KATOから EF65 500番台P形が発売 昭和45年頃の『さくら』をプロトタイプ
KATOから、EF65のうち500番台、通称P形の製品化が発表されています。
同時に20系客車による『さくら』編成と、九州内で牽引に当たった(当時の長崎本線は非電化でした)DD51も製品化されています。
『さくら』が20系客車で運行されたのは1959年(昭和34年)から1972年(昭和47年)まで、EF65のP形による牽引は1965年(昭和40年)から1978年(昭和53年)までで、今回の製品化は『さくら』から1等座席車ナロ20型の連結がなくなった1968年(昭和43年)から、14系に置き換えられるまでの姿をプロトタイプとしています。
KATO 3060-4 EF65 500番台 P形特急色
KATO 7008-K DD51 0 暖地形
KATO 10-1872 20系寝台特急「さくら」 長崎編成8両セット
KATO 10-1873 20系寝台特急「さくら」 佐世保編成8両セット
どう違う? EF65 P形、F形、PF形とは?
EF65には、一般形と呼ばれる0番台の他、P形、F形、PF形と呼ばれるグループが存在し、以下のように区分されています。
- EF65 一般形
- 0番台ともいう 1965年(昭和40年)から製造された貨物用の機関車で、1-135号機までが製造された
- EF65 500番台P形
- 一般形と並行して製造されたグループで、20系寝台列車牽引のため、一般型からの改造車を合わせ25両が製造された 旅客(Passenger)の頭文字をとってP形と呼ばれる
- EF65 500番台F形
- 最高速度100㎞/h対応の10000系貨車で編成された高速貨物列車牽引用として、17両が製造されたグループ 貨物(Freight)の頭文字をとってF形と呼ばれる
- EF65 1000番台PF形
- 汎用機関車として製造されたグループで、製造数は最多 外観も一新され、旅客(Passenger)、貨物(Freight)両用のためPF形と呼ばれる
EF65 14年にわたり製造された直流区間の汎用機関車
EF65は、1965年(昭和40年)から生産された、平坦線区向けの直流電気機関車です。仕様変更を加えられながら1979年(昭和54年)までの14年間にわたり308両が製造され、一形式の電気機関車としては最多製造数を誇っています。
1950年代後半は、これまで大都市圏などに限られていた電化区間が全国へ広がりを見せ、1956年(昭和31年)の東海道本線全線電化が完成。東海道本線に続き1965年には山陽本線の全線電化も完成しました。電化区間の延伸により、この区間で貨物列車を牽引する機関車にも高速での長距離運用が求められるようになります。
東海道本線では、1954年(昭和29年)からは8軸駆動で大型のEH10や、これの小型化に成功したEF60が使用され、電化延伸に合わせて山陽本線での運用も始まっていました。これらの機関車は、一定の性能は発揮していましたが、いずれも低速域での性能に重点を置いた性能で、高度経済成長により増大しつつある貨物輸送への対応や、今後の貨物列車の高速化にはやや難がありました。そこで、高速運転と牽引力の両立を図った機関車が新しく製造されることとなり、これがEF65としてた誕生しました。
EF65は、制御系は新技術が取り入れられたものの、当時量産されていたEF60の基本システムを踏襲しているため、試作機は存在せず、いきなり量産機として1号機から始まっているのが特徴です。しかし、制御系については十分な準備期間が取れなかったため初期故障が相次ぎ、後に刷新が行われています。
EF65のうち、0番台と呼ばれるグループは1970年(昭和45年)までに135両が製造され、東海道本線や山陽本線、中央本線など、全国の直流電化区間でで貨物用として投入されました。また、後の500番台にP形・F形、1000番台にPF形が登場すると、「一般形」として区別されることとなりました。
20系寝台車牽引に対応 旅客型の500番台P形
1965年当時、東京駅から発車する寝台特急は、主にEF60のうち20系客車との併結対応装備を持ったEF60 500番台によって牽引されていました。
しかし、先にも述べた通りEF60は高速運転には不向きな設計で、これらの列車の牽引機としてもEF65が製造されることとなり、一般形と並行して1965年から20系牽引対応機として500番台が誕生しました。
外観上も20系客車の塗装に合わせ、車体裾部にも白いラインが追加され、運転席周りの塗分けも変更となりました。この塗分けは、それ以降EF67など一部の例外を除き、EF66 100番台が登場するまで直流電気機関車の標準塗装として定着することになります。
なお、旅客用機関車の不足により、一般形(0番台)として竣工した77~84号機が、仕様を改めた上で500番台へと改造されています。
この500番台は、旅客列車に使用されるものであることから、Passenger(旅客)の頭文字をとってP形と呼ばれています。新製車17両(501~512・527~531)に加え、0番台からの改造車8両 (535~542)の合計25両が製造されました。
高速化対応の500番台 一部は貨物専用のF形も存在
同じ500番台でも、貨物用として製造されたグループも存在します。こちらは貨物(Freight)の頭文字をとってF形と呼ばれ、EF65 500番台のP形をベースに高速貨物列車牽引のための装備を持っています。このため、同じ500番台でも相互に運用をこなすことはできませんが、番台区分どころか製造番号も区分されなかったため、番号からだけではP形なのF形なのかは判別できません。
P形とF形の違いが最も分かりやすいのは連結器周りで、自動連結器を装備して比較的すっきりとした印象のP形に対し、F形は最高速度100㎞/hの10000系貨車との連結に必要なホース・ケーブル類が追加された自動密着連結器となっており、少々いかめしい印象となっています。
500番台F形は、513~526と532~534の合計17両が製造されました。
モデルチェンジを図った客貨両用の汎用機 EF65 1000番台PF形
1969年(昭和44年)から製造されたEF65は、大幅にモデルチェンジされたグループとして製造されることとなり、新たに1000番台として区分されることとなりました。
このグループは、従来のように客車用、貨物用の区別なく、客貨両用の汎用機として製造されたため、旅客(Passenger)、貨物(Freight)の両頭文字をとってPF形と呼ばれています。
性能的には、500番台F形をベースとしているものの、汎用機として連結器は通常の自動連結器となり、重連運転に備えてEF64同様に貫通扉が設置されています。また、EF65の生産数の増加で東北本線や上越線でも使用が始まりましたが、これらの線区で必要となる耐寒・耐雪装備の見直しも行われています。
最終的には1001~1139の139両が製造され、一般形(0番台)よりも多くEF65としては最多のグループとなりました。ただし、製造が1969年(昭和44年)~1972年(昭和47年)と、1976年(昭和51年)~1979年(昭和54年)の2期間に分かれているため、技術の進展や使用実績に合わせ、変更点も数多く存在しています。外観上は、後期型は下枠交差型パンタグラフを採用しているのが特徴です。
直流機最多数を誇ったEF65 2023年現在その残存数と現状は
分割民営化前後には、直流電化区間の汎用機関車として見ることの多かったEF65ですが、後継機の誕生によりその数は年々減少しています。
JR発足時には、一般形(0番台)が88両、それ以外は全車両が引き継がれましたが、500番台のうちJR東日本が引き継いだP形の501以外は、旅客型も含めて全車両がJR貨物へと引き継がれました。
JR貨物では、EF66 100番台やEF200、EF210の増備によりEF65は次第に数を減らし、2008年改正で500番台全機が、2011年改正で0番台全機が運用を外れています。
また、PF形1000番台は、全車両がJR東日本、東海、西日本、貨物の各社に引き継がれたものの、後継機の製造や客車列車の削減により廃車が進み、2023年現在旅客会社ではJR東日本に3両、JR西日本に10両が残るのみとなっています。JR貨物では、特急色に復元された1001の他、保安装置を改良し原番号に2000を足した2000番台26両の合計27両が在籍していますが、すでに最終全検を終えたとの情報もあり、事実であれば近い将来淘汰が予想されます。