郵便番号の順序の謎 割り振りにルールや法則はあるの?
2021年も明けて10日ほどが経過しました。日本人の年末年始恒例行事のひとつとも言える年賀状のやりとりもそろそろ一段落、という方も多いと思います。
さて、年賀状に限らず郵便物といえば欠かせないのが郵便番号です。近年は年賀状の作成ツールの普及で以前のように手書きで書くことも減り、転居などがない限りは昨年のデータから引き継ぐだけで、新たに入力する機会もほとんどなくなりました。郵便番号を手書きする機会も減り、あるいはネットで検索したりツールが自動で入力してくれたりと便利になり、かつて「ポスタルガイド」見ながら郵便番号を調べ、住所を手書きしていた時代を知っている人はそれなりの年配の方となるでしょう。
すっかり意識することも減った郵便番号ですが、その番号の順序の割り振りに疑問を持ったことがある方も多いのではないでしょうか。
郵便番号の最初の3桁を見てみると、東京は1××で大阪市は5××、金沢市は92×、福島市は96✕、鹿児島市は89×、札幌市は00×と、何となく法則性のある地域もありますが、必ずしも北から順番、あるいは南から順番というものでもなさそうです。
実は、郵便番号は当時の鉄道輸送体系を基準として考えられており、そのために全国で飛び番が起こることになったのです。
かつては鉄道郵便車で運ばれた郵便
日本で鉄道が開業したのは1872年(明治5年)のことで、この前年に制度化されていた郵便事業は、さっそく鉄道輸送に組み込まれることになります。1892年(明治25年)には初めての郵便専用車両も登場、鉄道路線網の拡張にあわせて鉄道郵便輸送もその範囲を拡大し、次第に全国へと広がりました。自動車もない時代、確実に人や荷物を遠くへ輸送する手段は、鉄道しかありませんでした。
太平洋戦争後、郵便事業は郵政省、そして鉄道省は国鉄へと再編され、さらに法律により鉄道事業者は、郵政大臣から求められた場合には郵便物を輸送する義務を追うことになりました。
この法律に基づき、特に全国に路線網を持つ国鉄では数多くの郵便輸送車を保有し、郵便車を連結した列車が多数設定されていました。ただ、需要の関係から一部に存在した郵便、荷物の合作り車を除くと、郵便車の大半は郵政省の所有物でした。
郵便番号制スタート 国鉄の輸送体制に合わせて順番に割り振り
1968年(昭和43年)7月、郵便物の仕分け自動化のため、日本で初めて郵便番号が導入されました。2021年の今日、郵便番号と言えば7桁ですが、この時は3桁または5桁でのスタートでした。ただし、7桁化にあたってもこの時の割り振りがベースとなっているため、現在の7桁郵便番号の基礎はこの時に作られました。
郵便番号の順番と割り振りにあたっては、都道府県単位を中心に全国を100の地域に分け、まずは郵便局の区分ごとに上の2桁が割り振られることになりました。この番号が、当時郵便のほとんどを輸送していた国鉄の路線、輸送体制に従って割り振られたのです。
郵便件数が最も多く輸送上の中心ともなる東京を1として1××とし、まず東京周辺が1××~2××、そこから東海道本線、中央本線、信越本線に沿って北関東・甲信越地方から東海地方が2××~4××、名古屋市が45×となります。そこからさらに東海道本線に沿って近畿地方が5××~6××と西へ進んでいきます。ここからは山陰本線に分岐し、山陰地方が68×~69×で600番台は終了です。
700番台は、山陽本線に沿って中国地方に入り、岡山県の70×~山口県の75×となります。本州の西端に達した後は、700番台後半は岡山から宇高連絡船を介して四国へと続き、関門トンネルをくぐって九州は8××で、鹿児島県が89×へと続きます。ちなみにその続きとなる90×は沖縄県ですが、郵便番号が導入された当時はアメリカの統治下にあったため予定番号とされ、実際に運用されたのは1972年(昭和47年)の本土復帰後でした。
沖縄まで南下した後、今度は今までのルートで通らなかった地域を経由します。
大阪を起点とし、日本縦貫線に沿って91×が福井県、以降95×の新潟県まで続きますが、ここからは東京から北上する番号へとバトンタッチとなります。
福島県のうち、東北本線沿いは96×、常磐線沿いは97×、宮城県が98×、山形県で99×となった後、秋田県で01×となり、北海道は青函連絡船の発着する函館市が04×で、宗谷地方の09×まで北上します。ただし、新しく郵便区分された札幌市は、空き番であった00×が後に使用されています。
つまり大まかに書くと関東→中部→近畿→中国→四国→九州→沖縄→北陸→東北→北海道という順序なり、市販の時刻表の掲載順序と概ね一致するわけです。
国鉄郵便輸送の衰退 そして廃止へ
郵便番号が制定された1960年代後半は、国鉄郵便輸送の全盛期で、国鉄は単に郵便を輸送するだけでなく、郵便車内では投かんされた郵便物の仕訳を行っていました。このため、郵便車には郵便職員が乗り込み、鉄道郵便局としての機能を持っていました。
しかし、1971年(昭和46年)をピークとして国鉄の郵便輸送は減少に転じます。宅配事業者の台頭で、これに対抗するためきめ細かいサービスを行いたい郵便局と、赤字による合理化を行いたい国鉄の思惑が対立することになります。折しも高速道路の延伸や航空便の値下がりにより、郵便局では順次トラック、航空輸送へとシフトしていくこととなり、1986年(昭和61年)のダイヤ改正で国鉄による郵便車を使用した郵便輸送は全廃、JRへと引き継がれることはありませんでした。
なお、先にも述べた通り郵便車は一部を除き郵政省の所有物であり、余剰となった郵便車は国鉄でも使用するあてもなく、かといって郵政省としても無用の存在となったことから基本的に廃車され、中には実働4年程度の車両もありました。
1998年、郵便の効率化のため郵便番号の7桁化が行われ、郵便仕分けはほぼ自動で行われているそうです。しかし、その番号の割り振りには、実は当時輸送の主役であった鉄道郵便輸送がベースになっているのです。たかが郵便番号、されど郵便番号、輸送の主役の移り変わりまで感じられるものでした。
なお郵便車による郵便輸送は廃止されて久しいですが、近年では環境問題やドライバー不足問題などにより、郵便はコンテナ列車に積載され盛んに輸送されています。