583系 TOMIXから2022年3月発売予定
TOMIXから、583系電車の発売が案内されています。
商品内容は、クハネ581を先頭とした6両編成のセットと、クハネ583を先頭とした7両編成のセットを基本に、モハネ582+モハネ583のユニットにサシ581とサハネ581の増結Aセット、それにモハネ582+モハネ583が1ユニットの増結Bセットとなっており、基本セットには動力車が付属します。
クハネ581とクハネ583の違いは、初期型のクハネ581に対し、東北本線編成増強に備えて電源を強化した車両がクハネ583となります。当初クハネ583は東北本線系統へ集中投入されたため、西日本へ新製配置されたのはわずかな両数にとどまりました。こうした経緯もあり、JR西日本が継承した583系の中に、クハネ583は含まれませんでした。
外観上では、搭載機器類の小型化によりクハネ581にあった機械室が、クハネ583では廃止されているが相違点です。
TOMIXからは、583系の編成例として、全盛期であった1970年代~1980年代初頭の姿が紹介されており、これらを組み合わせることにより12~13両という大編成で主要幹線を走っていた頃の583系の姿が再現できます。
583系とは? 昼行(座席)と夜行(寝台)の切り替えができる、世界でも稀な昼夜兼用寝台電車
583系は、1967年(昭和42年)10月のダイヤ改正で、その前身の581系が登場したことが始まりです(本稿では、特に581系を限定して記述する場合以外は、583系で統一することとします)。
581系は、新大阪まで開通していた東海道新幹線との接続列車として、この改正で新大阪―博多の寝台特急『月光』、新大阪―大分の昼行特急『みどり』として運転を開始、当初は列車名から「月光型」とも呼ばれました。新幹線接続を強く意識し、それまでの特急色であった赤色中心から、新幹線をイメージした青色系の塗装となったのも目新しい出来事でした。
寝台構造を収容するため、車両限界いっぱいまで車体が広げられたため、車体は従来の特急型車両よりも大型となり、高く深い屋根が特徴となっています。
先頭車両であるクハネ581は、従来特急用の151系、181系、481・483系(後の485系)で採用されていたボンネット構造をやめ、分割併合を想定してあらたに貫通式を採用した高運転台構造となりました。この583系の先頭スタイルは、後に製造された485系や183系、381系といった国鉄形の特急車両はもちろん、21世紀に入って製造されるJRの特急型車両にも今なお影響を与えるものとなっています。
車内は、昼行列車としても夜行列車としても使用できるよう、座席状態と寝台状態が切り替えできるという、世界でも非常に稀な構造が採用されました。
昼行列車として使用される際は、4人掛けボックスシートを採用。回転やリクライニングしない代わりにシートピッチは1,970㎜と広くとられています。ボックスシートの上には中・上段となる寝台が格納されており、夜行列車では、このボックスシートを下段の1区画とし、レール方向に就寝する(通路を挟んで両側に寝台のある)3段式寝台として使用されました。
登場当初はB寝台/普通車と食堂車のみの編成で、構造上の問題からA寝台/グリーン車の製造は行われませんでした。
翌1968年10月改正では、電化完成により東北本線でも寝台特急『はくつる』『ゆうづる』、昼行特急『はつかり』として運行を開始。この時から、九州地区の交流60hzにしか対応していなかった581系に代わり、東日本地区の交流50hzにも対応した583系として製造されることとなり、電動車ユニットのモハネ580+モハネ581は、モハネ582+モハネ583の製造に切り替えられました。ただし、周波数に関係のないクハネ581、サハネ581、サシ581は続き番号として製造されています。
また、将来予定される東北本線系統特急列車の15両化に際し、クハネ581では電源容量が不足する恐れがあったことから、1970年には電源容量を強化したクハネ583も登場しました。
なぜ製造された? 座席・寝台切り替え 昼夜兼用の583系
先にも紹介した通り、座席・寝台を切り替えできる昼夜兼行の構造を持った583系は、世界にも他に例を見ない存在でした。また、客車に比べ静粛性に欠けると言われる電車を用いた寝台車両も、20世紀初めにアメリカで採用された例はありましたが、やはり世界的に稀な存在と言えます。
こうした希少な構造を採用した理由とは何だったのでしょうか。
1960年代になると、日本の経済成長に伴い人々の移動が急増しました。まだ新幹線や高速道路は未発達で、航空機は高価で一般人の乗れるものではなかったことから、国鉄の長距離列車は慢性的な混雑が続いていました。また、首都圏をはじめとした大都市圏では通勤通学輸送が急増し、この時期の国鉄は日本中で複線化、電化が行われ、改正のたびに増発、増結を繰り返すこととなります。
しかし、本来は社会インフラとして国家が行うべきこれらの整備が国鉄単独に求められたため、資金にも限りがあり、1964年以降は投資が回収しきれず国鉄は赤字経営となります。限られた資金を有効に使うため国鉄では直接輸送力の増強となる部分に重点的に投資し、線路の改良や車両の投入が行われましたが、今度は車両基地が不足するという問題が起こりました。
また、首都圏など大都市圏では、通勤電車の増発を進めた結果、電車に比べて速度の劣る従来の客車を使用した夜行列車がダイヤの足かせとなり、特に朝ラッシュに重なる夜行列車の存在が輸送力の増強を頭打ちにしていました。
そこで、583系の投入に当たっては、単に輸送力の増強に加えて、車両基地の不足の解消と大都市圏における通勤電車の増発を実現するため、以下の点が考慮されることとなりました。
- 車両基地に滞在する時間を極力短縮し、車両を効率よく運用するため、車内設備を昼夜兼用とする
- 通勤電車と足並みが揃うよう、動力集中式(機関車+客車)をやめ加速力に優れた動力分散式(電車方式)とする
1については、夜行列車、昼行列車専門とするとそれぞれ半日は車両基地で過ごすこととなりますが、昼夜兼用とすれば特に朝ラッシュ、夕ラッシュで車両が出払っているタイミングで座席・寝台の転換を行い、それ以外は営業線上にあることで不足する車両基地を有効に活用することができます。
また、1967年10月の投入時には、関西―九州で昼行・夜行各1往復のところ、これを3編成で運行することができ、車両投入数の抑制にも威力を発揮しました。
2については、静粛性や乗り心地で難があるとされながらも、最高速度120㎞/hで運行できるメリットは大きく、実際に1968年10月改正では、それまでキハ80系『はつかり』で約10時間半かかっていた上野―青森は583系の投入で約8時間半に短縮されるなど、その効果は大きなものでした。
状況の変化で昼夜兼用のデメリットも… 意外と早かった583系の終焉
こうして運行を開始した583系は、主に関西―九州や東北本線でそのメリットを最大限に生かして1967年から1972年の間に434両が製造され、一時は国鉄特急型車両の最大勢力となりました。
しかし、1970年代になると、以下のような問題点が出てくるようになります。
1972年以降、普通車に回転もできる簡易リクライニングシートを備えた183系電車が投入されると、固定式ボックスシートの583系は昼行列車の運行時に乗客から敬遠されるようになります。また、寝台のサイズもこのころ登場した14系や24系に比べて窮屈な作りで、設備が急速に陳腐化していくこととなりました。
座席と寝台の切り替えも複雑な構造で、多くの人手を必要とすることから、合理化を進めたい国鉄としては悩みの種ともなりました。昼夜を問わない多忙な広域運用のせいで、1列車の遅れが無関係な区間の列車の遅れへ波及してしまうこともしばしばでした。
こうしたことから、1970年代後半以降は夜行列車での使用が目立つようになり、昼夜兼用であるメリットは次第に失われていくこととなりました。
さらに、1980年代に入って国鉄の利用減少や新幹線の開業で夜行列車の削減が進むと、車両基地にも余裕が生まれてきたことや、より快適性に優れた14系や24系寝台車でほほ運用が賄えるようになっていったことから、国鉄末期には100両以上の余剰車が発生しました。昼夜を問わない長距離運転が続いたため車体の老朽化も進み、分割民営化前には早くも廃車が始められています。
一部には、不足する近郊型電車として改造され、419系や715系として第二の人生を歩む車両も発生しました。
JR発足時に583系として引き継がれたのは、製造された半数以下の208両で、当初は寝台特急『はくつる』『ゆうづる』や特急『はつかり』として使用されていましたが、新型車両の投入や列車そのものの廃止で次第に定期列車に使用される例は減少、1993年12月の『ゆうづる』からの引退を最後に定期寝台特急としての使用は終了しました。
その後も臨時寝台特急や、急行『きたぐに』など定期急行列車、スキー列車シュプール号の他、イベントや団体列車として長く活用されましたが、車両の老朽化などで2012年3月改正で最後の定期列車であった『きたぐに』が臨時化。2013年には後に京都鉄道博物館で展示されることとなるクハネ581-35を除きJR西日本から全車両が廃車となりました。
その後もJR東日本では、仙台電車区に6両編成1本が在籍し、首都圏対応のデジタル無線機を搭載していたことや交直両用であることから電化区間であれば走行線区を選ばないという特性を生かし、団体列車やイベント列車として東北各地はもちろん首都圏へも顔を出すこともありました。
しかし、老朽化が進んだことから2017年4月にさよなら運転を行い、同年9月には1両を残して廃車となり、編成単位としては583系は全て引退となりました。