いすみ鉄道で話題のキハ52とはどんな車両? キハ20系列の勾配線区向け高出力車両

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いすみ鉄道 キハ52-125が急行運用から離脱 ダイヤ改正後は臨時列車として運転

千葉県を走るいすみ鉄道は、2024年3月16日のダイヤ改正で、土曜・祝日に運行している「急行」を普通列車に置き換えることを発表しました。

これは、いすみ鉄道が2024年2月22日に発表したもので、これにより原則として毎週土曜日に「急行」運用についていたキハ52-125は、臨時列車やイベント列車での運用へと変更となります。

いすみ鉄道の発表によれば、キハ52-125の今後の予定として、ダイヤ改正から5月4日までの間は、多客輸送の臨時普通列車として毎週土曜日と祝日に運行されるということです。それ以降は貸切やイベント列車としての運行が予定されているほか、多客時には臨時列車としての使用も予定されているということです。

キハ52-125はもともとJR西日本の大糸線で活躍していたものを、同社からの引退により2011年にいすみ鉄道に移籍し、2013年からは同様に移籍したキハ28-2346と編成を組み、観光列車としてレストラン列車などで使用されてきました。

いすみ鉄道 観光急行
いすみ鉄道のキハ52-125 『観光急行』として運行されていた時代のもので、後方にはキハ28-2346が連結されている どちらもJR西日本から購入したもので、いすみ鉄道の目玉列車だった キハ28-2346は老朽化により2022年に運行を終了、現在はキハ52‐125のみが急行として運転されているが、2024年3月16日のダイヤ改正後は急行が廃止、キハ52‐125も臨時列車へと転用される Wikipedia(いすみ鉄道いすみ線)より @MaedaAkihiko 

老朽化により2022年にキハ28-2346が引退した後も、キハ52-125は国鉄時代の雰囲気を強く残したまま単独で「急行」に使用されてきましたが、今後は定期運用を離れて臨時列車として運用される見込みです。

なお、キハ28-2346については、いすみ鉄道国吉駅で静態保存されていますが、車体腐食による錆と塗装劣化が著しいため、板金・塗装を施工するためのクラウドファンディングが行われています。期間は2024年3月29日までで、目標金額は1,000万円となっています。詳しくは下記の記事をご覧ください。

キハ28-2346の修繕。夢の「鉄道パーク」建設への第一歩を共に。 - クラウドファンディング READYFOR
キハ28の動態保存に挑む!いすみ鉄道国吉駅保存中のキハ28の板金・塗装を施します。後世に残すべき鉄道文化財とも言えるキハ28を救いたい! - クラウドファンディング READYFOR

キハ52形とは? キハ20系ディーゼルカーの1形式

キハ52形は、1957年(昭和32年)から1966年(昭和41年)にかけて製造されたキハ20系の一形式で、112両が製造されました。

当時の国鉄では、一般型気動車として1953年(昭和28年)からキハ10系の製造を行っていました。キハ10系は、量産車としては初めて複数車両の制御が容易になり、ほとんどの車両に運転台を取り付けることで編成の自由度を高め、後に特急型を除く国鉄ディーゼルカーの設計の基礎となりました。

しかし、キハ10系は車体の大きさこそ客車と並んだものの、当時の技術では車体重量そのものが過大で、エンジン出力との関係から接客設備を簡素なものにせざるを得ませんでした。このため、重厚なつくりの客車に比べ全体的に装備が貧弱で乗り心地も悪く、利用客の評判は芳しくありませんでした。

キハ48036(後のキハ11)
静岡県にあった佐久間レールパークに保存されていた時代のキハ48036→キハ11-36 国鉄ディーゼルカーのシステムを作った功績は大きかったが、車体重量と機関出力の関係上接客設備を犠牲にせざるを得ず、乗り心地も悪く乗客からの評判は悪かった 乗客からだけでなく、運転席周りの手狭さは乗務員からも嫌われたという それでも短距離から長距離までの客車列車置き換えを目指し、728両が製造されて北海道以外の全国各地へ投入された Wikipedia(佐久間レールパーク)より @Rsa

この概念を大きく変えたのが1955年(昭和30年)から製造された10系客車でした。10系客車は「軽量客車」との別名を持つ通り、車体構造を根本的に変えることで、従来のスハ43系に比べ30%もの軽量化を実現しました(「10系客車とは? 鉄道史に残る軽量客車 グリーンマックスから再販売」もよろしければご覧ください)。

そこでこの構造をディーゼルカーにも取り入れることとなり、1956年(昭和31年)にまず準急用のキハ55系が登場、それに続き一般型として製造されたのがキハ20系でした。

キハ20系の外観はキハ10系と酷似しているものの、車体の軽量化により接客設備はグレードアップされ、同時代の電車や客車と遜色ないものとなりました。

製造年次により外観や車内設備は細かな変更点があり、外観上の変化では初回製造グループは立ち席窓のついたいわゆる「バス窓」を採用、それ以降は鉄道として標準的な二段上昇窓となっています。

キハ20 初期車
キハ20系のうち、初期グループのキハ20-32 窓の形状が2つに分かれたいわゆる「バス窓」であることが特徴 キハ10系に対し、ラッシュ対策で扉はやや中央に寄せられ、デッキも廃止された Wikipedia(国鉄キハ20系気動車)より @spaceaero2

また、キハ20系の登場当初はまだ蛍光灯が高価だったことから、初期グループでは車内灯が白熱灯となっていました。こちらは1962年(昭和37年)の製造グループから蛍光灯に変更されており、白熱灯の車両もほとんどが後年に輪型蛍光灯へと変更されたほか、直管タイプの蛍光灯を増設した車両も存在します。

キハ20系は、両運転台で片側2扉の車体構造を基本とし、旅客用としては1エンジン車の基本番台のキハ20、寒冷地向けのキハ21、北海道向けのキハ22、そして本州向け2エンジン車のキハ52が存在します。キハ10系で多数派を占めた片運転台や中間車はなく、客車列車の置き換えとして大編成が想定されたキハ10系と、ローカル線で短編成の運用が想定されたキハ20系の違いがよく出ています。

同形式なのに車番が20番台と50番台に飛んでいるのは、国鉄の称号規程により液体式変速機を持つディーゼルカーのうち、エンジン1基は十の位が1~4、エンジン2基は十の位が5と定められているためで、キハ58系のうちキハ28とキハ58の関係と同じです。

キハ20系のうち、2エンジン車として重宝されたキハ52形

キハ20系のうち、キハ52形は2エンジンを搭載した両運転台車両で、車体長は在来線では限界いっぱいとなる21.3mとなっています。それでも2基エンジン搭載には手狭で、トイレ用の水タンクが屋根上に置かれるなど苦心の跡が見て取れます。

大きく分けて初期製造グループの0番台と、改良型の100番台に分けることができ、どちらも56両ずつが製造されました。なお、キハ52形には初期グループに見られる通称「バス窓」はなく、100番台は車内灯に白熱灯ではなく製造当初から蛍光灯が採用されたことや、システム面ですでに量産が続いていた急行型キハ58系や特急型キハ80系のフィードバックが反映されているなどの変更が加えられています。

キハ20系は、最終的には1,162両が製造され、それぞれの特徴に合わせて日本全国へ投入されました。その中でもキハ52形は、国鉄としては2エンジン搭載を搭載した初の形式で、その性能を活かして山岳路線で単行運転できる車両として重宝され、本来は一般型車両にもかかわらず強力な出力を買われて急行列車として使用されることもありました。

キハ10系とキハ20系でほぼローカル輸送に必要なディーゼルカーの所要数は満たされたことや、準急用のキハ55系、急行用のキハ58系に余剰が生じていたことから、その後長らく本格的なローカル線用の一般型ディーゼルカーは、キハ45系など少数車両を除くと製造されませんでしたが、1977年(昭和52年)からは後継車ともいうべきキハ40系の製造が始まりました。

これにより、キハ10系やキハ20系による運用はキハ40系で置き換えられる例も見られるようになりました。しかしキハ40系は車体の大きさや重量に対して非力で、同じ1エンジンのキハ20形のならともかく、2エンジンのキハ52形との比較となるとまったくお話にもならない状態でした。

また、キハ40系に限らず、国鉄では一般型として2エンジン搭載の両運転台車両は本格的に製造されませんでした。このため、山岳路線で単行運転が可能なキハ52形は後継車もなく、結果として長期間にわたり使用が続くこととなりました。

大糸線 キハ52
大糸線で運行されていた頃のキハ52 大糸線へキハ52が投入されたのは1961年にさかのぼるが、JR化後はキハ58で置き換えられていた 越美北線へキハ120が投入されたことに伴い、余剰となったキハ52が再び大糸線へ投入され、これがJRとして最後の営業線区となった 写真のキハ52-125は現在いすみ鉄道で運用中 Wikipedia(国鉄キハ20系気動車)より @まも 

JR化後は新型車両の投入により淘汰が進みましたが、やはり最後まで残ったのは少数派のキハ52形で、JR東日本では新潟地区が、JR西日本では大糸線が最後の活躍の場となりました。新潟地区からは2009年、大糸線では2010年に定期運用を終了、JRで最後の車両となったキハ52形の7両が廃車となったのは2011年で、これによりJRからキハ20系はすべて姿を消すこととなりました。

なお、国鉄またはJRから購入、譲渡された車両や、運用上の必要性から性能を揃えた車両も各地に存在しましたが、そのほとんどは老朽化のため廃車となっており、2024年3月現在在籍するのは、先に紹介したいすみ鉄道のキハ52-125の他、ひたちなか海浜鉄道に在籍するキハ205(元キハ20-429で、水島臨海鉄道から譲り受けたもの)の2両となっています。

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