『サンダーバード』17号が雪で32時間遅れ ちなみに史上最も遅れた列車は何?

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1月9日発『サンダーバード』17号 32時間遅れで金沢へ到着

北陸地方に降り続いた大雪の影響で、大阪発金沢行きの『サンダーバード』17号が1月10日、32時間遅れで金沢駅に到着しました。

これは、1月9日に大阪駅を出発した列車で、所定では大阪駅を10:42に発車、金沢駅には13:20に到着、さらに終点和倉温泉駅に14:30に到着予定でした。

しかし、福井県内で大雪のため福井駅で足止めとなり、まず金沢―和倉温泉の運休が決定します。ちなみに続く19号は敦賀駅で、21号は京都駅で運転を打ち切り、23号以降は全区間運休となりました。

『サンダーバード』17号が福井県内に到達した12:00過ぎ頃から、北陸本線では除雪のため敦賀―金沢が不通となりました。14:50ごろにいったん運転を再開したものの、15:18以降再び除雪のため不通となり、その後は敦賀―小松で終日運転見合わせとなってしまいました。このため、『サンダーバード』17号は福井駅で抑止されることとなりました。

翌1月10日も、除雪のため敦賀―大聖寺で運転見合わせが続き、どうにか列車の運行が可能な状態になった夕方以降に、ようやく立ち往生していた『サンダーバード』17号の運転を再開(敦賀―大聖寺の通常の列車は終日運休)、23:00ごろ定刻よりおよそ32時間40分遅れて金沢駅に到着しました。

悪天候などで列車が大幅に遅れることは昔から当然あったはずですが、近年は大きな遅れが予想される場合には初めから運休させる例も多く、また長距離列車も年々少なくなっていることから、長時間の遅れというのも珍しくなってきているような気がします。

25時間遅れもあった『 トワイライトエクスプレス』

近年で大幅な遅れとして話題となったのは、2015年2月13日札幌発の寝台特急『トワイライトエクスプレス』で、奥羽本線の大雪の影響で青森駅で運転抑止となり、終点の大阪駅に到着したのは出発翌々日の2月15日14時半ごろで、遅延時間は25時間半というものでした。もともと乗車時間が長いおかげで、乗客の大半は2泊を車内で過ごすこととなりましたが、新青森駅から新幹線へと振替えたのはわずかで、100人以上の乗客は『トワイライトエクスプレス』の予定外の長旅を楽しんだということです。『トワイライトエクスプレス』はこの直前の2月1日札幌発でも、奥羽本線での大雪のため半日にわたって立往生、終点の大阪駅へは15時間遅れで到着、2泊3日の行程となっていました。

走行距離の長い夜行列車は、遅延時間も伸びやすい 特に『トワイライトエクスプレス』は、冬には気象条件の厳しい日本海縦貫線を走破するため、たびたび大遅延となった
Wikipediaより

106時間21分、鉄道史上最も遅れた最長遅延記録の列車と言えば…急行『越路』

では鉄道史上で最も遅れた、最長遅延記録列車というのは、どんなものだったのでしょうか。

遅れ時間の正確な記録はないようですが、一般的には1963年(昭和38年)1月23日出発の新潟発上野行き急行『越路』と言われています。

その遅れ時間は、なんと106時間21分。所定ダイヤでは新潟16:05発、上野22:08着ですが、1月23日に新潟を出発した列車が上野駅に到着したのは1月28日8:29で、新潟駅から上野駅まで実に5泊をかけて運行されたことになります。

1月23日17:00頃、急行『越路』は約1時間遅れで新潟駅を発車。新潟出発時にはほぼ無風だったともいわれていますが、その後30m/sを超える暴風に見舞われ、信越本線は新潟―長岡が22:00頃まで不通となり、急行『越路』も羽生田駅で4時間ほど足止めとなります。その後運行を再開しますが、新潟から30㎞ほど進んだ保内駅構内で雪だまりに突っ込み立往生、10時間たった翌1月24日午後に運転を再開したものの、保内から20㎞ほど進んだ押切駅構内で積雪のため機関車が脱線、再び立往生となります。

1月25日午後、どうにか長岡駅に到着、16:00頃ラッセル車の先導で出発したもののやはり運行不能で、1月26日午前3時に長岡に戻り、ここで1月28日未明まで運転抑止となってしまいました(※記録によっては押切駅で立往生したまま、という記載もありますが、朝日新聞の記事によると長岡駅となっており、ここではこの説をとることにします)。

この大雪は後に「三八豪雪」呼ばれ、特に1月下旬には北陸地方でかつてないほどの豪雪となりました。長岡市では1月30日の積雪が318㎝、福井市では1月31日に213㎝と今なお観測史上最高で、同じ時期に長崎市で15㎝、鹿児島市で22㎝の積雪を観測、種子島や屋久島でも降雪が観測されました。

新聞記事には「除雪する端から積雪」などの見出しが躍り、想像を絶する雪であったことが想像されます。線路に降り積もった雪は圧雪と低温で完全に凍り付き、ラッセル車も運行不能となるほどで、つるはしで線路の氷を割って取り除くという気の遠くなるような作業が必要でした。1月27日になるとようやく天候も小康状態となり、全国から駆け付けた応援の国鉄職員と、災害派遣された自衛隊などの協力により、1月28日1:45に『越路』は長岡駅を発車、そして1月28日8:29にようやく終点の上野駅へ到着しました。

1月23日から2月1日までの10日間で、除雪列車のべ8,000本以上が運転されましたが、運休した国鉄列車は旅客・貨物合わせて12,000本以上に上り、北陸・信越方面の輸送はまさにマヒ状態となりました。『越路』の立往生と時を同じくして、1月24日に上野駅から新潟駅へ向かった急行『佐渡』も、新潟駅に到着したのは1月28日となり、こちらも約88時間遅れとなりました。この後も国鉄が正常ダイヤに戻るまでにかなりの時間を要し、上越線の最優等列車である特急『とき』が運行を再開したのは2月18日のことでした。

このような悪天候時に列車の運行を行った国鉄を非難する声は当時からありました。しかし当時の日本の道路はまだほとんどが未舗装で、少しの雪でも使い物にならなかったことから、鉄道の運休は今からは想像もできないほど生活への影響が大きく、そう簡単に運休はできなかった当時の時代背景も考慮に入れる必要があるでしょう。

北海道 学園都市線を走る721系 ポイント部分にはヒーターが入っており、着雪や凍結による不転換を防いでいる

鉄道に限らず、この「三八豪雪」をきっかけとして全国で雪に対する備えが強化されることになりました。雪国の主要道路では消雪スプリンクラーが本格的に設置され、国鉄では除雪能力の強化、ポイントへのヒーターの導入が進みました。2021年も年始から寒波に見舞われており、北陸を中心に立往生や通行止め、運休が発生していますが、雪害対策を徹底的に取り入れた上越新幹線はほぼ通常通り運行されているのは、この教訓が十二分に生きている証でしょう(もっとも、雪深い山間部をトンネルで抜けるなど立地条件の差はありますが)。

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