近畿圏の深夜ダイヤ見直しで終電繰り上げ 働き方改革で 昔と今の深夜帯の時刻表を比べてどう変化した?

近畿地区のJR線で終電繰り上げへ 深夜の運転計画見直しを発表

JR西日本が、近畿地区で深夜帯の列車の運転の見直しを行うことを発表しました。概ね24時以降が見直しの対象で、終電の繰り上げも実施されます。これまでは社会活動の拡大により、鉄道各社の深夜帯の運転本数は拡大傾向にありましたが、大都市圏でこの動きを見直す傾向が定着するのか注目されます。

なお、JR西日本が最終電車の時刻を見直すのはこれで2回目です。前回は2010年3月の改正で、乗務員の睡眠時間確保のためという目的で、終電の繰り上げを含む見直しが行われています。

作業時間確保で労働環境改善 保守要員の確保へ 

これは10月24日の定例会見で、「環境変化に伴う深夜帯ダイヤの見直し検討」として発表されたものです。

 

最大の理由として挙げられているのが、保守の人員と時間の確保です。

終電から始発までのわずかな時間に、近畿エリアに限っても土日祝日を含め毎日1500人以上が、100か所以上の保守作業にかかわっています。近年の人手不足の影響で、建設業界全体では人員の減少が続いています。そこでJR西日本は、終電繰り上げで1晩の作業時間を拡大することで、休日を増やすなどして労働環境を改善し、人員確保に努めていくとしています。

社会の変化 深夜帯の利用客の減少

また、もう一つ理由として挙げられているのが、深夜帯の利用者の減少です。

 

JR西日本から提供された、時間帯別の利用者数の変化です。少し古いですが、2008年と比較した2013年の利用状況を表しています。

基準駅17~20時台21~23時台0時台
大阪駅107%93%83%
京都駅107%96%88%
三ノ宮駅104%92%81%

 

JR西日本の分析では、近年の働き方改革等により帰宅時間が早まって、深夜帯の利用客が減少しているとしています。

 

この様な状況を踏まえ、24時以降を中心に、最終電車の時刻を繰り上げる、深夜帯ダイヤの見直しの検討に新たに着手した、としています。他社との調整や利用者への周知のため、実施は早くても2021年以降となるそうです。JR西日本によれば、仮に大阪発の終電を24時とした場合、年間作業日数が1割削減となります。

 

古い時刻表をたどっていけば、もともと深夜帯、特に22時台以降の列車は大都市と言えど少なく、これらの時間帯の運転本数が増加したのは、1990年頃のバブル経済の頃でした。先にも書いたように、社会活動の拡大で深夜の経済活動も非常に活発となり、余暇だけでなく長時間労働が定着したのもこの頃です。それに伴い、深夜帯の電車の混雑が顕著となり、鉄道各社ではこの時間帯脳槽力増強に追われることになります。

深夜帯の電車の増発は、社会活動の拡大にさらに拍車をかけることになります。帰宅ラッシュの波は、ピークの山が緩やかになっていく代わりに深夜まで変わらない高さの山が続く「台形型」へと変化します。1990年代初頭には、「社会的要請」として鉄道の終夜運転が真剣に検討された時期がありました。

 

しかし、それから約30年の年月を経て、再び社会に変化が訪れているのです。長時間労働を辞めるだけでなく、深夜そのものの経済活動を減らしてゆく、という方向へみんなが舵を切り始めたということでしょうか。鉄道会社もその他の皆さんも、みんなで働き方改革、というわけですね。

特に、鉄道は社会的に大きな影響力を持っています。今までは、社会の影響を受けて鉄道会社が対策を講じることが多かったように思いますが、台風の計画運休が定着しつつあるように、今後はよりよい社会つくりのため社会に影響を与えるような施策もどんどんしていってほしいと思います。

 

どれだけ変わった? 昭和時代の深夜の時刻表を見てみる

さて、それでは深夜帯の電車の本数は、過去と現在でどのように変化したのでしょうか。

まずは、1974年(昭和49年)当時の東海道線東京発の電車です。22時台以降は以下のような感じでした。

2222(沼津行) 49(熱海行)
2320(平塚行) 30(大垣行) 55(小田原行)

どこのローカル線かというくらい、本数が少ないですね。

もっとも、この頃はオイルショック後で、社会全体が縮小傾向にあったことは事実ですが、80年代半ばまでは基本的に運転本数の変化はありません。

 

関西圏のものも参考までに見てみましょう。

JRではありませんが、大阪梅田駅を起点にする阪急電鉄の時刻表です。

1980年代までは、京阪神では私鉄が圧倒的なシェアを誇っており、JRが巻き返しを図るのは1990年代以降のことです。

まずは、先と同じ1974年(昭和49年)、京都方面へ向かう阪急京都本線の列車の時刻表です。

220 2 7 15 21 30 32 37 45 51
230(茨木市) 10 20(茨木市) 30 40 50(高槻市)
05(高槻市) 17(正雀)

特記以外は京都河原町行

 

驚くべきは、22時45分に京都河原町まで行く急行が出た後、1時間後の23時40分まで京都行きの優等列車が来ない、という点でしょうか。

 

少し時代は進み、1982年(昭和57年)神戸本線の梅田駅発時刻表です。

オイルショックも終わり、バブル景気時代へ入る前の時期ですね。

220 ★2 ★11 15 ★22 30 ★37 45 ★52
230 ★2 15 30 ★45 ★57
0★7

★西宮北口行 それ以外は神戸三宮以遠行

特急は22時で終了、あとは西宮北口から各駅に止まる急行が15分おきに発車しますが、それも23時まで。以降は各駅停車が細々と走る程度です。

 

もともと、人間にとって夜は寝る時間です。灯火のなかった明治の初めごろまでは、日が暮れれば出歩くことさえままならなかったはずです。その時代の生活が現代にあっているかどうかは別にして、やはりゆっくり休む時間は欲しいところですね。

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