御堂筋線 中津行きのなぜ キングオブ中途半端な行先の謎と理由

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全国にも存在する「むかつく行先」 御堂筋線中津行きもランクイン

漫才コンビ「中川家」のネタでもすっかりお馴染みとなり、いまや「中途半端」の代名詞ともなった御堂筋線の「中津止まり」。「あとたった2駅」「新大阪に行きたいのに…」ネタじゃなくともそう思ったことのある方は多いでしょう。全国にこうした「中途半端な行先」は数多く存在するようで、Twitterでも「むかつく電車の行先選手権」というタグが人気を集めており、御堂筋線中津止まりも堂々ランクインしています。

御堂筋線は、大阪の市街地を南北に走る路線で、1日の利用客数は約120万人と全国の地下鉄の中でも飛びぬけて多い路線です。

運行形態は、北側の終点江坂で接続する北大阪急行と一体となっており、千里中央―なかもずを全線通して運転する列車(通称大運転)と、区間運転をする新大阪―天王寺(通称中運転)または中津-天王寺(通称小運転)が原則として交互に来るダイヤとなっています。そして、問題(ネタ)になっているのが、この区間列車のうち中津―天王寺を運行する列車です。

区間列車の存在理由 線内の輸送量の差

決して需要と供給が一致してるとも思えない中津止まりの列車が、なぜ存在しているのでしょうか? 

御堂筋線は、直通運転を行う北大阪急行を合わせると全線で30㎞近い路線長がありますが、その中でも利用客数が多いのは梅田―天王寺で、この区間の各駅の乗降客数を見てみると、梅田が1日約46万人、次いで難波が37万人、その他の駅でも大国町と動物園前を除いて20万人を超えています(他路線の利用客を含む)。一方、それ以外の区間で乗降客が1日10万人を超えるのは江坂、新大阪程度で、区間によって輸送量に大きな差ができています。

このため、例えば全区間を梅田―天王寺と同じ列車本数にすると、末端区間では供給過剰となり非効率的な運転となってしまいます。混雑の激しい梅田―天王寺に列車を集中させることにより、限られた資材、人員を効率的に運用しているのです。

これが、途中駅で終点となる列車が存在する一つ目の理由です。

なぜ梅田ではなく、中津折り返し? 谷町線の建設経緯に関わり

ですがここで一つの疑問が浮かびます。南側の天王寺止まりはともかく、なぜ北側の終点が、輸送量が一段落する梅田ではなく、中津または新大阪なのでしょうか。この理由知るためには、御堂筋線を含めた大阪の地下鉄の歴史を紐解く必要があります。

御堂筋線で最初に開通したのは梅田-心斎橋で、1933年(昭和8年)に運転を開始、2年後の1935年(昭和10年)に難波まで、1938年(昭和13年)には天王寺までが開業しました。戦後は財政難に悩まされながらも、1951年(昭和26年)に天王寺―昭和町が延長開業、この時から、全線通しの大運転と、梅田―天王寺の小運転の2本建ての運行形態となりました。

梅田から北へは、東海道新幹線が開業した1964年(昭和39年)に新大阪まで延長開業、従来は梅田が北側の終点だったため、すべての電車が梅田折り返しでしたが、この時に大運転は新大阪まで延長、さらに中津に折り返し用線路を設けることで、小運転も梅田―中津を延長し、中津止まりの列車が登場しました。

なぜ、梅田ではなく中津に折り返し設備が作られたのか? その理由は谷町線の存在にあります。谷町線は梅田ではなく東梅田へ発着していますが、当初の予定では御堂筋線用のホームを拡張し同じ梅田に乗り入れる(大国町のように、同一ホームで乗り換えができる)予定でした。その用地確保のため、梅田には折り返し設備を作るスペースがなく、そのために隣の中津に折り返し設備を設けることになったのです。

御堂筋線梅田駅南行きホーム
御堂筋線梅田駅南行きホーム もともとこの空間は谷町線梅田駅のスペースとして建設された しかし崩落事故で谷町線のルートが変更され、その後長年放置状態にあったものを転用して1991年に御堂筋線用として拡張された
Wikipediaより

その後計画の変更で谷町線の梅田乗り入れは幻となり、谷町線用地も使用されることもなく、中津止まりの運転形態だけが残されたのでした。

千里中央延伸 ラッシュ対策に大きな威力を発揮した中津折り返し列車

1970年(昭和45年)、御堂筋線は大阪万博の開催に合わせて、乗り入れる北大阪急行と合わせて千里中央まで開業します。この時新大阪にも折り返し設備が設けられ、新大阪―天王寺の列車も登場しますが、設定はわずかにとどまり、ほぼ終日にわたって千里中央―我孫子(なかもずまで延伸されたのは1987年)、中津―天王寺の2系統の運転とされました。

このころ、千里ニュータウンの拡張は順調に進み、新大阪以北の御堂筋線沿線の人口は急増、ラッシュの混雑も年々ひどくなっていました。現在でこそ、御堂筋線の混雑率はラッシュのピークでも150%前後と落ち着いていますが、かつては関西でも最も混雑する路線の一つでした。

それに加え、私鉄や国鉄から乗り換え客の集中する梅田の混雑は激しく、千里中央からの列車が到着してもすでに満員で、積み残しが常態化していました。さらに1991年のホーム拡張工事完了までは、現在の北行きホームで北行き、南行きの両方が発着しており、改札規制も毎朝の光景になっていました。

御堂筋線 梅田駅ホーム拡張前(南行旧線)
拡張前の御堂筋線梅田駅の様子 左が北行きで、右の南行きは現在は右方向へ拡張されて線路も移設された 今見ると、よくこんな狭いホームで乗降客をさばいていたなあと感心する 朝ラッシュには改札規制も恒例行事だった

そこで威力を発揮したのが、中津始発の列車でした。ほぼ空のまま千里中央発と交互にやってくる中津発の列車は、梅田のホームに大量に積み残された乗客を回収して発車しました。つまり、中津始発の列車は、梅田以南と以北の乗客をうまく振り分け、混雑の均等化に非常に役立っていたのです。また、中津での折り返しも、朝ラッシュには4分ほどしか時間が取れません。下車客の多い梅田を避け、中津止まりとしたことで、折り返しもスムーズに行うことができました。これが、長く中津止まり、中津発の列車が存在した理由のひとつでした。

実は中津行きは年々減少 土休日は3本のみ

もちろん、大阪市交通局時代から現在の大阪メトロでも、不便さを放置していた訳ではありません。実は2021年現在、中津止まりは朝夕ラッシュ時の一部を中心に少数派となり、区間列車の大半は新大阪折り返しとなるダイヤが組まれています。

リニューアルされた中津駅ホーム 漫才では散々な言われ様の中津駅だが、2019年度の調査によると1日の乗降客は約41,000人で、大阪メトロ107駅のうち、24位と上位にランクイン。他路線と接続しない単独駅としては12位だった 実は結構主要駅としての地位を確保している
Wikipediaより

まず1990年、大阪鶴見緑地で開催された花と緑の国際博覧会、いわゆる花博に合わせ、新幹線からのアクセス改善のため、日中の中津止まりの列車を新大阪まで延長しました。本来は花博開催期間中の措置でしたが、それ以降も定着することになりました。

さらに1995年、朝ラッシュにも新大阪発着列車の運転を開始、2006年には夕ラッシュから夜間帯にも運転時間を拡大しました。

2020年の改正では、深夜帯の中津発着列車の一部も新大阪まで延長された結果、中津止まりの列車は平日朝夕ラッシュの1/4程度、土休日には深夜の3本のみとなっています。

「中途半端」の代名詞だった中津行きですが、改正の度に数を減らしているのも事実で、やがては過去の話となり、文字通りネタ切れとなる日も近いのもしれません。

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