子が、SNSにも投稿されています。
2026年3月改正以降、留萌本線は全列車が列車番号9000台の臨時列車という扱いとなっており、できるだけ多くの人に乗ってもらおうというJR北海道の配慮から、2月以降は通常1両のところ全列車2両編成で運行され、最終日の3月31日は3両編成で運行される予定とのことです。
また、石狩沼田駅や深川駅、秩父別駅では最終日にお別れセレモニーが予定されている他、その他の駅でも様々なお別れイベントが予定されています。
最終運行へ向け様々な行事が行われている最中の留萌本線ですが、2025年9月のある日、まだ訪れる人も少ない沿線へと足を運んでみましたので、留萌本線の歴史を振り返りながらその時の様子をご覧いただきます。
留萌本線の歴史1 漁業や交易で栄えた留萌
留萌本線が開業したのは、1910年(明治43年)11月23日のこと。函館本線の前身となる北海道官設鉄道の深川駅が開業した14年後のことでした。
終点の留萌周辺は、江戸時代からアイヌの人たちが暮らす場所で、ニシン漁の盛んなところとして日本本土からも出稼ぎ労働者が訪れるなどしていました。また、サハリンや遠くロシアとも交流があり、函館に本拠を置く松前藩との交易の中継点としても栄え、本州からの定住者もいたとされています。
明治になり北海道の開拓が進むと、まず1877年(明治10年)に現在の町村役場の前身となる戸長役場がこの地に設置され、同時にアイヌ語で「ルルモッペ」と呼ばれていた場所であることから、留萌と名づけられました(諸説あり)。
留萌は当初600人ほどの人口の小さな町で、現在の市街地となるところには留萌川が蛇行し、大きな船が着ける港もありませんでした。陸路もなく船がほぼ唯一の交通手段であったことから地元の有志を中心に土地の改良となにより港の建設の必要性が訴えられるようになります。
ちょうどこの頃、北海道では各地の開発のためには港と鉄道の建設が非常に重要であることが認識され、さらに1905年(明治38年)には留萌港近くに大和田炭鉱が操業を開始。留萌の鉄道敷設の請願が港の建設要請と同時に強く行われるようになりました。

こうした声を受け、留萌の発展に大きく寄与した道会議員の五十嵐億太郎や、沼田町の開発に尽力した沼田喜三郎など有力者の協力により1907年(明治40年)に深川駅ー留萌駅の工事が始まり、1910年(明治43年)11月23日に当初より官営鉄道として開通を見ました。留萌本線開通前は、船を利用して札幌との間を行き来していましたが、冬には時化で運行できないことも多く、これにより年間を通じて安定した往来が可能となり、留萌地域の発展により一層拍車がかかることとなります。
留萌本線の開通を時を同じくして、留萌港の整備も始まりましたが、技術的な問題から工事に相当の時間がかかることがわかりました。このため、すでに港として整備されていた増毛港までの鉄道整備を急ぐこととなり、1921年(大正10年)に留萌駅ー増毛駅が開業、留萌本線が全線開通しました。さらに1927年(昭和2年)には、留萌本線の一部として留萌駅から北へ延長され大椴駅まで開業。1937年(昭和12年)の古丹別駅延長に伴い留萌駅ー古丹別駅を羽幌線として分離、太平洋戦争を挟み1958年(昭和33年)に天塩線とつながり、留萌駅から宗谷本線に接続する幌延駅が全線開通しました。
なお、1922年(大正11年)に公布された鉄道敷設法によれば、増毛駅からさらに延長して札幌駅までを結ぶ計画がありましたが、結局実現することはありませんでした。




また、石炭輸送を目的として天塩炭鉱鉄道や留萌鉄道が設立され、このうち留萌鉄道は留萌駅で分岐し留萌港内に敷設された海岸線と、恵比島駅で分岐して各炭鉱を結ぶ炭礦線が敷設されました。このうち、海岸線はのちに国有化され、留萌駅は北(羽幌線・天塩炭鉱鉄道)、東・南(留萌本線)が発着するターミナルとなり、留萌本線は沿線で掘り出した石炭や留萌・増毛港で水揚げされたニシンなどの輸送で大きな賑わいを見せました。この他、途中の石狩沼田駅には1931年(昭和6年)に札沼北線が接続、1935年(昭和10年)には札沼南線と接続し、札幌まで線路がつながりました。
留萌本線の歴史2 ニシン漁の不良やエネルギー転換で過疎路線に
しかし、留萌本線の輸送のピークは意外と早く訪れることとなります。
漁業の中心であったニシン漁は、最盛期の1903年(明治38年)には留萌沖で年間75万トンを記録していたとされますが、その後乱獲や環境の変化により激減。1955年(昭和30年)にはわずか200トンとなり、1957年(昭和32年)を最後に留萌沖でのニシン漁は終わりを告げました。
1960年代に入ると、エネルギー革命により燃料の主役は石炭から石油に移り、さらに海外産の安い石炭が入ってきたことなどから、国内の炭鉱は次々と閉山に追い込まれ、1967年(昭和42年)には鉱山の閉山により天塩炭鉱鉄道が廃止、1960年代半ばまでは順調な経営を続けてきた留萌鉄道も、相次いで沿線の鉱山が閉山したことにより1968年(昭和44年)に営業休止となりました。

こうして留萌本線沿線では産業が失われ、人口の減少が加速。1960年代初めには44,000人の人口があった留萌市、19,000人の人口があった沼田町では、2000年代にはそれぞれ20,000人、3,000人まで減少しています。貨物輸送の減少とともに人口減少は旅客輸送の減少も招き、モータリゼーションの進展もあり留萌本線の利用も右肩下がりの傾向が続きました。
それでも、国鉄時代には道路輸送が貧弱だったため、1961年(昭和36年)には留萌本線初の優等列車である準急『るもい』が小樽・札幌駅ー留萌駅で運行を開始、翌1962年(昭和37年)には函館本線・留萌本線・羽幌線経由で札幌駅ー幌延駅を結ぶ急行『はぼろ』が設定されます。留萌本線を前線走破する準急『ましけ』も1965年(昭和40年)改正で登場、これらの列車は1966年(昭和41年)改正で準急列車が廃止されたため急行に格上げされ、その後運転区間の変更もたびたびありましたが、留萌本線を走る優等列車として活躍しました。
1967年(昭和42年)当時の時刻表を見てみると、深川駅基準で急行が4往復、普通列車が12往復というダイヤが組まれ、普通列車に限ってもほぼ1時間に1本程度の運転本数が確保されていました。また、急行のうち2往復が札幌駅発、1往復が旭川駅発で、3往復が羽幌線直通、普通列車2.5往復が石狩沼田駅から札沼線経由札幌駅発着、1.5往復が恵比島駅から留萌鉄道へ乗り入れていました。
その後、道路の整備や沿線人口の減少により列車本数や利用客は激減、急行列車は1986年(昭和61年)改正で廃止され、1987年(昭和62年)のJR発足時には深川駅ー留萌駅で1日8.5往復、留萌駅ー増毛駅で1日6往復と、廃止前と大差ない運行本数にまで減少していました。
この間、また、1975年(昭和50年)に2,245人だった深川駅ー留萌駅の輸送密度は、JR発足時には418人まで減少。国鉄時代にはかろうじて乗車密度が1,000人を超え、かつ平均乗車キロが30㎞を超えるという特例を満たしていたため、廃止を前提とした特定地方交通線への選定は何とか免れるという状況でしたが、接続していた札沼線は赤字83線として1972年(昭和47年)に、羽幌線は第二次特定地方交通線として1987年(昭和62年)に廃止となりました。
留萌本線の歴史3 2010年代以降は縮小傾向があらわに
民営化以降は積極的に省力化がすすめられることとなり、列車のワンマン化、交換設備の廃止、自動閉塞化などが進められ、一時はドラマの舞台となるなど注目を集めた時期もありましたが、2000年代以降は少子化や高速道路の整備により利用減少に拍車がかかります。2014年には全線の輸送密度が142人、留萌駅ー増毛駅に至っては39人にまで減少。利用の少ない後者の区間は、2016年をもって廃止されることとなりました。


残る深川駅ー留萌駅間については、この時点では存続には触れられていませんでしたが、2010年代以降に発生したJR北海道の一連の不祥事を受けた経営再建の一環として、「持続可能な持続可能な交通体系のあり方」について」が公表され、今後不振の続く路線については整理される可能性が示されました。
こうした中、JR北海道が留萌本線の廃止を検討しているとする記事が2016年10月に地元新聞に掲載され、翌11月にはJR北海道は「当社では維持することが困難な線区について」公表し、留萌本線はその中でも「極端にご利用が少ない線区」として、バス転換を含めて地元と協議することを正式に発表、北海道もこれを容認しないものの否定はしないという曖昧な立場でコメント発表し、北海道による支財政支援は当初より厳しい状態でした。
これを受けて沿線市町村であるの深川市、秩父別町、沼田町、留萌市のうち、留萌市は仮に鉄道として存続させた場合の年間負担額が6億円となり、北海道の支援なしでは存続は難しいことをいち早く表明、このため2020年8月には2023年3月末をもって石狩沼田駅ー留萌駅はバス転換を行うこととし、残る深川駅ー石狩沼田駅はひとまず部分存続で合意となりました。
しかし、2021年2月にはJR北海道は部分存続は困難とし、同年8月に沿線4市町村が全線廃止を受け入れたことから、現在残っている深川駅ー石狩沼田駅についても、2026年3月末をもって廃止となることが決まりました。
留萌本線 全線廃止後の交通体系は?
留萌本線全線廃止後の交通体系については、すでに2025年3月にJR北海道から発表となっています。
留萌本線の平行区間には、路線廃止前から地元のバス会社によりバス路線が運行されており、廃線後もこれらが実質的に代替バスとして機能しています。
2023年の留萌駅ー石狩沼田駅廃止の時点で、留萌市内ー深川駅-旭川駅に5往復に加え、羽幌市内と旭川駅を結ぶ高速バス1往復(ただし実証実験の扱い)、沼田町内ー深川市内に4往復、それに朝の貸切バスが石狩沼田駅→深川駅に1本設定されています。2026年の全線廃止により、これに加えて沼田町ー深川駅に新たに路線が開設され、速達便として4往復が設定されます(運行本数はいずれも平日)。
また、路線バスの運行のない時間帯を中心に、乗り合いタクシーも設定されています。
