今に続く時刻表第一号の復刻版が発売 時刻表1925年4月号

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JTB時刻表の第一号 1925年4月の時刻表が復刻版で発売

本ブログでもたびたびお伝えしている、JTBパブリッシングから発行されている「時刻表復刻版」シリーズですが、今に続く時刻表第一号となった1925年4月号が「時刻表復刻版 1925年4月号 創刊号」として発売されます。

時刻表復刻版は、発行当時のまま誌面を再現したシリーズで、これまでに本ブログでも紹介しているJR発足後第一回目の改正で、瀬戸大橋や青函トンネル開業となった1988年3月号や、現在の特急列車網の基礎を築き、国鉄全盛期ともいえるヨンサントオ改正を収録した1968年3月号、国鉄初の減量改正となり、上り偶数下り奇数の号数が採用されたゴーサントオ改正の1978年3月号、東海道新幹線開業直前で、夕方から深夜にかけて10分おきに長距離列車がひしめき合う東海道本線の黄金時代を掲載した1964年9月号など、時刻表好きにはたまらないラインナップが発行されてきました。

今回発行される1925年4月号は、この時新たに刊行された「汽車時間表」と呼ばれるもので、現在まで続く「JTB時刻表」の創刊号となります。

なお、発売は2022年9月13日が予定されていますが、Kindle版はすでに発売済みです。

鉄道時刻表の歴史とは 

鉄道開業以来時刻表は必要不可欠なものとされ、1872年(明治5年)の鉄道開業時には既に存在していたといわれています。

当初は駅に備え付けられるものがほとんどだったそうですが、路線の拡大とともに旅客数も増加。乗り換えも必然的に複雑なものとなり、携行できる時刻表の需要が生まれたのも当然でした。初めての冊子型の時刻表である「日本全国汽車時間表」が登場したのは、東海道本線が全通した1889年(明治22年)のことで、1894年(明治27年)には初の月刊誌となる「汽車汽船旅行案内」が創刊しました。

人々の移動が盛んになるにつれ、時刻表の創刊も相次ぎ、多くの出版社から刊行されるようになりました。こうした百花繚乱状態を見た当時の鉄道院(のちの国鉄)は、有力誌を統合して「公認汽車汽船旅行案内」を作成しました。

そして1925年に「汽車時間表」が創刊。出版元は日本旅行文化協会というところで、戦後は日本交通公社と呼ばれ、現在のJTBの前身となる団体です。

こちらは1912年から鉄道院が業務用として発行していた「列車時刻表」を再編集し、一般向けとして販売したもので、それまでの「公認汽車汽船旅行案内」に代わり、鉄道院から改められた鉄道省公認時刻表となりました。この「汽車時間表」は1942年(昭和17年)に「時刻表」と改められ、戦時中の紙不足の時代にも途切れることなく発行され現在に至っています。

この1925年創刊の「汽車時間表」は、出版が現在まで続いているということの他に、もう一つ現在まで続く体裁を作り出しました。

従来の時刻表が右開き(国語の教科書と同じ)で、駅名・時刻がすべて縦書き、漢数字だったのに対し、「汽車時間表」は左開き(多くの雑誌と同じ)で横書き、アラビア数字を使用した点で、レイアウトでも現在の時刻表の基礎となっています。

時刻表から見る 1925年とはどんな時代だったのか?

さて、1925年とは鉄道にとってどのような年だったのでしょうか?

1925年は、元号に直すと大正14年。商品の紹介欄にもある通り、この年は山手線が現在の環状運転を始めた年です。ただし、環状運転となったのは11月の上野―神田開業以降で、4月号の時点では上野―池袋―渋谷―東京―中央線直通という運転形態で、この他に赤羽線直通の列車もあったようです。運転間隔は早朝深夜を除いて12分間隔、赤羽線は23乃至27分間隔という表記が読み取れます。

首都圏では山手線や中央線で国電の運転が始まっていましたが、関西圏ではまだ電化区間はなく、関西圏での電車運行は1932年(昭和7年)の片町線(現在の学研都市線)電化を待つ必要がありました。

主要幹線はすでに各方面へつながり、時刻表は冒頭でまず東京を中心に「東京以西連絡」「東京以北連絡」と長距離列車の時刻が掲載され、次いで日本海側の「青森―金沢―鳥取―下関」の時刻表が掲載されていますが、こちらを「裏日本」と表記するあたりに時代を感じます。

当時は東京―大阪には特急列車2往復が運転されており、所要時間は11時間程度でした。東京―青森にも、東北本線・常磐線経由でそれぞれ1往復の急行列車が運転されており、いずれも所要時間は17時間でした。どちらの列車も青函連絡船を挟み、札幌はもちろん稚内、根室方面までの連絡が確保されていました。

また、戦前らしく国際連絡列車の時刻も掲載されており、「志那及滿洲(満州)連絡」や「西比利亜(シベリア)連絡」といったページも存在し、連絡船や中国大陸の列車の時刻が掲載されている他、時差に関する注意書きも見ることができます。

現在の時刻表と異なるのは、12時間表記を採用していることで、午前時刻は細字、午後時刻は太字で記載されています。日本国内の時刻表が24時間表記を採用するのは、戦争が激化した1942年(昭和17年)からで、軍隊が使用している24時間制に合わせたためと言われています。

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