103系R1編成 和田岬線から引退へ JR西日本が発表
JR西日本は2023年2月27日、和田岬線で使用している103系R1編成が引退することを発表しました。
この103系R1編成は、2001年の和田岬線電化に伴って当時の森ノ宮電車区から転属してきた車両で、以後22年にわたり和田岬線専用として使用されてきました。
しかし、いずれの車両も1973年(昭和48年)の製造で、2023年で製造後50年となり、近年は老朽化による車両の置き換えが噂されるようになっていました。
ラストランはダイヤ改正日となる2023年3月18日ですが、運行時刻は混乱を避けるため非公開となる見込みです。
また、JR西日本では103系の引退を記念して様々なイベントを企画しています。
JR西日本 ニュースリリースより
JR西日本207系に6両編成と2両編成が登場 編成番号が区分される
これと並行する形で、数日前からJR西日本の207系に6両編成と2両編成が誕生か、と一部で話題となっています。
これは、網干総合車両所明石支所に所属している4両編成のT03編成とT18編成の2編成を組み替えたもので、以下のように編成されています。
X1 | クモハ207 -1003 | サハ207 -1103 | モハ207 -1006 | サハ207 -1027 | モハ207 -1032 | クハ206 -1041 |
Y1 | クモハ207 -1041 | クハ206 -1003 |
6両編成にはX1、2両編成にはY1という編成番号が新たに与えられていることから、車庫内での一時的な仮編成というわけではなく、営業運転用に新しく区分されたのではないか、と噂されていました。
207系が6連、2連で編成されるのは、京阪神緩行線へ初投入された1994年から、JR東西線が開業しJR宝塚線や学研都市線と一体運用されるようになった1997年まで見られた以来となります。
207系・321系の4扉車は、2022年改正で京阪神緩行線自体が減便されていることに加え、225系投入の玉突きにより2023年改正でおおさか東線が3扉車に統一されることから、4編成~5編成程度が余剰になるとみられ、事故廃車を除くと、量産先行車である7両編成が2022年4月に初の廃車となっています。このため、車齢的に新しい321系はともかく、初期車の製造から30年以上が経過する207系の余剰車発生は避けられない状態となっており、今後の運用がどうなるのかは早くから注目されていました。
和田岬線103系
和田岬線旧型客車
和田岬線は207系に置き換えか 播但線・加古川線の103系の行方は?
さて、そうなると新編成の207系の投入先として想定されるのはどの線区か? ということが合わせて話題となっています。
6両編成の投入先としてもっとも有力視されているのは、やはり103系が引退する和田岬線です。実際に103系が検査などで運用を離れた際は、207系が3+3連を組成して運用についていました。
では、2連はどうなるのでしょうか?
今のところ、編成替えは先に挙げた1編成のみで、後に続く編成は情報がありません。
ブログやSNSでは、播但線や加古川線に配置され、残る103系を置き換える予想も展開されています。
現在103系は播但線に2連×9本の18両、加古川線に2連×4本の8両が在籍していますが、いずれも車齢は高く、近く置き換え対象となることは間違いありません。
ただし、播但線、加古川線ではワンマン運転が実施されており、見たところY1編成はワンマン改造は行われていないようです。また、両線の103系はトイレが設置されており、今のところY1編成にトイレが設置された形跡はありませんし、トイレ設置工事を行うくらいなら、221系を投入したほうが手っ取り早そうです。
ではその他に2連の使用先はあるとすればどこなのか? それは和田岬専用の予備編成ではないかとも推測されています。
2022年現在、和田岬専用の103系R1編成が検査などで運用を離れた場合、予備編成として207系の3+3連で6両編成を組成して代走が行われますが、この予備編成を組成するためには207系7連2編成分の3両編成が必要となります。しかし、2連1本を予備としておくことで、4連1本とペアを組めば1編成分で予備車編成が捻出できるため、2連が組成されたのではないか、というものです。
いずれにしても、これでJR西日本に残る103系は26両となり、JR九州の1500番台を合わせても41両を残すのみとなり、いよいよ最後の時が近づいてきたように思われます。
貨物支線として建設された和田岬線 旅客列車は朝夕のみ
和田岬線は、山陽本線兵庫駅から和田岬駅を結ぶ、2.7㎞の路線です。和田岬線というのは通称で、正しくは山陽本線の支線となっています。
かつては、神戸市中央卸売市場のあった神戸市場駅と、現在のメリケンパークに当たる兵庫港駅までを結ぶ兵庫臨港線も途中で分岐していましたが、いずれも貨物営業の削減と周辺地域の再開発により1984年(昭和59年)に廃止となりました。
和田岬線の歴史は古く、山陽鉄道(現在の山陽本線)兵庫―姫路の建設のための資材輸送用として1888年(明治21年)に敷設され、1890年(明治23年)より貨物支線として営業を開始しました。このころより、臨海部ということもあり多数の工場が進出しており、山陽本線開業後はその貨物輸送を目的とした路線で、旅客営業を始めたのは1911年(明治41年)のことでした。
戦前・戦中と貨物輸送でにぎわった和田岬線も、戦後のモータリゼーションの進行で貨物輸送は減少。工場地帯を走るという環境もあって、日中の利用者も少なく、貨物列車の廃止後は、主に平日の朝夕のみ運転で、日曜・祝日は2往復という特殊な路線になっていました。
1985年(昭和60年)に国鉄から旧型客車が廃止された後も、和田岬線では1990年まで旧型客車が使用され、定期列車として旧型客車が使用された最後の路線となりました。短距離の平坦線であること、乗降は和田岬行き基準で右側だけということから、この側面にだけ扉が増設され、座席もほとんどが撤去されていました。この後にはキハ35が使用されるようになりましたが、はやりホームのない側の扉は非常用として残された中央扉以外は閉鎖され、さらに兵庫方のキハ35は機関を撤去されてキクハ35となるなど、その特殊ぶりは健在でした。
2001年には電化が完成、この時点より103系による運転が始まりました。その一方、それなりの利用者があるにもかかわらず、周辺開発と合わせて存続問題が持ち上がるなど、その特殊ぶりは車両以外にも健在です。
なおJR西日本によれば、和田岬線単体での収支は黒字となっており、現在のところ廃止する予定はないということです。