大阪の「顔」 大阪メトロ御堂筋線10系が引退へ
都心部を貫通して大阪を南北に走る大阪メトロ御堂筋線で、10系の運転が7月をもって終了します。1976年(昭和51年)の第一編成の運転開始以来、御堂筋線の顔として長年活躍してきただけに、大阪の地下鉄というとこの車両を思い浮かべる方も多いでしょう。
しかし、初期型の製造から50年近くが経過、車体も老朽化してきたことから、大阪メトロは2022年6月16日、同年7月をもって最後に残った1編成が引退することを発表。これを記念して同年6月21日から7月4日まで10系に引退記念ヘッドマークを掲示、さらに7月24日には、シリアルナンバー入り記念台紙付きの「10系引退記念1日乗車券セット」(往年の10系写真をデザイン)の特別販売会が実施されます(一般販売は7月29日より12月31日まで。いずれも在庫がなくなり次第終了)。
なお、引退記念ヘッドマークは30000系2編成にも取り付けられる予定で、大阪メトロによると点検などで運行されない日もあるということです。また、ファンが殺到して混乱する事態を避けるためか、引退日は発表されておらず、7月4日が最終運行日とも限らないようです。
OsakaMetro Webサイトより
当初は高速運転の試験車両初代20系として誕生した10系
御堂筋線10系は、当時の大阪市交通局によって1976年から御堂筋線で運行を開始した車両です。
運行を開始した、という表記の通り、第一編成が製造されたのはそれより3年前の1973年(昭和48年)で、この時は谷町線初代20系として4両が製造されました。
谷町線は、この時点では都島ー天王寺10.4㎞の路線でしたが、最終的には両端が大阪市内を超え大日ー八尾南の約28㎞を結ぶ予定(1983年に全通)で、大阪市交通局としては最長路線となることが見込まれていました。このため、旅客サービスのため高速度による急行運転の構想が持ち上がり、20系は最高速度100㎞/hでの運転に対応するための試作車として製造されました。
しかし、第三軌条集電方式での高速運転は、架線や集電靴などに負荷が大きく、土木・保守部門からの反対により実現しませんでした。こうして宙に浮いた初代20系は、1974年(昭和49年)に御堂筋線へ転属することになりました。
チョッパ制御採用で排熱問題を解決した初代20系→10系
1970年代半ばまで、電車の制御方式は抵抗制御が一般的でした。これは、架線から集電した電力を必要な量に調整するため、余分な電力を電気抵抗にかける仕組みで、使用しない電力は熱として排出されます。
開業が昭和8年と古く、両数や本数の多い御堂筋線では、長年の運行で排出された熱がたまり、1970年代にはトンネル内の温度上昇が問題となっていました。地下区間にミストを放出する方法も考えられましたが、結露が電気施設に悪影響を及ぼす恐れもあり、根本的な解決策にはなりませんでした。すでに通勤電車でも冷房の搭載が一般的となっていた時期になっても、車両の冷房化はさらに排熱量の増加につながるため、大阪だけでなく全国的に地下鉄の冷房化は進んでいませんでした。
そんな中、同じようにトンネル内の温度上昇に悩まされていた当時の営団地下鉄(現在の東京メトロ)や、省エネやメンテナンス軽減を狙った阪神電鉄などにより、抵抗制御に代わってチョッパ制御が実用化されるようになります。チョッパ制御は、きわめて短時間の間(1秒間に数千回)に回路のオンーオフを繰り返して出力を調整するため、余分な電力を消費することなく、また排熱も抵抗制御と比べて大幅に少ないという利点を持っていました(「分かりやすく簡単に解説 電車に使われる「VVVFインバーター」って何? 抵抗制御、チョッパ制御との違いは?」もよろしければご覧ください)。初代20系はこのチョッパ制御を採用していたことから、御堂筋線で問題になっていたトンネル温度上昇の問題の解決策として、形式を10系に改めて1976年より中間車4両を組み込んだ8両編成として営業運転を開始しました。
地下鉄と第三軌条路線として初の冷房車となった10系
10系は製造当初は非冷房でしたが、トンネル内の排熱問題が解決されたことから、冷房を搭載することが検討されるようになりました。もともと10系は冷房化を見越して通風装置が設置されており、これを活用する形で1977年(昭和52年)に試験的に1両に冷房装置を搭載。これが良好であったことから、1979年(昭和54年)から投入が開始された量産編成では本格的に冷房を搭載することとなりました。
地下鉄の冷房化は、先にも述べた通り排熱の問題から先送りされており、時代の要請からは取り残された状態でした。また、第三軌条を採用する地下鉄では、トンネルの断面が小さく室外機を屋根上に搭載できず物理的に冷房化が難しい状態でしたが、開業時に将来の地下鉄像が定まっていなかった御堂筋線では、架空線方式の導入に備えてトンネルが比較的大きく作ってあったため、当時の技術でも十分に室外機が設置できました。
このため、10系は地下鉄としてのみならず、第三軌条方式としても初めての冷房搭載車両となっています。なお、冷房の室外機は逐次改良が加えられ、最終増備車では厚みが74%まで削減されています。
1979年の一次車の投入時点では8両編成でしたが、1986年(昭和61年)から投入された二次車からは9両編成となり、最終的には234両が製造されて9連×26本となりました。1995年からの10連化では、01~03編成を解体の上04編成以降へ組み込んで10連×23本体制となり、余剰となった4両は廃車となっています。また、1990年代後半より初期編成を中心に更新工事が実施されています。
後期編成はインバータ制御化で10A系へ
チョッパ制御の採用は排熱問題を解決することができましたが、構造的に複雑で値段も高く、また重量も重いため、当初の予想ほどの省エネ効果は得られませんでした。このため、2006年から車齢の低く更新工事の行われていなった後期編成の制御装置をインバータ制御へと変更することとなり、これらの車両は10A系と呼ばれるようになりました。同時に前面の黒塗装部分の拡大、側面赤帯が扉部分へ延長されて印象が変わり、車内化粧板やモケットの刷新、車いすスペースの設置などが行われています。
1991年より21系の投入が始まりましたが、10系よりも古い30系の淘汰と輸送力増強が続く時期であり、また10系のリニューアル工事で編成が不足するため、先の4両以外は新しい21系とともに使用されました。しかし、10系のリニューアル工事が終了した2011年には1本が余剰となり、未更新で残っていた04編成が初めて編成単位で廃車。また同年からは30000系の投入が始まり10系と10A系の置き換えが本格化します。2020年までにチョッパ制御車は全廃となり、10A系も2019年から順次廃が進められ、2022年6月現在は最終編成である26編成のみ在籍しています。