崩落した千曲川橋梁でレールつながる 地元から厚い支援をうける上田電鉄が全線復旧へ

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一部不通が続く上田電鉄が運転再開 千曲川橋梁の復旧が完了へ

長野県上田市内を走る上田電鉄は、部分運休中だった別所線上田-城下について、2021年3月28日に運行再開することを発表しました。この区間は、2019年10月の台風19号により、千曲川の堤防の一部が削られたため、上田電鉄の千曲川橋梁が被災、崩落するなど、路線の存続にかかわるほどの大きな被害を受けていました。

しかし、残る区間は11月16日までに運行を再開、不通区間として残されたのは千曲川橋梁を含む上田ー城下間のみとなっていました。

復旧工事の進む上田電鉄別所線 トラス橋は崩落したものの鉄骨に損傷は少なく、再利用できる部分も多かったため早期復旧につながった

千曲川橋梁についても、雪解け水で川の水位が上がる期間は復旧工事が中断されたものの、2021年2月には再びレールがつながり、運行再開を待つばかりとなっていました。

経営難が続く上田電鉄 地元自治体や沿線の厚い支援で存続

上田電鉄は、北陸新幹線やしなの鉄道と接続する上田駅から、少なくとも6世紀ごろからの歴史を持つ別所温泉の別所温泉駅までを結ぶ別所線を運営する、11.6㎞の小さな鉄道会社です。

かつてはこの別所線の他にも西丸子線、丸子線、真田傍陽線の3線が存在し、路線の総延長は48㎞に及んでいました(戦前にはさらに青木線が存在していました)。旅客輸送だけでなく、近隣で産出される木材や農産物の輸送手段としても賑わっていましたが、次第に自動車にとってかわられる形で旅客、貨物とも輸送量が激減、大雨による災害も重なって別所線以外は1972年(昭和47年)までに廃止となりました。

残された別所線もモータリゼーションの影響から逃れることはできず、その後幾度となく存続の危機に直面することになります。

1973年(昭和48年)には当時の運営会社である上田交通が、別所線についても廃止する方針を示し、その方針は上田市にも伝えらました。しかし、これが市民に伝わると沿線からは激しい廃止反対運動がおこります。特に終点の別所温泉では観光客の重要な足でもあり、国・長野県・上田市の援助の方針もあって1977年(昭和52年)にはひとまず路線を存続させることとなりました。

路線は存続したものの、利用状況は芳しくなく、沿線の道路整備も手伝って乗客数は次第に減少、さらに制度の見直しで1992年以降は国の補助もなくなりました。しかし、北陸新幹線の開業を控え乗客増が期待できることもあり、上田市からの支援で経営を維持、車両面や施設面でも近代化を図り、1993年には東急電鉄からの譲渡車で冷房化率100%を達成しました。

上田電鉄別所線で活躍する1000系と6000系 どちらも元東急1000系で、2008年から合計10両が譲渡された それ以前は、元東急5000系と5200系が運行され、地方私鉄としてはかなり早い段階で冷房化を達成した
Wikipediaより

設備の改善などで一時的に増加した乗客でしたが、2000年代以降も道路整備や人口の減少などで再び利用減少が顕著となります。1996年に年間177万人あった利用客は、2000年には139万人、2005年には123万人まで落ち込み、再び路線存続が議論されるようになりました。

この時も存続へ向けての動きは早く、沿線からは支援団体が相次いで設立されます。また、行政の対応も早く、2004年には地元の上田市が2007年までに2億6000万円余りを支援、これによって当面の運行資金の確保と安全対策を行うことが可能になりました。

2005年には運営会社の上田交通、行政、支援団体が一つとなり、上田交通別所線については分社化、上田市が財政的にこれを支援することが決められ、上田電鉄別所線として再スタートを切ることとなりました。2012年までの国、長野県、上田市からの支援は25億円に上ることになりました。

千曲川橋梁崩落 存続危機を再び行政の支援で乗り越え

上田電鉄として発足した後も乗客減は止まらず、苦しい経営が続いていますが、行政や地元が一体となった増収策も積極的に図られ様々な施策が打ち出されています。

とかく地方の交通機関というと、利用減→収支悪化→サービスダウン→利用減の負のスパイラルに入ることがほとんどで、マイカーに依存する住民の関心も低く、行政の支援も受けられずそのまま廃線というパターンが大半を占めています。その中で上田電鉄別所線は地域や行政にしっかりと支えられた珍しい例とも言えそうです。

乗客減が続く中様々な施策を続けてきた上田電鉄では、新幹線の延長開業や大河ドラマの効果もあり2010年頃を境に乗客数が微増に転じ、一時は120万人を割り込んだ年間利用客も、概ね130万人前後で推移するようになりました。そんな中で、上田電鉄を襲ったのが2019年10月の台風19号でした。

この台風による大雨で千曲川が増水、千曲川にかかる千曲川橋梁は、堤防の一部が崩れたことにより崩落し、5連あるうち1番目のアーチが流出しました。上田交通のシンボルともいえたこの千曲川橋梁の崩落をはじめ、台風の被害により、一時は全線不通となります。

千曲川橋梁を渡る上田電鉄別所線 
Wikipediaより

鉄橋の建設や修理には、特に中小鉄道にはその路線の存続を左右するといわれるほどの費用が必要す。例えば、三重県の伊勢電気鉄道(現在の近鉄名古屋線)は、三重県から名古屋への進出に際して建設のネックとなる揖斐川・木曽川について、架け替えで必要なくなった官営鉄道(現在の関西本線)の橋脚を譲り受けて橋梁を建設しましたが、その前後でわざわざ高架橋を作って官営鉄道を乗り越えいました。建設された昭和初期と現在とでは建設技術がまるで違いますが、橋梁の建設にどれほどの費用と時間が必要であることを示す一例です。

千曲川橋梁の崩落も、当然経営的に大きな負担としてのしかかり、経営状態の芳しくない上田電鉄は再び存続の危機に立たされることとなりました。

しかし今回も、支援の手は早いものでした。上田電鉄は千曲川橋梁を除く区間について、橋梁が復旧されることを前提に11月16日までに運転を再開、11月22日には、2021年春ごろの復旧を目指すことを発表していました。

2021年1月には、復旧費用についても、復旧工事の主体、橋梁の所有・管理を上田市とすることで、国の災害復旧制度を活用することを決定。これにより、8億6680万円の復旧費用のうち97.5%を国が負担、残りの2.5%を上田市が負担し、上田電鉄の負担額はゼロとなりました。

また、鉄橋は崩落したものの鉄骨の損傷は少なく、現場で解体された鋼材のほとんどが活用できたことも、費用の圧縮と工事期間の短縮につながりました。

地方の鉄道は、ただでさえ乗客減で経営的に苦しいところがほとんどです。こうした路線が自然災害などで大きな被害を受ければ、当然自身での復旧は不可能で、行政の支援が欠かせません。しかし、地元の住民が普段から関心をもっていなければ、存続への支援を得ることは難しいでしょう。

近年、特に大きな自然災害が相次ぎ、地方の鉄道が被災する例も多くなっています。被害のたび、また一つ消えていくローカル線…、という悲報も数多く聞きますが、南阿蘇鉄道などのように支援制度が拡大して存続を目指す例も増えてきました。

鉄道の存続にはお金がかかりますが、一度なくしてしまえばもう戻りません。また、社会に与える影響も非常に大きなものです。直接の収支だけでなく、社会全体の利益として鉄道の存続が議論されるようになってほしいものです。

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