札幌市電の親子電車の元「親」 M101型が引退 親子電車とは何だろう?

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札幌市電 元親子電車M101形が引退へ

札幌市電を運行する札幌市交通事業振興公社は、2021年10月31日をもって札幌市電M101形を引退させることを発表しました。1961年の製造から60年間札幌市内を走り、札幌市電の全盛期から縮小、そして再延長と長い歴史を見てきた車両が引退となります。札幌市交通事業振興公社では、引退を記念したイベントを企画しているということで、その後の情報が待たれます。

親子電車とは? 連結運転の動力車として製造されたM101型

札幌市電M101形は、M100型として1961年に1両だけが製造された車両です。

この時代は高度経済成長に伴って都市活動が活発となり、特に朝夕ラッシュの混雑は年々悪化の一途をたどっていました。札幌市電でも1950年代に車両の大型化や路線の複線化が進められていましたが、都市圏の拡大や乗客の増加で抜本的な対策が迫られるようになります。

そこで、通勤時間帯の輸送力増強を図るため、2両連結運転を行うこととなり、そのために製造されたのが動力車M100型と、増結用のTc1型の2両でした。

計画では、ラッシュ時には2両を連結して運行し、日中は切り離してM100型の単行運転を行うものとされ、そのため日中は余剰となるTc1型には単独運転に必要な機器類は搭載されていませんでした。このため、Tc1型は路面電車としては極めて珍しい制御車(実際には勾配線区対策としてモーターを搭載していましたが、M100型からの給電が前提でした)となりました。連結運転時には、先頭車両には運転士と車掌、2両目には車掌が乗り来み、3人体制で運行されました。電動車が付随車を引っ張る様が、まるで親が子供の手を引く様子に似ていることから、一般的に「親子電車」と呼ばれます。

M101+Tc1の親子電車 札幌市電では十分に効果発揮できず Tc1型は早期廃車に

札幌市電 Tc1型
札幌市交通資料館に保存されている、Tc1型 運転台は片側のみで、乗降扉は非対称だった Wikipeidaより

こうしてM101とtc1は、札幌市電初の連結車両として試験的に導入されることとなりましたが、実際には連結構造の効果を十分に発揮することはできませんでした。

連結、解結の作業が手間となり、結局M101形の単行運転は行われることななく、常に2両一組で運転されることとなりました。また、ちょうど自動車が急増してきた時期でもあり、交差点通過に時間を要する連結運転は警察からも横やりが入り、結局朝ラッシュ前の1本のみ運行という意味のない状態となってしまいました。

このため、札幌市では以降の増備を連結車ではなく連接車で行うものとし、M100型とTc1型は1編成2両のみという珍しい存在となりました。

連接車の投入後は、2両編成で通り抜けもできず、ワンマン化もできないことからかえって非効率な運行体系となったため、1970年にはM101形にワンマン改造を施したうえでTc1型は廃車となりました。実働はわずか9年というものでした。

札幌市電 A830型
札幌市では、1963年以降輸送力増強用として貫通幌を装備した連接車または2両固定編成が投入されることとなり、M101+Tc1は1編成のみの存在となった 市電の縮小により1976年に連接車の運行はなくなったが、写真のA839+A840編成を含む3編成が名古屋鉄道へと譲渡され、2005年まで美濃町線で活躍した Wikipediaより

残ったM101形は、親子電車用の高出力とラッシュ用の両開き扉が使い勝手が良かったことから、1両ながらその後も長く現役を務めることとなりました。塗装もほかの車両が新塗装に変更される中、旧塗装を維持し、札幌市電の全盛期を今に伝える貴重な存在となっていました。

しかし、車体の老朽化や部品の確保の問題から、2021年10月31日をもって引退が決まり、その後は2022年秋をめどに札幌市交通資料館で保存される見込みです。

親子電車はもともと戦時中に苦肉の策として登場した

親子電車や路面電車の連結運転は、件数としては少ないものの過去にもいくつかの都市で存在していました。ただし、ほとんどのケースにおいては、戦時中から戦後の資材不足の中、整備不良で動くことができない故障車を健在な車両で引っ張って輸送力を確保した、というものです。

記録に残る中で親子電車が本格的に運行されたのは、1942年1月の名古屋市電でした。戦争の長期化で工場通勤者が激増し、輸送力増強を図る必要がありましたが、同時に資材不足で新製は思うに任せず、それどころか在来車の整備も滞る状態でした。そこで老朽化が進んでいた小型で旧型の単車から電装品を外し、これを1923年製の大型車両に牽引させて運行されました。全部で5編成が用意されましたが、もとより牽引を想定した車両ではなく、親となった電動車への負担は相当のもので、あまりスピードも出なかったようです。

戦後の1947年には京都市において、やはり資材不足で車両の整備が追い付かず、電装品を取り外した旧型車両を当時最新であったあ600形で牽引する親子電車の運行が始まります。親子電車では折り返しの際に車両の付け替えに手間が発生しますが、路線がほぼ碁盤の目で終点が少なく、かつ随所にループ線が存在した京都市電では問題がありませんでした。

京都市電 2000型
2両連結運転と単行運転を両立する車両として製造された京都市電2000型 連結運転では、1両目に運転士+車掌、2両目に車掌の3人体制となり、運転士1人のコストカットと輸送力増強を同時に達成、日中はワンマンカーとして車掌のコストカットに貢献した しかしワンマン化の進展で3人乗務はかえって非効率となり、乗客減もあって早々に連結運転は終了となった 特殊運転はとかく道路交通を所轄する警察から許可されない例が多いが、京都市内では京福、京阪京津線が古くから連結運転を行っている例があるからか、特に問題は起きなかったようだ 写真は保存車に選ばれた2001で、残る2002~2006の5両は伊予鉄道2000型として第二の人生を送っている Wikipediaより

また、京都市電では1964年から朝ラッシュ時に2両連結運転も行われていました。単純に2両の車両を連結して輸送力を増強し、日中はそれぞれが単行運転を行うことで効率的な運用を目指すものでしたが、ワンマン化の進展と乗客減、路線の縮小で1971年に廃止となりました。この他、同じ京都市内を走る京福電鉄では、1950年から制御車ク201形3両が導入されています。札幌市電とは違い、モーターは搭載されていませんが、集電用のポールは装備していました(後にパンタグラフ化に伴い、終電装置は撤去されているようです)。4軸駆動の電動車に連結されることが前提で、片運転台構造で扉配置も若干在来車と異なるものでした。1996年まで使用され、廃車となっています。

京福電鉄 ク201型
京福電鉄にかつて存在した、制御車ク201形 片運転台で、単独運転できない点では札幌市電のTc1型と同じ パンタグラフ化の後の姿で、集電装置は撤去されている ラッシュ時や行楽シーズンなどの増結用としての出番が期待されていた Wikipediaより

東京都電においても、やはり輸送力増強のため1943年に親子電車の運行が申請されています。ガソリンの不足でバスが運行できないことから、2車体をつないで応急の路面電車を製作し電動車に牽引させるもので、試運転も行われましたが結局実用化はされませんでした。

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