KATOから24系『北斗星』が再生産 個室・食堂車で「豪華列車」のジャンルを開いたその歴史

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KATOより 24系『北斗星』が再生産 プロトタイプは2010年頃

KATOから、24系『北斗星』編成の再生産が発表されています。発売は12月が予定されています。

今回モデルとなっているのは、2008年以降の定期列車が1往復となり、JR東日本とJR北海道の混成となった2010年頃の姿で、1~6号車がJR北海道、7~11号車と電源車がJR東日本所属車両となります。

KATOより再生産される24系『北斗星』
KATO WEBサイトより

販売は基本セットと増結セットそれぞれ6両ずつとなり、基本セットは電源車と食堂車、ロビーカー、そしてB寝台の組み合わせ、増結セットがA個室、B個室中心の編成となります。

車体番号は印刷済みで、個室寝台の並ぶ独特の窓配置も再現されています。機関車との連結が想定されるオハネフ25-2とカニ24-505はNゲージ標準のアーノルドカプラーを装備、それ以外は自動連結器タイプのボディマウントカプラーを最初から装備しています。なお、アーノルドカプラーの交換パーツとしてナックルカプラーも付属しています。

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2010年頃 『北斗星』編成図(KATO WEBサイトより)
SA1:A個室ロイヤル A2:A個室ツインDX B1:B個室ソロ B2:B個室デュエット BC:B寝台コンパートメント B:B寝台 D:食堂車 L:ロビー
←上野(青森―函館逆向き)

また、食堂車スシ24-505はテーブル上のランプシェードが点灯するギミック付きで、リアルな走行シーンが再現できます(室内灯は取り付け不可となっています)。

寝台特急『北斗星』 日本初の豪華寝台特急としてデビュー

『北斗星』は、1988年(昭和63年)のダイヤ改正で青函トンネル開業とともに誕生しました。

当時はまだ航空機や高速バスの台頭も今ほどではなく、列車によっては、寝台特急も高い利用率を維持していました。例えば、大阪-宮崎を結ぶ寝台特急『彗星』は、1989年度の利用率は93%、と高いものでした。このため、従来の車両を改良した寝台特急へのテコ入れも行われており、国鉄末期の1986年(昭和61年)以降東京-博多を結ぶ『あさかぜ』にグレードアップ編成が登場していました。

ただ、首都圏と北海道の旅客移動は、距離的な問題もあり航空機のシェアがすでに圧倒的で、せっかく青函トンネルが開業しても旅客輸送についてはその能力を生かしきれないことが予想されていました。このため、『あさかぜ』のグレードアップをヒントに、鉄道でしかできないサービスの提供を目指し、日本初の豪華寝台特急として登場したのが『北斗星』でした。

所要時間や運賃では航空機にまったく対抗できないことから、『北斗星』では従来の寝台特急とは一線を画すこととなりました。個室を中心とした編成は、カーテンで仕切るだけの開放式が中心であった寝台特急のイメージを大きく変えることに成功しました。チケットの取りづらい状況は晩年まで続き、特に『北斗星』の目玉ともなったA個室「ロイヤル」は「プラチナチケット」と呼ばれるまでになりました。

食堂車「グラシャリオ」車内 なお、『北斗星』用食堂車のスシ24-500は、当時余剰となっていた485系・489系の食堂車より改造されており、登場は『北斗星』運行前の国鉄時代だった
Wikipediaより

食堂車では本格的なフルコースディナーが提供され、個室寝台とともに当初の思惑通り大きな話題となりました。個室、豪華な食堂車、ラウンジスペース、といった構想は、後にクルーズトレインの構想につながることになります。

JR北海道編成のミニロビー
Wikipediaより

『ゆうづる』置き換えで2往復体制でスタート 

ダイヤ的には、上野―青森を常磐線経由で結んでいた「ゆうづる」2往復を東北本線経由に変更し、札幌まで延長する名目で運転を開始しました。このため、車両の新製は行われず、首都圏と東北を結んでいた24系を中心に改造することで賄われています。改造個所が多くその期間が長期にわたることから、定期列車に影響が出ないよう改造は順番に行われたため、改造が終わった車両から『ゆうづる』として一足早く使用されるケースもありました。ベースの塗装はブルートレインと指定のイメージを残す青20号ながら、『あさかぜ』グレードアップ編成同様車体帯を金色とし、編成全体の豪華さをアピールしています。この他、24系としては初めて北海道で使用されることから、扉を折戸から引戸への変更、暖房強化など耐寒設備が追加されています。

2往復設定された『北斗星』のうち、1・2号がJR北海道、5・6号がJR東日本の受持ちとされ、個室中心の編成で食堂車、ロビースペースなど基本構成は同じとされながらも、車両はそれぞれ異なるものが使用されました。不定期列車の3・4号は当初解放式B寝台のみの編成で、他の寝台特急と代り映えするものではありませんでしたが、定期『北斗星』の個室需要にこたえる形で、7月より予備車を活用して個室の連結して運転する日が設定されるようになりました。

1989年改正で定期3往復に 『夢空間』編成もデビュー

登場翌年の1989年改正では3・4号も定期化され、『北斗星』は定期3往復体制となります。不確定だった編成も5・6号と同じ編成となり、JR東日本と北海道の共同運行となりました。モノクラスの不定期列車は、新たに『エルム』の名称が与えられ、この夏から運行を始めます。さらにこの年には、次世代の寝台列車として試作された『夢空間』編成も完成しました。

『夢空間』3両を後部に組み込んだ『北斗星』 最後尾から食堂車、ラウンジカー、寝台車の順となる 
Wikipediaより

『夢空間』は24系を名乗っているものの、在来車からの改造ではなく全くの新製車両で、ダイニングカー(食堂車)、ラウンジカー、デラックススリーパー(寝台車)の3両が製造されました。1988年にフジテレビの企画で来日した『オリエント急行』を参考に、従来の寝台列車の概念を打ち破る車両として製作されています。特に寝台車「デラックススリーパー」では、客室は「エクセレントスイート」1室と「スーペリアツイン」の計3室のみで、内装を鉄道デザインとは関係の会社(今回は高島屋が担当)するなど、後年の『 サンライズ』やクルーズトレインの先駆けともなりました。『 夢空間』編成は単独では使用できず、常に電源のある24系や14系に併結する形で運行され、多客期の『北斗星トマムスキー』や『北斗星トマムサホロ』などとして活躍しました。

『カシオペア』デビュー 2000年以降は減便続き廃止へ

1999年には、新しい豪華寝台特急として『カシオペア』が運行を開始、これにより毎日運転だった『北斗星』3・4号はそれぞれ81・82号となり、個室や食堂車を含む編成ながら臨時化されます。また、従来の『北斗星』5・6号が3・4号となり、『北斗星』は定期2往復+不定期1往復、これに不定期の『カシオペア』『エルム』の体制となります。また、定期列車のうちJR北海道受け持ちの1・2号はB寝台を含めて全車両が個室化されるなど、『北斗星』の全盛期を迎えることになります。

寝台特急『カシオペア』
Wikipediaより

しかし、2000年代以降全国的に夜行列車の削減が始まると、『北斗星』も影響を受けるようになります。2002年の東北新幹線八戸延伸では、盛岡以北の東北本線はJR東日本から経営分離となり、運賃・料金が実質的な値上がりとなります。JRから第三セクター鉄道へ支払う線路使用料も必要なことから、使用される車両の老朽化とも合わせてこれ以降積極的なてこ入れは行われなくなりました。

2003年には『夢空間』を使用した列車の運行が終了(車両自体は2008年まで使用)、2007年には『エルム』の運行も終了します。

2008年改正では、青函トンネルの北海道新幹線工事のため青函トンネルを通過する列車の時間が整理され、『北斗星』1・4号は廃止、この時点で定期1往復となり、JR北海道・東日本の混成編成となりました。

2009年には久しぶりに明るい話題として、専用の牽引機EF510-500番台が新製され、列車存続に期待がかかりますが、2014年に『あけぼの』の定期運行が終了し、「最後のブルートレイン」として孤軍奮闘することになります。2016年の北海道新幹線函館開業に伴い、青函トンネルの使用電圧が問題となり始めた2013年頃から、その存続が注目されるようになりました。そして2014年12月に正式に廃止がが発表され、2015年3月改正で臨時化、同年8月まで運転されたのちに完全に廃止となりました。

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