時代に合わなかった車両 50系客車

 ネコ・パブリッシング社から発刊されている、「鉄道車輌ガイドvol.29 50系客車」のご紹介です。

 

 

 ある年齢以上の方にしてみれば、ローカル線で当たり前のように走っていた50系客車。

 1980年代半ばまでは、地方都市はもちろん、大阪駅などでも見ることができました。

 

 1977年に登場し、900両以上が短期間に生産されましたが、1980年代後半には早くも大量の余剰車がでることになり、1990年代にはほぼ姿を消すことになりました。

 

 50系は、戦前や1950~1960年代に製造されたいわゆる旧型客車を使用していた地方都市の普通列車を置き換えるため、1977年から製造が開始されました。

 特に、もともと長距離輸送に重点をおいた狭い車内や扉は、ラッシュアワーには全く不向きで、また設備の老朽化、扉が手動であるなど安全面でも問題がありました。

 国鉄では、将来的にはこれらは電車化、気動車化の方向でしたが、ちょうど貨物輸送の縮小で機関車に余剰が出ていたことや、当時はまだ行われていた客車による新聞、荷物輸送にも対応するため、1両当たりの製造コストの安い客車を新製することになったのです。

  非冷房であったこと以外は、ローカル線の輸送改善を行った50系ですが、国鉄末期に地方都市においても短編成、頻発運転の方針がとられると、今度は非効率な車両となってしまいました。

 終点での機回しが必要、ワンマン化ができない、短編成でも大出力の機関車が必要などのデメリットが大きくなり、JR化後は一気に数を減らしていきます。

 晩年まで比較的多く活躍が見られたのは、東北本線、筑豊本線などでしたが、これらも1996年までに廃止、最後まで活躍した津軽海峡線の快速「海峡」も1999年に廃止となり、イベント用などを除き運用はなくなりました。

 1979年にはローレル賞を受賞するなど、それまでお古の寄せ集めであった地方都市の輸送を劇的に改善した点などと合わせて画期的な車両でしたが、時代の求める条件に合わず短いものでは10年未満、長いものでも20年ほどの活躍期間でした。

 

 そんな不運な50系ですが、その生涯や運用表、車歴表、また派生改造した車両などを体系的にまとめた1冊が、冒頭の書籍です。

 ちょっと昔の汽車旅に、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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