和歌山線から引退で近畿地区から撤退する105系 なぜ3扉と4扉が存在するのか、実は首都圏にも馴染みの深い存在

105系 関西地区からラストラン

L25 Mc105-518

和歌山線105系
Wikipediaより

2019年9月30日をもって、和歌山線・桜井線で105系の運用が終了しました。

これにより、長きにわたって奈良県、和歌山県を中心に活躍してきた105系の運用に終止符が打たれ、また一つ近畿地方から国鉄型車両が消えることになります。10月26日にはさよなら運転が行われ、これが文字通りラストランになる模様です。

なお、ラストランの運転時刻は以下の通りで、当日は4両編成で運転されます。

 

(往路)和歌山駅9:16 ― 9:34 岩出駅 9:39 ― 9:47 粉河駅 10:00 ― 10:27 橋本駅

(復路)橋本駅13:09 ― 13:35 粉河駅 13:43 ― 13:55岩出駅 13:27 ― 14:15 和歌山駅

 

快速運転のため、上記以外の駅では乗降できません。また、普通乗車券のみで乗車できるとのことです。

 

全国各地で国鉄型の引退が進む中、地味に頑張ってきた105系でしたが、2010年代以降は新形式への置き換えが進み、奈良・和歌山地区においても227系が投入されたことから、運行を終了しました。

ステンレス地の扉、むき出しの車内蛍光灯など、関西ではあまり見られない「東京設計の国電」スタイルを保っていました。

なお、主電動機は国鉄標準のMT55で、昔懐かしい「国鉄の音」も聞くことができますが、比較的駅間が近く、最高速度も低い路線での活躍のため、高速回転時の唸るような音を聞くことは難しいかもしれませんね。

  1M方式を採用した新性能電車

105系は国鉄末期に輸送単位の小さな路線向けに1981年(昭和56年)から製造された車両で、合計126両が製造されました。仙石線に4両が配属されたほかは全て関西以西に配置、それもローカル輸送を中心に使用されたため、同時期に製造された201系などと比べマイナーな存在です。

このうち、奈良、和歌山地区へは、国鉄末期の1984年(昭和59年)10月の奈良線、和歌山線(一部)、紀勢本線(一部)の電化に合わせて投入されました。

 

105系は大きく分けて、新製車である片側3扉グループと、103系からの改造車である片側4扉グループの2つに分けることができます。新製車グループは山陽地区に、改造車グループは関西地区へと配属されました。

 

国鉄では1960年代以降、首都圏や大阪圏の車両の置き換え用として、103系や113系を大量に増備してきました。これらの新性能電車は、走行機器を2両に分けて搭載するユニット方式を採用していました。一方で、新性能電車の配属によって、従来の72系や80系といった旧性能電車は、その活躍の場を地方に移します。これらは走行機器が1両単位ので完結されており、地方路線での短編成の列車に好都合でした。

一方、新性能電車で採用したユニット方式は、大都市圏で長編成を組んだ場合は車両ごとの重量配分や走行性能の均等化に役立ちますが、短編成化にはやや不向きなシステムでした。

1980年代になると地方路線の旧性能電車が老朽化で置き換え対象となりましたが、1~2両の短編成で運行されていた地方路線では、103系や113系では最低でも3~4両編成となることから輸送力過剰となり、旧性能電車の運行形態そのままに置き換えできる車両が必要となったのです。

こうした要求に応え、製造されたのが105系でした。

105系はそれまでの新性能電車と大きく異なり、1両単位で走行に必要な機器類を完結させている(1M方式)のが特徴です。

ただし、電化路線であることからある程度の旅客需要があることを想定し、オールロングシートの通勤型車両として製造されることになりました。

 

まず1981年(昭和56年)改正で、旧型国電の残っていた山陽地区の福塩線、宇部線、小野田線へ投入、この時製造されたのは、片側3扉の新製車でした。同時期に製造された201系の流れを組み、前面窓周りを黒くしたデザインは見るからに新車らしく、投入線区では好評を持って迎えられたといいます。ただ、ローカル線向けという設計上、冷房の設置は見送られました。福塩線向けには4両編成用とされ、中間車モハ104、サハ105も当初は組み込まれていましたが、後に短編成化のため運転台が取り付けられています。

財政難で常磐線103系から改造 関東から奈良・和歌山へ移籍

一方、1984年(昭和59年)改正で奈良・和歌山地区の電化が進み、従来の気動車に代わって短編成で運行できる電車が必要となりました。しかし、膨大な赤字が社会問題になっていた国鉄では、新たな投資額が極度に抑えられており、ローカル線向けに必要な車両を新製する目途が立ちませんでした。そこで主に203系を投入して余剰となった、常磐快速線、営団(当時)千代田線で使用されていきた103系1000番台、1200番台を改造してローカル向けに転用しすることになりました。経費削減のためできるだけ種車の設備を生かすことになり、片側4扉のグループが誕生したのです。前面デサインは、中間車から改造された先頭車両は基本番台と同じものが製造されましたが、もともと先頭車だったものは種車のものを活かし、103系そのままの顔のものもありました。

JNR105-500-wakayama color

春日塗とよばれる奈良・和歌山地区カラー この電車は元103系の4扉
Wikipediaより

前面が103系1000番台そのものの105系4扉改造車
Wikipediaより
JR West JNR105 series Kabe Line

可部線105系 前2両は3扉
Wikipediaより

制御機器は105系新製車と同様のものに一新されており、グループ間での混結も可能です。

 

それ以来、長きにわたって同地区の主力車両として活躍してきましたが、103系改造グループはもともと1970年(昭和45年)から製造された車両で老朽化が進んでいることから、新製車グループより一足早く引退することになりました。

新製車グループは現在も福塩線で主力などとして使用されれています。同年代の201系は関東地区からは撤退、西日本でも編成単位で廃車が始まっており、そう遠くない将来置き換えが進むものと思われます。

短編成でレイアウトでも活躍

2両単位で編成する105系は、小さなレイアウトにも最適ですね。

実車ではラッシュ時を中心に2編成併結で走ることも多くありました。

国鉄のローカル線としては珍しく線区単位でカラーを変えたことも話題で、後に登場したものも含めカラーバリエーションも豊富です。

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