消えゆく国鉄型 2021年ダイヤ改正で定期運用を失った車両

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国鉄型車両がまた消えてゆく… 2021年ダイヤ改正で定期運用が消失した車両

2021年のダイヤ改正が3月13日に行われました。今年はコロナ禍の影響で全国的に減量改正となり、各地で終電の繰り上げや運転本数の見直しが行われました。

その中でも、将来を見越して車両の更新は進められており、今改正でも車両の置き換えにより、長きにわたって活躍した車両が定期運用を失う例が発生しました。国鉄が分割民営化されて今年で34年、各地でいわゆる国鉄型車両の引退が進んでいます。

『踊り子』で活躍した185系 2022年までは残存か

今改正で話題のひとつにもなったのが、185系の定期運用離脱でした。1981年(昭和56年)から東海道本線東京口の顔ともして活躍してきましたが、40年の節目でその役から退くことになります。

185系は、それまで東京と伊豆を結んでいた急行『 伊豆』系統を置き換える目的で、1981年に登場しました。

経営難に悩む国鉄は、増収作の一つとして急行列車の特急への格上げを積極的に行っており、急行『 伊豆』も新型車両への置き換えを機に特急『 踊り子』へと格上げされまれました。しかし、所要時間もほとんど急行時代と変わらず、「単なる便乗値上げ」と非難されることとなりました。

急行『 伊豆』に使用されていた153系は、本来の急行用途だけではなく普通列車にも使用されていたため、185系も特急から普通列車まで幅広く使用できる構造とされ、1両当たり2箇所設けられた幅1000mmの乗降扉など、これまでの特急車両とは一線を画すスタイルでした。2年前に登場した117系に似た前面と、白い車体に緑のストライプなど、斬新なデザインが取り入れられ、「国鉄らしからぬ」と大きな話題となりました。

185系は、長年東海道本線東京口の顔として、特急『 踊り子』に使用されてきた 前面スタイルや扉配置、連続2連窓、白い車体に緑のストライプなど、国鉄らしからぬデザインとして注目された
Wikipediaより

投入後は、当初の予定通り特急『踊り子 』として使用されましたが、普通列車としては2扉転換クロスシートでは首都圏での対応が難しく、ピークを外した一部の列車や、近郊の快速列車として使用されるに留まりました。また、座席定員制の『 ホームライナー』としては、その汎用性と輸送量が最大限に発揮できる運用として重宝されました。

1982年(昭和57年)には、耐寒耐雪と碓氷峠通過対策(通称横軽対策)を施した200番台も製造されました。これらはまず大宮暫定開業だった東北・上越新幹線のリレー号として上野-大宮で使用され、新幹線上野開業後は東北本線・高崎線系統の165系、167系を使用した急行を置き換えました。この際、停車駅の多さから特急への格上げは再び非難を浴びる可能性があったため、「新特急」というあらたな料金体系が誕生しました。

その後は東北・高崎線系統の新特急の縮小に伴い、余剰車両は順次『踊り子』増発用として転属、特急の定期運用だけでなく多客時の特急、快速、普通列車と汎用車両らしく多方面で活躍しました。

2014年以降、常磐線で余剰となった651系に玉突きされる形で運用が減少、編成単位での廃車も始まります。『ムーンライトながら』で使用されるようになったのもこの頃でした。置き換えが噂されるようになった2010年代後半になっても、数少ない国鉄型車両として首都圏を毎日走っていましたが、長年使用された『踊り子』が2021年3月改正でE257系に統一されたことで全車が定期運用離脱となりました。

なお、定期運用は失いましたが、JR東日本の発表によれば2022年頃までは波動用としての使用が予定されています。

DD51 非電化区間なら必ずいた車両もいよいよ定期運用終了

DD51は、国鉄が製造した本格的な幹線用ディーゼル機関車で、1962年(昭和37年)から1978年(昭和53年)まで製造されました。

1960年代に入ると、国鉄ではSLをディーゼル機関で置き換える無煙化計画を本格化させることになりました。当時幹線用ディーゼル機関車としては、1957年(昭和32年)以降DF50の製造が続けられていました。DF50は、国鉄としては初めての単機で運用がこなせる本格的なディーゼル機関車でしたが、亜幹線を含めてほとんどの路線での使用を可能にした反面、幹線では出力不足という問題を抱えていました。DD51はこの結果を踏まえ、当時幹線用蒸気機関車として使用されていた旅客用のC61、貨物用のⅮ51を上回る性能を持つ機関車を目指して製造されることとなりました。

非電化区間の標準気ともなったDD51 センターキャブの本線用機関車は世界的にも珍しい 決してパワーのある機関車ではなかったが、後継となるDD54はトラブル続きで短期間で廃車となり、DE50も量産されることはなく、結果としてDD51が使用され続けた
Wikipediaより

運転席を中央に配置したセンターキャブ方式を採用、両側に1基ずつのエンジンを搭載した2機関機関車で、本線用機関車としては世界的にも珍しい凸型の外観となりました。

1962年にまず試作1号機が登場。この時は当時の電気機関車の塗装に倣い、茶色に白帯という出で立ちで、ヘッドライトの形状、運転席にひさしがないなど後の量産車とは印象の異なる車両でした。製造後、さっそく性能試験を行い、奥羽本線で10‰勾配での1000t引き出し試験を実施しましたが、搭載機器の不調で実験は失敗し、所定の性能を発揮することはできませんでした。しかしこのデータは翌年製造の二次試作車(2~4号機)以降に生かされることになり、外観のマイナーチェンジに加え技術的な問題も解決され、1964年(昭和39年)より量産が開始されました。また、二次試作車からは、後にディーゼル機関車の標準ともなったオレンジに白帯塗装となりました。

碓氷峠鉄道文化むらに保存されているDD51-1 運転席上部にはひさしがなく、ヘッドライトが外へ飛び出している、ボンネット終端の形が違うなど、のちの量産車と比べ若干印象が異なる 塗装も当時の電気機関車の標準であった茶色と白帯だった 完成直後に行われた10‰勾配引き出し試験では、800t列車では成功したものの、1000t列車の引き出しは失敗に終わり、D51補機に助けられるという結果となった D51が10‰勾配で1100tの引き出しが行えるため、2号機以降では改良がおこなわれ、東北本線で行われた同試験では、1270t列車の引き出しに成功、量産化への道を開いた
Wikipediaより

1966年(昭和41年)からは重連運転総括制御装置を備えた500番台に移行、また、貨物専用として客車用の暖房電源を持たない800番台も1968年(昭和43年)から製造されました。DD51は安定した性能を発揮したこと、労使問題から新形式の開発や投入が滞ったこと、さらにコスト削減のためできるだけ標準化したい国鉄の思惑などが重なり、安定した後継機の登場がなく長期間にわたり製造されました。総製造数は649両となり、四国を除く全国に進出、非電化区間ならどこででも見られる存在となりました。一方で、DD51が配置されるとSLが廃止されることから、当時のSLファンからは目の敵にされたという話も伝わっています。

国鉄末期になると、電化の進展や貨物列車、客車列車の削減で次第に余剰車が発生、1987年(昭和62年)4月のJR発足までに6割が廃車となり、259両がJR各社へと引き継がれました。

非電化区間がほとんどの山陰本線では、寝台特急『出雲』の牽引にもあたった DD51の中でも花形ともいえる運用のひとつだった なお、写真は本来経由しない岡山駅で撮影されたもので、撮影日は不明とあるが、列車は『出雲』1号とあるので、1993年9月~1996年12月の間、山陰本線電化工事に伴う迂回運転中である可能性が高い
Wikipediaより

その後も電化の進展や客車列車の削減は続き、それにつれてDD51も次第に両数を減らしていくこととなります。貨物列車についても、後継機となるDF200が1992年から製造されたため、DF200の増備に合わせて運用が減少。最後まで定期運用が残ったのは愛知機関区の6両で、稲沢機関区と四日市駅の間を運行する貨物列車でした。この列車も2021年3月改正でDF200に置き換えられ、DD51の定期運用は消滅しました。

JR貨物塗装に変更されたDD51 写真は山陰本線での迂回運転時のもの 定期の客車列車牽引は『出雲』を最後に消滅、最後の定期列車は貨物列車となった 最後の運用は関西本線で、2021年改正でDF200に置き換えられた 
Wikipediaより

なお、定期運用はなくなりましたが、JR東日本・西日本に12両が、JR貨物には6両が在籍、JR貨物は検査切れをもって廃車する意向を発表しているものの、旅客会社については後継車もなく、その動向は不明です。

また、JR貨物では、DF200に代わる新たなディーゼル機関車の調達に乗り出しており(全国の路線で使用でき、最高速度110㎞/hで1300t牽引が可能というEF210に匹敵する性能が示されています)、近い将来DF200の置き換えも始まるようです。

七尾線電化に合わせて投入された 113系改造の415系800番台

415系800番台は、1991年の七尾線電化に合わせて投入された車両です。

七尾線と一体となって運用されていた北陸本線の金沢―津幡は交流電化されていましたが、もともと買収私鉄路線であった七尾線はトンネルなどの断面の関係で交流電化が採用できず、電化に当たっては直流を採用することとなり、交直両用の車両が必要とされたのでした。

七尾線に投入された415系800番台 485系から交流機器を取り外し、113系に移植して製造された なかなかにインパクトのある塗装で、急行列車としても使用できるよう車内設備もグレードの高いものに交換されている 
Wikipediaより

交直両用の415系を名乗っていますが、もともとは直流専用の113系を種車に改造された車両です。

当時福知山線系統を走っていた特急『北近畿』は485系が使用されていましたが、全区間が直流電化区間のため、これらから交流機器を外して直流専用の183系へと変更、さらに外した交流機器を113系に搭載してこれを415系とし、交直両用として七尾線へと投入されました。

外観は113系のそのままで、3両編成としたため415系としては初めて制御電動車が登場しました。塗装はピンクや青の上半分に下半分がグレーという七尾線専用塗装となりましたが、後に輪島塗をイメージしたローズピンク1色へと変更されています。

全部で3両×11本の33両が改造され、七尾線で活躍しましたが、521系の増備に合わせて2015年以降運用を廃車される編成が発生、2021年3月改正では七尾線を521系に統一されたため全車両が運用離脱となりました。

晩年には、コスト削減のため車体色が1色となり、輪島塗りをイメージしたローズピンクとなった
中間車モハ112を中心に初期に製造されたグループの車両も多く、2021年の引退時まで運用された21両のうち、昭和30年代に製造された車両が4両あった

なお、C2編成に組み込まれたモハ414-802の種車であるモハ112-12は、113系の中でも最古参にあたり、1964年(昭和39年)7月に新製配置されました。ちょうど東京オリンピックの直前で、2020年の東京オリンピックが開催されれば「オリンピックを2度経験した車両」となる予定でしたが、東京オリンピックが延期されたため実現しませんでした(宮原機関区に始まり、ずっと関西地区に配置されていたため、オリンピック輸送には直接参加はしていないものと思われます)。

国鉄末期の輸送改善の立役者 急行型改造の413系

急行型電車を種車として製造された413系 首都圏や関西圏を除き、1980年代に入っても地方都市の国鉄は車両もサービスも旧態依然のままで、立て直しが急務だった 汽車ダイヤから国電ダイヤへの移行が各都市で進められたが、財政が火の車であった国鉄では、新型車両を大量に製造することは不可能だった ひとまず余剰となっていた急行型電車を活用することで、必要な両数を賄うこととなった
Wikipediaより

413系は、国鉄末期に登場した車両で、1986年(昭和61年)から製造されました。

当時の北陸本線の普通列車は、記者時代の面影を強く残すもので、旧態依然な客車列車や、余剰となった通勤輸送に不向きな急行型車両を使用して運行されるものがほとんどでした。いずれも大編成を組むことが前提なため、長編成の列車が時々運行される程度というダイヤで、車両面でもサービス面でも改善が不可欠な状態でした。

しかし、国鉄は膨大な赤字が国民からの大きな非難を浴びており、車両の投入も極度に抑制せざるを得ず、向上しないサービスがさらに批判や乗客減を招くという悪循環に陥っていました。

そこで、大量に余剰となっていた急行型電車を改造し、足回りや部品を極力再利用することで製造コストを抑えて需要に応じた近郊電車を製造することとなり、このうち北陸本線に投入されたのが交直両用の413系でした。

改造のもとになったのは457系(471系、473系、455系を含む これらはモーター出力などの違いで、基本構造は同じ)で、全部で3連×11本が登場しましたが、このうち先頭車2両については455系のままとされたため、総数は31両となっています。

車体は近郊輸送と通勤輸送の両立が図れるよう、両開き扉を片側2か所に設置、車内は扉付近のロングシートとボックスシートのセミクロス仕様となりました。極力コストを削減するため、シートやつり革、荷棚、窓枠などには極力種車の再利用か廃車発生品が使用されています。また、足回りにも極力種車のものか廃車発生品を利用していますが、メンテナンス向上につながる部分には新品も使用されています。

登場時から一貫して金沢地区に配置され、北陸本線の近郊輸送として広範囲に活躍していましたが、2015年3月に北陸新幹線が金沢まで開業、並行在来線として北陸本線が経営分離されたため、5編成があいの風とやま鉄道へ譲渡されています。

残った編成は引き続き金沢地区で運用されていましたが、521系の増備より2021年3月改正をもって運用を離脱しました。

なお、1編成がえちごトキめき鉄道へ譲渡される予定で、観光列車として2021年5月頃を目途に運行開始する予定です。

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