時刻表完全復刻版1988年3月号 山陰本線 優等列車編その1(京都―米子)
JTBパブリッシングから発行の時刻表完全復刻版1988年3月号で当時を振り返るこの話題、しばらくお付き合いいただいた北海道を離れ、本州へと移動します。今回からは、おそらく民営化後最も変化を遂げた路線の一つでもある山陰本線で、まずは長距離輸送を担う特急・急行列車について取り上げます。そのうち、まずは第一回目として京都―米子間の優等列車を見ていきます。なお、列車数が多いので臨時列車は省略します。
山陰本線は、東海道本線と接続する京都から、山陽本線と接続する幡生まで山陰地方を経由する、支線を含めて全長676㎞、駅数161の路線です。2002年にそれまで在来線最長であった東北本線が東北新幹線延伸に伴い一部第三セクター化されたため、それ以降日本最長の在来線となっています。
国鉄時代はほぼ全線が非電化で、京都市内やその近郊についても都市圏輸送はあまり考慮されておらず、長距離輸送が中心の運行体系となっていました。山陰地方の各都市でも、必ずしも都市間輸送が盛んではなく、京都・大阪・岡山・広島など東海道・山陽本線系統からの乗り入れ列車が運転され、一部の電化区間もこれらの乗り入れ列車の運転区間に合わせて継ぎ接ぎで存在していました。
ローカル色豊かな山陰地方の沿線風景と、近代化から取り残された旧態依然な運行体系・車両などを総評し、鉄道作家の宮脇俊三をして「偉大なるローカル線」と言わしめたのも、山陰本線をよく表現したものとして多くの人を納得させることかと思います。
そんなことを考えながら、1988年3月当時の山陰本線を振り返ってみたいと思います。なお、伯備線から乗り入れてくる『やくも』については、今回は割愛します。
山陰本線京都―米子のうち1988年当時電化されていたのは、福知山―城崎のみ(正確には伯耆大山―米子もでしたが、今回は割愛します)で、1986年(昭和61年)改正で福知山線が電化されたことに伴い、大阪からの『北近畿』乗り入れ用として同時に電化されました。したがって電化の恩恵を受けていたのは『北近畿』のみで、そのほかの列車は全てディーゼル列車でした。
運行体系としては、京都発着の特急『あさしお』、急行『丹後』を中心に、福知山線から乗り入れるこの『北近畿』、播但線から乗り入れる特急『はまかぜ』、急行『但馬』などがあり、特に長距離輸送を中心として停車駅を絞った特急に対して、比較的こまめに停車する地域輸送のための急行とが分けられていたことが特徴として挙げられます。また、往年に比べて減少したとはいえ、鳥取や米子まで足を延ばす長距離列車が多いのも、この時代の特徴でした。これに対し、短編成で運行区間を絞って小まめに停車する『北近畿』は、現在の特急列車の姿を先取りしていたのかもしれません。
この他、今となっては考えられませんが、小浜線にも急行が2往復設定されていました。
1988年3月改正 山陰本線 京都-米子 優等列車時刻表
『あさしお』『はまかぜ』『北近畿』『丹後』『但馬』『わかさ』『はしだて』『出雲』『だいせん』 1988年3月時刻表
それではまずは、いつものように1988年3月時点で山陰本線京都―米子に関連する列車の時刻をご紹介します。この時点で運行されていたのは、昼行では特急『あさしお』『はまかぜ』『北近畿』、そして急行『丹後』『但馬』『わかさ』『はしだて』、夜行では寝台特急『出雲』と急行『だいせん』でした。
1988年3月改正 山陰本線 京都→米子 時刻表その1
だい せん | 出雲 1号 | 出雲 3号 | 但馬 1号 | 北近畿 1号 | あさ しお 1号 | はま かぜ 1号 | 北近畿 5号 | わかさ | あさ しお 3号 | ||
始発 | 大阪 2220 | 東京 1850 | 東京 2120 | 姫路 0806 | 大阪 0805 | 新大阪 0932 | 大阪 1005 | 始発 | |||
京都 | レ | 0350 | 0916 | 0940 | 京都 | ||||||
園部 | レ | レ | レ | レ | 園部 | ||||||
綾部 | ↓ | レ | 0513 0515 | ↓ | 1034 1035 | ↓ | 1057 1102 | 綾部 | |||
福知山 | 0033 0049 | 0259 0302 | 0525 0527 | 0944 0945 | 1045 1047 | 1151 1154 | || | 福知山 | |||
西舞鶴 | || | || | || | || | || | || | 1100 | 1120 1124 | 西舞鶴 | ||
敦賀 | || | || | || | || | || | || | 1250 = | || | 敦賀 | ||
天橋立 | || | || | || | ↓ | || | || | ↓ | || | 1157 1158 | 天橋立 | |
和田山 | 0124 0125 | レ | レ | 0932 0934 | 1011 1013 | レ | 1156 1157 | 1224 1225 | || | 和田山 | |
豊岡 | 0153 0155 | 0401 0403 | 0627 0629 | 1004 1006 | 1041 1042 | 1140 1142 | 1224 1228 | 1252 1254 | 1259 1308 | 豊岡 | |
城崎 | 0206 | 0414 | 0639 | 1015 1016 | 1052 = | 1151 | 1237 1238 | 1304 = | 1318 = | 城崎 | |
鳥取 | 0331 0334 | 0535 0537 | 0806 0808 | 1215 = | 1303 1305 | 1354 1356 | 鳥取 | ||||
倉吉 | 0416 0417 | 0616 0618 | 0852 | 1342 = | 1437 = | 倉吉 | |||||
米子 | 0521 | 0707 | 0941 | 米子 | |||||||
終着 | 出雲市 0649 | 浜田 0957 | 出雲市 1050 | 終着 | |||||||
※1 | ※2 |
※2 福井―敦賀 普通列車
1988年3月改正 山陰本線 京都→米子 時刻表その2
丹後 1号 | 丹後 1号 | はし だて | 丹後 3号 | はま かぜ 3号 | 北近 畿 9号 | あさ しお 5号 | 北近 畿 11号 | 丹後 5号 | |||
始発 | 福井 1019 | 新大阪 1258 | 新大阪 1358 | 始発 | |||||||
京都 | 1028 | 1110 | 1325 | 1343 | 京都 | ||||||
園部 | 1107 1108 | 1155 1156 | レ | 1427 | 園部 | ||||||
綾部 | 1149 1154 | 1241 1242 | ↓ | 1446 | ↓ | 1509 1514 | 綾部 | ||||
福知山 | || | ↓ | 1253 1255 | 1445 1448 | 1457 1459 | 1548 1550 | || | 福知山 | |||
西舞鶴 | 1213 1218 | → 1219 | 1308 1310 | || | || | || | || | 1534 1540 | → 1541 | 西舞鶴 | |
敦賀 | || | 1502 = | || | || | || | || | || | || | 1804 = | 敦賀 | |
天橋立 | 1254 網野 1344 = | 1349 = | || | ↓ | || | || | || | 1623 1624 | 天橋立 | ||
和田山 | 1325 | 1500 1501 | 1514 | レ | 1622 1623 | || | 和田山 | ||||
豊岡 | 1358 1400 | 1530 1532 | 1545 | 1602 | 1651 1653 | 1805 = | 豊岡 | ||||
城崎 | 1414 = | 1541 | 1554 = | 1611 = | 1703 = | 城崎 | |||||
鳥取 | 1703 | 鳥取 | |||||||||
倉吉 | 1743 1744 | 倉吉 | |||||||||
米子 | 1835 | 米子 | |||||||||
終着 | 終着 | ||||||||||
※3 | ※4 | ※5 |
※4 西舞鶴―豊岡 普通列車
※5 西舞鶴―敦賀 普通列車
1988年3月改正 山陰本線 京都→米子 時刻表その3
あさ しお 7号 | 北近 畿 13号 | 丹後 7号 | あさ しお 9号 | 但馬 3号 | はま かぜ 5号 | 丹後 9号 | あさ しお 11号 | 丹後 11号 | |||
始発 | 大阪 1519 | 大阪 1700 | 新大阪 1750 | 始発 | |||||||
京都 | 1440 | 1530 | 1717 | 1808 | 1917 | 2014 | 京都 | ||||
園部 | レ | 1611 1612 | レ | 1858 | 2001 | 2054 2055 | 園部 | ||||
綾部 | 1603 1604 | ↓ | 1703 1708 | 1841 1842 | 1947 1953 | → 1953 | 2042 2047 | 2138 2139 | 綾部 | ||
福知山 | 1614 1619 | 1700 1702 | || | 1852 1854 | 2004 = | || | || | 2151 = | 福知山 | ||
西舞鶴 | || | || | 1729 東舞鶴 1737 | || | 2012 2017 | 2107 東舞鶴 2114 | 西舞鶴 | ||||
敦賀 | || | || | || | || | 敦賀 | ||||||
天橋立 | || | || | || | ↓ | ↓ | 2104 2106 | 天橋立 | ||||
和田山 | 1653 1654 | 1739 1740 | 1923 | 1948 1951 | 2026 2028 | || | 和田山 | ||||
豊岡 | 1720 1726 | 1807 1808 | 1947 1949 | 2026 = | 2100 2103 | 2247 = | 豊岡 | ||||
城崎 | 1735 1738 | 1817 = | 1958 | 2112 2113 | 城崎 | ||||||
鳥取 | 1852 1956 | 2118 2119 | 2225 = | 鳥取 | |||||||
倉吉 | 1956 1957 | 2153 2154 | 倉吉 | ||||||||
米子 | 2052 | 2240 | 米子 | ||||||||
終着 | 終着 | ||||||||||
※6 | ※7 |
※7 西舞鶴―豊岡 普通列車
1988年3月改正 山陰本線 米子→京都 時刻表その1
あさ しお 2号 | 丹後 2号 | 丹後 2号 | 但馬 2号 | 丹後 4号 | はま かぜ 2号 | 北近 畿 8号 | あさ しお 4号 | 丹後 6号 | わかさ | ||
始発 | 始発 | ||||||||||
米子 | 0700 | 米子 | |||||||||
倉吉 | 0744 0745 | 倉吉 | |||||||||
鳥取 | 0655 | 0820 0822 | 鳥取 | ||||||||
城崎 | 0807 | 0851 | 0935 | 城崎 | |||||||
豊岡 | 0520 | 0701 | 0708 | 0817 0819 | 0900 0901 | 0945 0947 | 0914 | 豊岡 | |||
和田山 | || | 0733 0735 | 0743 | 0846 | 0926 0927 | 1013 1015 | || | 和田山 | |||
天橋立 | 0647 0649 | ↓ | || | ↓ | || | || | 1030 1031 | 天橋立 | |||
敦賀 | 0509 | || | || | || | || | || | 0916 | 敦賀 | |||
西舞鶴 | 東舞鶴0700 ↓ 0711 | 0739 → | 0735 0752 | || | || | || | 1113 1121 | 1057 ← | 西舞鶴 | ||
福知山 | || | || | 0821 0841 | 0959 1001 | 1045 1048 | || | 福知山 | ||||
綾部 | 0729 0737 | 0812 0817 | 0853 0854 | ↓ | 1058 1059 | 1140 1149 | 綾部 | ||||
園部 | 0817 0818 | 0859 0900 | 0938 0939 | 1232 | 園部 | ||||||
京都 | 0900 | 0949 | 1026 | 1221 | 1310 | 京都 | |||||
終着 | 大阪 1020 | 大阪 1103 | 新大阪 1146 | 終着 | |||||||
※1 | ※2 | ※3 |
※2 豊岡―西舞鶴 普通列車
※3 豊岡―福知山 普通列車
1988年3月改正 山陰本線 米子→京都 時刻表その2
北近 畿 10号 | あさ しお 6号 | はま かぜ 4号 | 北近 畿 14号 | あさ しお 8号 | はし だて | 丹後 8号 | 北近 畿 16号 | 丹後 10号 | |||
始発 | 始発 | ||||||||||
米子 | 0759 | 0952 | 米子 | ||||||||
倉吉 | 0905 0911 | 1042 1045 | 倉吉 | ||||||||
鳥取 | 0951 0957 | 1121 1123 | 鳥取 | ||||||||
城崎 | 1056 | 1109 | 1237 1238 | 1336 | 1403 | 1453 | 1504 | 城崎 | |||
豊岡 | 1107 1108 | 1119 1121 | 1248 1252 | 1345 1346 | 1413 | 1502 1503 | 1514 1516 | 豊岡 | |||
和田山 | 1136 1138 | 1152 | 1320 1321 | 1411 1412 | 1440 1441 | 1535 1536 | 1558 1600 | 和田山 | |||
天橋立 | || | || | ↓ | || | || | 1411 | 網野 1409 ↓ 1445 | || | || | 天橋立 | |
敦賀 | || | || | || | || | || | 1311 | || | || | || | 敦賀 | |
西舞鶴 | || | || | || | || | 1447 敦賀 1634 | 1521 → | 1520 1534 | || | || | 西舞鶴 | |
福知山 | 1211 1214 | 1225 1229 | 1443 1445 | 1515 1517 | || | 1605 1607 | 1635 1637 | 福知山 | |||
綾部 | ↓ | 1240 1244 | ↓ | 1527 | 1554 1604 | ↓ | 1647 1648 | 綾部 | |||
園部 | 1323 1324 | レ | 1647 1648 | 1729 | 園部 | ||||||
京都 | 1404 | 1648 | 1733 | 1816 | 京都 | ||||||
終着 | 大阪 1356 | 新大阪 1543 | 大阪 1626 | 新大阪 1801 | 終着 | ||||||
※4 |
1988年3月改正 山陰本線 米子→京都 時刻表その3
あさ しお 10号 | あさ しお 12号 | 北近 畿 20号 | はま かぜ 6号 | 但馬 4号 | 出雲 2号 | 出雲 4号 | だい せん | ||
始発 | 出雲市 1640 | 浜田 1537 | 始発 | ||||||
米子 | 1758 | 1837 | 2249 | 米子 | |||||
倉吉 | 1414 | 1602 | 1848 1849 | 1931 | 2358 2359 | 倉吉 | |||
鳥取 | 1454 1457 | 1638 1640 | 1705 | 1928 1931 | 2010 2013 | 0046 0112 | 鳥取 | ||
城崎 | 1611 1612 | 1625 | 1741 | 1755 1756 | 1853 | 2050 2051 | 2132 | 0245 | 城崎 |
豊岡 | 1622 1624 | 1635 1645 | 1750 1751 | 1805 1808 | 1905 1914 | 2101 2104 | 2142 2144 | 0255 0257 | 豊岡 |
和田山 | 1653 1654 | レ | 1817 1820 | 1836 | 1950 | レ | レ | 0327 0340 | 和田山 |
天橋立 | || | 1746 1747 | || | ↓ | ↓ | || | || | || | 天橋立 |
敦賀 | || | || | || | || | || | || | 敦賀 | ||
西舞鶴 | || | 1819 1822 | || | || | || | || | 西舞鶴 | ||
福知山 | 1723 1724 | || | 1848 1853 | 2204 2206 | 2245 2247 | 0415 0456 | 福知山 | ||
綾部 | 1734 1735 | 1840 1848 | ↓ | 2218 | 2300 2301 | ↓ | 綾部 | ||
園部 | レ | レ | レ | レ | 園部 | ||||
京都 | 1851 | 2007 | 2345 | 0025 | 京都 | ||||
終着 | 大阪 2035 | 新大阪 2101 | 姫路 2112 | 東京 0630 | 東京 0656 | 大阪 0709 | 終着 | ||
※5 | ※6 |
※6 米子―倉吉 普通列車
こうやってみると、山陰本線もなかなかの優等列車街道であることが分かりますね。和田山―豊岡では、概ね毎時1~2本の優等列車が運行されており、地域輸送のほうがはるかに規模が小さくなっています。
花形列車だったキハ181特急『あさしお』とキハ58急行『丹後』
この区間の花形列車は京都発着の特急『あさしお』で、1988年当時は6往復の設定でした。現在京都発着の特急『きのさき』系統は最長でも城崎温泉までですが、『あさしお』は倉吉発着が1往復、米子発着が2往復のロングランナーでした。また、1往復は第三セクター化前の宮津線を経由して京都―城崎を結んでおり、所要時間は30分ほど余計にかかっていました。
また、『あさしお』を補完する形で存在していたのが急行『丹後』で、5.5往復が運転されていました。
国鉄色のキハ58が使用され、編成は堂々のグリーン車を含む最大で9両という大編成でした。さらに特徴的だったのは、ほとんどの列車が途中で分割併合を行う運行形態で、その複雑怪奇な運用はキハ58の本領発揮といったところでした。1996年の園部―綾部電化完成までその運行体系は維持され、数少ない国鉄急行列車の面影を残す列車として、貴重な存在でした。
小浜線を経由する優等列車としては、『わかさ』と『はしだて』の2列車が運行されていました。『わかさ』はもともとは西舞鶴-金沢を結ぶ列車として運行されていましたが、1972年からは『丹後』と併結して京都-敦賀の運転となっていました。ただし、1988年当時は、西舞鶴行きはここで『丹後』6号と併結して京都へ向かうものの、敦賀行きは西舞鶴始発の線内単独列車でした。『はしだて』は1992年で廃止となりましたが、『わかさ』は1996年の園部―綾部電化による『丹後』廃止後も西舞鶴―敦賀で存続、1999年に廃止となりました。
1988年改正 特急『あさしお』急行『丹後』 編成表
特急『あさしお』1~12号
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
指 | 指 | G | 自 | 自 |
G:グリーン車 指:指定席 自:自由席 :禁煙車
急行『丹後』1号(京都→網野・敦賀)・2号(豊岡・敦賀→京都)
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
指 | 指 | G | 自 | 自 | 自 | 自 | 自 | 自 |
G:グリーン車 指:指定席 自:自由席 :禁煙車
3~9号車:京都―網野・豊岡 10・11号車:京都―敦賀
急行『丹後』9号(京都→豊岡)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
自 | 自 | 指 | 指 | G | 自 | 自 | 自 | 自 |
G:グリーン車 指:指定席 自:自由席 :禁煙車
1・2号車:京都→福知山 3~9号車:京都→豊岡
急行『丹後』8号(敦賀・網野→京都)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
自 | 自 | 指 | 指 | G | 自 | 自 | 自 | 自 |
G:グリーン車 指:指定席 自:自由席 :禁煙車
1・2号車:敦賀→京都 3~9号車:網野→京都
急行『丹後』5号(京都→豊岡・敦賀)・6号(豊岡→京都)・『わかさ』(敦賀→京都)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
指 | G | 自 | 自 | 自 | 自 | 自 |
G:グリーン車 指:指定席 自:自由席 :禁煙車
1~5号車:京都―豊岡 6・7号車:京都―敦賀
急行『丹後』3・7・11・4・10号(京都―城崎・豊岡・福知山・東舞鶴)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
自 | 自 | 自 | 自 | G | 指 |
G:グリーン車 指:指定席 自:自由席 :禁煙車
『丹後』は編成のバリエーションもさることながら、分割併合あり、逆向きさらに逆向きと進行方向が変わる列車もあり、その変化自在ぶりはまさに国鉄急行列車の運行体系を残すものでした。1両単位で増結できるキハ58の性能をフルに生かし適宜増結も行われ、多客期には最大で11両程度の編成となることもありました。
電車特急となった『北近畿』
特急『北近畿』は、1986年(昭和61年)の福知山線電化に合わせて、それまでの特急『 まつかぜ』、急行『 たんば』『 だいせん』に代わって設定された列車で、この時点では登場2年の新しい列車でした。
『 まつかぜ』は、かつては大阪-博多を結ぶという超ロングラン列車でしたが、1985年(昭和60年)改正で米子以西を『 いそかぜ』として分離、廃止時点では大阪または新大阪-米子に2往復が設定されていました。『 丹波』『 だいせん』はこれを補完するために設定されていたもので、『 だいせん』は昼行列車も存在していました。山陰本線側の終点も例によって賑やかなので、『 北近畿』化によって城崎までの運行となったことから、城崎以西の減少分を補うため『 はまかぜ』が増発されています。
1986年の登場時は6連でしたが、1988年時点では全列車がクロハを含む4両編成となっていました。
1988年改正 特急『北近畿』編成表
特急『北近畿』
1 | 2 | 3 | 4 |
G|指 | 指 | 自 | 自 |
G:グリーン車 指:指定席 自:自由席 :禁煙車
播但線経由の優等列車 特急『はまかぜ』 急行『但馬』
播但線は山陽本線と接続する姫路と、山陰本線と接続する和田山を結ぶ路線です。関西圏から近いにもかかわらず国鉄時代は近代化が大きく遅れ、わりと後年まで蒸気機関車(1972年まで)や客車普通列車(1992年まで)が残されていました。そんな播但線ですが、山陽新幹線が開業した1972年(昭和47年)に陰陽連絡列車の一つとして特急『はまかぜ』が設定され、現在に至るまで播但線の優等列車となっています。2010年にキハ189に置き換えられましたが、1988年の時点では当然キハ181が使用されており、後にキハ181最後の定期列車ともなりました。
もともと『はまかぜ』は2往復でしたが、先述した通り1986年の福知山線系統再編で城崎以西の列車が減少したため1往復が増発され、1988年当時は3往復体制でした。そしてその『はまかぜ』を補完するために設定されていたのが急行『但馬』です。播但線の優等列車としてはこちらのほうが歴史は古く、1952年(昭和27年)改正で大阪―城崎に運行されたのが始まりで、のちに準急化、急行化されました。播但線内ノンストップの『はまかぜ』に対し、『但馬』は線内の利用を想定して比較的こまめに停車していました。
『はまかぜ』は1994年の智頭急行線開通により2往復体制となりますが、1996年の『但馬』廃止の際1往復を格上げし、再び3往復となりました。
1988年改正 特急『はまかぜ』 急行『但馬』編成表
特急『はまかぜ』1~6号
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
指 | 指 | G | 自 | 自 |
G:グリーン車 指:指定席 自:自由席 :禁煙車
急行[『但馬』1・4号
1 | 2 | 3 |
自 | 自 | 自 |
自:自由席 :禁煙車
急行『但馬』3・2号
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
自 | 自 | 自 | 自 | 自 | G | 指 |
G:グリーン車 指:指定席 自:自由席 :禁煙車
1~4号車:姫路―豊岡 5~7号車:大阪―豊岡
山陰本線を行く夜行列車 寝台特急『出雲』 急行『だいせん』
山陰本線の夜行需要として長い間存在したのが、寝台特急『出雲』と急行『だいせん』でした。
『出雲』の歴史は古く、戦前には大阪―米子・松江・浜田・大社を福知山線経由で結ぶ夜行列車がすでに運転されていました。これを延長する形で東京発着の山陰本線夜行列車が設定されたのは1951年(昭和26年)のことで、これに『いずも』(のちに漢字化され『出雲』となった)の名称が与えられました。サンロクトオ改正(昭和36年10月改正)では『いずも』は山陰本線経由に変更、1972年改正で特急化され、20系客車が使用されるブルートレインとなりました。1975年(昭和50年)改正では、東京―米子に新たに寝台特急「いなば」が新設されますが、1978年改正で『いなば』は『出雲』に統合され、以降東京―浜田の1・4号、東京ー出雲市の2・3号の2往復体制となりました。
また、『だいせん』の歴史も古く、大正時代には大阪と出雲大社を結ぶ列車が存在していました。福知山線経由の『だいせん』が登場するのは1968年(昭和43年)改正で、定期3往復体制となっていました。
1986年の福知山線電化による列車系統再編により、『だいせん』の昼行列車は『北近畿』に格上げされ廃止、1988年時点では夜行1往復の運行でした。
『出雲』は列車の成り立ちから1・4号が24系、2・3号が14系で、使用車両が分かれていました。食堂車については、2・3号は運行時間帯の都合で『いなば』時代から連結していたものの営業はなく、1984年に編成から外されました。1・4号は1988年時点ではまだ営業していましたが、営業所が米子から東京に移ったことに伴いご当地メニューなどが減少、簡素化により客足が遠のいたことで1991年に営業を終了しました。それでもオシ24は編成から外されることなく売店としての営業は続けられ、1998年の売店廃止後もフリースペースとして残り、列車の廃止まで存続しました。
1988年改正 寝台特急『出雲』 急行『だいせん』編成表
寝台特急『出雲』 1・4号
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | |
電 | A1 | B | B | B | B | B | B | B | B | B |
A1:A個室(シングルDX) B:B寝台 :禁煙車 :食堂車
寝台特急『出雲』 2・3号
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
B | A | B | B | B | B | B | B | B | B |
A:A寝台 B:B寝台 :禁煙車
『出雲』2・3号は、この後グレードアップとして2号車がA個室寝台「シングルDX」に、3号車が1人用個室「シングルツイン」と2人用個室「ツイン」に変更されています。1・4号の個室は最後まで1号車のみでした。
1998年に『サンライズ出雲』が運転を開始、この時に2・3号は廃止となり、従来の2・3号の時刻に1・4号が振り変えられ、『サンライズ出雲』と『出雲』の2往復体制となりますが、『出雲』は2006年に廃止となりました。
急行『だいせん』
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
B | B | B | B | 指 | 指 | 自 |
B:3段式B寝台 指:指定席 自:自由席 :禁煙車
『だいせん』は1978年(昭和53年)以降は昼行2往復+夜行1往復体制で、1986年改正で昼行便は『北近畿』へ格上げとなり、同時に20系客車から14系寝台車+12系座席車へと使用車両も変更となりました。寝台特急とは異なり、長い間3段式のB寝台車が使用され、2段式へと変更されたのは1994年のことでした。
1999年には運転区間を大阪―米子に短縮の上、使用車両もキハ65エーデルへと変更、閑散期には2両編成という寂しい内容となってしまいました。そして2004年に廃止となっています。
以上、時刻表1988年3月号から山陰本線優等列車編その1でした