時刻表復刻版1988年3月号 山陰本線その2 全線で優等列車が設定されていた
JTBパブリッシングから発行の時刻表完全復刻版1988年3月号で当時を振り返るこの話題、引き続き山陰本線での特急・急行列車について取り上げます。今回は第二回目として米子―下関の優等列車を見ていきます。今回は本数もぐっと少なくなるので、臨時列車についても見ていきたいと思います。
山陰本線の米子以西は、本線とは名がつくものの実態はローカル線そのもので、2019年度のデータによると、全線の輸送密度4,558人に対して最も輸送量の少ない益田―長門市の輸送密度は273人と、木次線や芸備線の末端区間と大差ない程度となっています。
1988年当時はこれよりは利用が多かったと推測されますが、閑散線区であったことは間違いはなかったと思います。ただ、2021年現在と比べると道路事情も相当に悪く、輸送を鉄道に頼る部分も多かったと思われ、山陰本線は全区間にわたって優等列車が設定されていました。
今回取り上げる米子―下関のうち、電化されていたのは米子―知井宮(現在の西出雲)だけで、残る区間は非電化でした。『やくも』には381系が充当されていましたが、それ以外の特急『おき』『いそかぜ』『くにびき』はキハ181が、『ながと』『さんべ』など急行は当然キハ58が使用されていました。
なお、寝台特急『出雲』に関しては、時刻表1988年3月号 『あさしお』『丹後』『但馬』『出雲』など 山陰本線優等列車時刻表その1 京都―米子を参照してください。
1988年3月 大阪発着もあった特急『やくも』時刻表
まずは、この区間で本数が圧倒的な『やくも』だけを抜粋、1988年3月改正の時刻を掲載してみました。
伯備線から乗り入れてくる特急『やくも』は、1972年(昭和47年)改正で誕生しました。もともと伯備線は岡山県と鳥取県を結ぶローカル線に過ぎず、いわゆる陰陽連絡線(山陽―山陰を結ぶ路線)としてはそれほど重要視されていませんでした。それが新幹線の岡山開業で伯備線が京阪神と島根県東部との最短ルートとなったことから、『やくも』が岡山―出雲市・益田で運転を開始しました。
伯備線が山岳路線ということもあり、キハ181を使用してまず4往復で運転を開始、この時点では急行『しんじ』も2往復が残されていました。『やくも』は食堂車を含む堂々11両編成(岡山―米子のみ)で、1975年(昭和50年)改正では気動車特急として初めてエル特急に指定されました。
1982年(昭和57年)改正では伯備線と山陰本線伯耆大山―知井宮(現在の西出雲)の電化が完成、『しんじ』を改め残っていた急行『伯耆』もすべて『やくも』に格上げされ8往復体制となります。1986年(昭和61年)改正で1往復が増発され、1988年時点では定期9往復となっていました。
1988年3月改正 伯備線『やくも』時刻表
大阪・岡山→出雲市
1号 | 91号 ◆ | 3号 | 5号 | 7号 | 81号 ◆ | 9号 | 83号 ◆ | 11号 | 13号 | 85号 ◆ | 15号 | 17号 | ||
大阪 | 1622 | 大阪 | ||||||||||||
岡山 | 0908 | 0934 | 1052 | 1141 | 1241 | 1339 | 1452 | 1557 | 1700 | 1741 | 1833 1835 | 1900 | 2000 | 岡山 |
倉敷 | 0920 0921 | 0950 | 1104 | 1153 | 1253 | 1351 | 1504 1505 | 1609 | 1712 | 1753 | 1850 | 1912 | 2012 | 倉敷 |
新見 | 1014 | 1043 1052 | 1158 | 1251 1252 | 1346 1347 | 1454 1456 | 1556 1557 | 1714 1716 | 1805 1806 | 1849 1851 | 1949 1951 | 2006 | 2106 | 新見 |
米子 | 1119 1121 | 1219 1221 | 1306 1308 | 1402 1404 | 1453 1455 | 1629 1631 | 1710 1712 | 1842 1844 | 1917 1919 | 2004 2006 | 2104 2108 | 2117 2119 | 2215 2217 | 米子 |
出雲市 | 1207 = | 1304 = | 1358 = | 1454 = | 1548 = | 1747 = | 1805 = | 1950 = | 2012 2021 | 2057 = | 2222 = | 2210 2218 | 2327 2332 | 出雲市 |
知井宮 | 2026 | 2223 | 2338 | 知井宮 |
出雲市→岡山・大阪
92号 ◆ | 2号 | 4号 | 6号 | 82号 ◆ | 8号 | 84号 ◆ | 10号 | 12号 | 14号 | 16号 | 18号 | ||
知井宮 | 0817 | 1005 | 知井宮 | ||||||||||
出雲市 | 0513 | 0637 | 0737 | 0823 0840 | 0928 | 1010 1026 | 1107 | 1217 | 1332 | 1454 | 1536 | 1711 | 出雲市 |
米子 | 0610 0612 | 0731 0733 | 0829 0831 | 0935 | 1025 1027 | 1127 1129 | 1212 1214 | 1309 1311 | 1429 1431 | 1542 1544 | 1633 1635 | 1806 1808 | 米子 |
新見 | 0738 0740 | 0846 | 0940 0941 | 1050 1051 | 1141 1143 | 1240 1241 | 1332 1334 | 1427 1428 | 1544 1545 | 1650 | 1751 1753 | 1919 1920 | 新見 |
倉敷 | 0836 | 0937 0938 | 1040 1041 | 1140 1141 | 1240 1241 | 1334 1335 | 1429 1430 | 1519 | 1641 | 1741 1742 | 1843 | 2014 | 倉敷 |
岡山 | 0853 = | 0950 = | 1052 = | 1153 = | 1252 1302 | 1346 = | 1442 = | 1531 = | 1653 = | 1753 = | 1857 = | 2026 = | 岡山 |
大阪 | 1526 | 大阪 |
1988年時点では、臨時ながら大阪発着の『やくも』が設定されていたことが特筆されます。この前年の1987年夏臨から設定されたもので、新幹線が並走する区間を走る異例の昼行特急となりました。現在なら間違いなく客単価の高い新幹線を利用させようとするところでしょうが、当時はまだ「乗り換えを嫌う」という需要に応える意思が存在していたようです。
ただ、82号で大阪到着後、夜間滞泊はなくすぐに85号として折り返しとなるダイヤで、大阪行きはともかく、出雲市行きは利用しやすい時間帯かというと微妙な設定です。1990年の大阪花博時までは設定されていたようですが、結局定着しませんでした。
1988年3月改正 特急『やくも』編成表
1982年の登場時は9両編成でしたが、1986年改正で増発と『くろしお』転用のため6両編成に減車となっています。この際、6両編成でグリーン車サロ381を連結するためと、不足する先頭車を補うためモハ381の一部を先頭車化改造し、新形式クモハ381が登場しています。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
自 | 自 | 自 | G | 指 | 指 |
指定席7~9号車を連結する場合あり
1988年3月時刻表 長距離ランナーの『いそかぜ』『おき』『さんべ』 臨時急行や夜行『さんべ』も
1988年3月改正『いそかぜ』『おき』『くにびき』『ながと』『さんべ』時刻表
米子→下関 山陰本線 優等列車時刻表
急行 | 特急 | 急行 | 急行 | 急行 | 特急 | 急行 | 特急 | 特急 | 特急 | 特急 | 特急 | 急行 | ||
ながと | おき 1号 | だい せん 81号 ◆ | 石見 ◆ | つわ の 81号 ◆ | 出雲 1号 | さん べ | おき 3号 | 出雲 3号 | いそかぜ | おき 5号 | くに びき | さんべ 81号 ◆ | ||
始発 | 大阪 2255 | 小郡 0824 | 東京 1850 | 鳥取 0504 | 東京 2120 | 始発 | ||||||||
米子 | 0608 | 0640 | 0713 | 0740 | 0916 | 0947 | 1203 | 1437 | 1825 | 2146 | 米子 | |||
出雲市 | 0705 0706 | 0834 = | 0817 0825 | 0839 0841 | 1015 1019 | 1050 = | 1301 1303 | 1535 1537 | 1921 1922 | 2303 2305 | 出雲市 | |||
浜田 | 0624 | 0838 | 0940 | ↓ | 0957 = | 1017 1019 | 1144 1146 | 1429 1431 | 1702 1704 | 2044 2045 | レ | 浜田 | ||
益田 | 0719 0720 | 0922 0924 | 1027 1038 | 1036 1040 | 1102 1103 | 1230 1232 | 1513 1514 | 1745 1747 | 2124 = | レ | 益田 | |||
東萩 | 0822 | ↓ | ↓ | 1146 = | 1208 | ↓ | 1611 | ↓ | レ | 東萩 | ||||
長門市 | 0853 0857 | 1238 1240 | 1638 1640 | レ | 長門市 | |||||||||
下関 | 1030 | 1411 | 1759 | 0546 | 下関 | |||||||||
終着 | 小倉 1100 | 小郡 1059 | 小郡 1233 | 小郡 1406 | 博多 1906 | 小郡 1926 | 博多 0726 | 終着 |
下関→米子 山陰本線 優等列車時刻表
特急 | 特急 | 特急 | 特急 | 急行 | 特急 | 特急 | 急行 | 特急 | 急行 | 急行 | 急行 | ||
くに びき | おき 2号 | いそ かぜ | おき 4号 | つわ の 82号 ◆ | 出雲 2号 | 出雲 4号 | さんべ | おき 6号 | 石見 ◆ | ながと | さん べ 82号 | ||
始発 | 小郡 0917 | 博多 0822 | 小郡 1138 | 小郡 1443 | 小郡 1519 | 博多 2148 | 始発 | ||||||
下関 | 0929 | 1231 | 1631 | 2332 | 下関 | ||||||||
長門市 | 1049 1051 | 1401 1403 | 1806 | レ | 長門市 | ||||||||
東萩 | ↓ | 1118 | ↓ | 1231 | 1433 | ↓ | ↓ | 1838 | レ | 東萩 | |||
益田 | 0655 | 1056 1104 | 1213 1214 | 1316 1318 | 1334 1352 | 1536 1537 | 1625 1628 | 1722 1732 | 1940 = | レ | 益田 | ||
浜田 | 0735 0736 | 1145 1147 | 1257 1259 | 1405 1407 | ↓ | 1537 | 1622 1624 | 1719 1721 | 1824 = | レ | 浜田 | ||
出雲市 | 0903 0904 | 1314 1316 | 1429 1430 | 1548 1550 | 1640 | 1712 1724 | 1804 1806 | 1846 1848 | 0520 0526 | 出雲市 | |||
米子 | 0958 | 1413 | 1537 | 1649 | 1750 | 1832 | 1908 | 1955 | 0705 | 米子 | |||
終着 | 小郡 1534 | 東京 0630 | 東京 0656 | 鳥取 2118 | 終着 |
長距離運転の『まつかぜ』を分離した『いそかぜ』と1988年登場の『くにびき』
『いそかぜ』は、それまで新大阪・大阪―博多を福知山線・山陰本線経由で結んでいた『まつかぜ』を米子で分割し、米子―博多の特急として1985年(昭和60年)改正で誕生しました。なお、新大阪・大阪―米子として残った『まつかぜ』はさらに翌年の福知山線電化により『北近畿』に置き換えられて城崎止まりとなり、消滅しています。
『いそかぜ』はもともと流動の小さい山陰本線の西半分だけの運行で、登場当初より4両という「国鉄らしからぬ」短い編成でした。その後さらに減車され、1988年当時は3両編成でした。1993年には博多乗り入れが廃止され、米子-小倉の運転となりましたが、それでも、関門トンネルをくぐって九州まで足を延ばすという運行体系は維持されており、『まつかぜ』の名残を強く残すものでした。『いそかぜ』は2001年改正で米子-益田を『スーパーくにびき』として分離、益田―小倉の運転となった後、2005年には列車そのものが廃止となりました。『いそかぜ』の廃止により、益田―下関は優等列車の設定が消滅しました。
『くにびき』はこの1988年改正で新たに設定された列車で、こちらも登場時から3両という短い編成でした。設定も1往復というものでしたが、この後1996年改正で電車化され区間が短縮された『あさしお』の補完として鳥取―益田へと延長され、翌1997年改正では2往復に増発。さらに高速化事業の完成で『スーパーくにびき』として5往復体制となり、2003年改正では『スーパーまつかぜ』と名称が変更されています。
長距離列車で夜行もあった急行『さんべ』と地域列車の急行『ながと』
また、この時代には特急を補完する急行もいくつか設定され、急行『 さんべ』や急行『ながと』といった定期急行列車も走っていました。もともとこの区間の主役は急行列車で、山陰本線で完結せず、編成の一部を途中駅で切り離したかと思えば山口線や美祢線を経由して再度連結する(いわゆる離婚・再婚列車)列車もあり、その全貌は実に複雑怪奇なものでした。『石見』や『つわの』はこうした運行の名残で、1988年当時は臨時ながら往年の運行体系を彷彿させるものとして存在していました。
『さんべ』は最盛期には夜行1往復を含む3往復体制で、米子―熊本というロングランナーでしたが、1988年時点では米子―下関へと短縮されています。それでも快速としての運行区間を入れると鳥取―下関の450㎞余りを走破する長距離列車であることには変わりありませんでした。また、GW中に上下各1本とはいえ夜行『さんべ』が運行されていることも見逃せません。夜行『さんべ』は1984年改正までは定期列車で、12系+20系寝台車という編成でしたが、臨時化以降は12系座席車のみの編成となっていました。
急行『さんべ』は1997年改正で昼行列車が廃止、臨時の夜行だけが残りましたが、こちらも1999年に廃止となりました。
1往復だけの急行『ながと』は、1972年改正で米子―長門市の急行『はぎ』として設定されたのが始まりです。この区間にはすでに急行『あきよし』があり、かつては江津・益田と九州内を美祢線経由編成と山口線経由編成を連ねて走っていました。1985年改正で急行『あきよし』が廃止されたことに伴い、『ながと』は運転区間を延長され1988年時点では浜田→小倉と下関→益田の運転となっていました。地味な存在ながら、『まつかぜ』『さんべ』とともに今は優等列車の走らない益田―下関を走破する列車でした。1992年改正で廃止となっています。
経由路線が華やかだった時代の面影を残す特急『おき』と臨時急行『 つわの』『石見 』
山陰本線の西半分において本数で存在感を示すのが、山口線から直通してくる特急『おき』でした。山陰本線の優等列車として設定されながら、山口線というローカル線も経由するという、かつての急行列車網の運行形態を色濃く残す列車です。
『おき』は、1975年の山陽新幹線博多開業による列車再編として誕生しました。もともと山口線の優等列車としては急行『あきよし』『さんべ』『しんじ』などが走っており、山口線内で完結せず九州から山陰地方を結ぶ長距離列車も存在しましたが、新幹線開業を機に小郡駅(現在の新山口駅)から山口線を経由する山陰方面への接続列車として特急『おき』、急行『つわの』に整理されています。
急行『つわの』は1980年改正で定期列車としては廃止されましたが、1988年時点では臨時列車の名称として健在でした。急行『石見』は1985年まで山陰本線で運行されていた急行列車の名称で、1988年時点では山口線と山陰本線の臨時急行として設定されていました。山陰本線基準で下り(下関方面)では、益田駅で『 つわの』81号と『 石見』が相互接続している様子が見て取れます。ただし、なぜか上りに関してはそのような設定はありませんでした。
『 おき』は2001年改正でキハ187投入にともない、『 スーパーおき』に置き換えられています。
1988年改正 『 いそかぜ』『 くにびき』『 おき』編成表
1 | 2 | 3 |
自 | 自 | 指 |
『 いそかぜ』『 くにびき』『 おき』はいずれも共通運用が組まれ、キハ181の3両編成が基本となっていました。利用不振にともない、『 おき』は1982年改正までに年間を通じてグリーン車の連結を取りやめ、モノクラス編成となっていました。『 いそかぜ』『 くにびき』は、登場時よりグリーン車なしの編成でした。