南阿蘇鉄道 2023年夏の全線運転再開へ秒読み JR乗り入れ対応の新型車両も

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熊本地震で被災の南阿蘇鉄道 2023年夏の全線復旧向け準備進む

2016年の熊本地震で大きな被害を受け、長期間にわたって一部区間が不通となっていた南阿蘇鉄道で、2023年夏の全線運転再開に向けた準備が着々と進んでいます。

とりあえず被害の少なかった高森―中松で運転を再開したものの、被害個所は全線で20か所位以上にも及び、一時は復旧も困難かと思われましたが、国の支援を受ける体制が整ったことや、全国からの支援により2019年に全線復旧が決定しました。

被害も大きく困難が予想された第一白川橋梁や、犀角山トンネルなどの工事も順調に進み、予定通り2023年夏の運転再開が予定されています。また、南阿蘇鉄道は運転再開と同時に新型車両MT-4000形2両を導入、運転を開始することを明らかにしています。

南阿蘇鉄道が新型車両を25年ぶりに導入 JR乗り入れ対応も

新型車両はMT‐4000形と呼ばれ、全長18mの軽快気動車です。南阿蘇鉄道としては、1998年のMT‐3000形以来25年ぶりの新型車両となります。

この車両は新潟トランシス製のNDCシリーズと呼ばれるもので、16mから20mまで幅広いラインナップがあり、JRから第三セクター鉄道まで多くの線区で採用されています。

今回製造されたMT‐4000形は、外観は阿蘇の自然をイメージしたなめらかな曲線ラインを配置。車内にはインバウンドに対応するため多言語対応が可能な案内施設や、GPSの支援を受けた案内・機器の自動制御、バリアフリー対応設備が設置されています。

表示されない場合: MT-4000形について(南阿蘇鉄道Webサイトより)

南阿蘇鉄道の車両としては初めて貫通扉を採用し、2両以上連結した場合に車内の通り抜けが可能となりました。

また、全線復旧後は豊肥本線肥後大津までの乗り入れが検討されていることから、設計段階からJR九州が協力し、保安システムもJR九州に合わせて最新型が搭載されています。

新型車両は2両が導入され、すでに2022年11月には南阿蘇鉄道へ搬入されています。

今後は新型車両の習熟運転を行う傍ら、復旧工事の進捗に合わせて試運転にも投入、全線開通時に営業運転を開始する予定です。

新型車両の導入により、南阿蘇鉄道開業時から使用されているMT-2000形(1998年以降改造によりMT-2000A形へ変更)3両のうち2両が置き換えられる見込みです。

熊本地震による被害が甚大だった白川第一橋梁と犀角山トンネル

熊本地震の被害は南阿蘇鉄道全線に及びましたが、その中でも被害規模が大きかったのが第一白川橋梁と、それに続く犀角山トンネルでした。

第一白川橋梁は、立野―長陽で白川に架けられた鉄橋で、高森線(当時)が全線開通した1928年(昭和3年)2月に供用が開始されました。

全長は166.3m、切り立った立野渓谷をまたぐアーチ橋で、水面からレール面の高さは約60mあり、後に高千穂橋梁(高さ約105m)が完成するまでは、日本一の高さを誇る鉄橋でした。

2016年当時の第一白川橋梁 観光客向けのトロッコ列車と、一般車両が連結されて運行して、列車は鉄橋上で一時停止ていた 水面からの高さは60mあるが、1953年(昭和28年)の大雨では線路の高さまで水が押し寄せたという 高千穂橋梁の完成で日本高い鉄橋の座は譲り渡し、後に大井川鐡道の関の沢橋梁が開通したことで3位に後退したが、高千穂鉄道の廃止により再び2位に返り咲いている 撮影:鉄道模型モール制作室

高森線は第一次特定地方交通線に選定され、1986年(昭和61年)に南阿蘇鉄道へと引き継がれましたが、白川第一橋梁は沿線随一のハイライトとして多くの観光客を集めていました。観光シーズンに運行されるトロッコ列車は、この鉄橋上で停車するサービスも行われていました。

熊本地震では、1回目の4月14日の地震では被害がほとんどなかったものの、2回目となる4月16日の地震では激しい揺れで橋台や橋脚が最大40㎝程度移動、さらに最大で40㎝程度沈下していることが確認されました。これにより鉄骨にも破断や折れ曲がりが生じ、さらに橋の中央付近は19㎝隆起、これらにより上部構造物は大きく強度が低下している恐れがあり、一度解体する必要があると結論付けられました。

一方下部はそのままで使用に耐えられることが分かったため、路線の存続も決まったことから、上部構造物をかけ替えることでまとまり、2021年1月より旧橋梁の解体工事を開始、2022年からは、新橋の設置工事が始まっていました。

第一白川橋梁(熊本県)架設タイムラプス(中央径間架設まで)
白川第一橋梁の復旧工事を請け負ったエム・エム ブリッジ株式会社が公開している、復旧工事の様子 橋梁下からはアクセス困難なため、両側に大型のクレーンを設置してワイヤーで結び、それらに引っ掛けることで仮固定や資材の運搬が行われている 動画は約2カ月分で、上部構造物が見事に組み合わさってゆく 

白川第一橋梁の高森側にあったのが長さ125mの犀角山トンネルで、後の調査の結果、熊本地震の原因となった布田川断層がかかっていることがわかりました。このため、トンネル内部の破損に加え、断層に近い立野側40mの損傷は特に激しく、最大で40㎝以上横ずれを起こしていることが確認されました。

この横ずれを起こした部分の補修は困難で、当初はトンネルの立野側40mの山を切り開き、トンネルを撤去する方針でした。しかし、工事費が高額になることや、トンネル付近の治水事業なども関連し、結局山全体を取り除くことで、トンネル全体を撤去する方法が採用されました。

この他、復旧にあたって難工事が予想された立野橋梁、戸下トンネルは、調査の結果補修で使用に耐えることが判明、すでにその工事は終了しています。

高森から延岡まで 延伸の夢潰えたトンネル出水

南阿蘇鉄道の前身となる国鉄高森線は、1928年(昭和3年)2月に立野―高森で運行を開始しました。

これに遡ること9年の1914年(大正3年)には、現在の豊肥本線となる宮地線の熊本―宮地が開通、同じ年には大分側からも将来の接続を目指し犬飼線として部分開業しました。

阿蘇の北側を通る路線の建設にめどがついたことから、今度は阿蘇の南側を通る路線についても建設の機運が高まり、将来的には宮崎県延岡までの延長を目指し、当時の宮地線の支線として営業を開始したのが高森線の始まりです。

開業年の12月には、犬飼線が宮地駅まで達したことにより、熊本―大分が全通。これにより宮地線、犬飼線が統合されて豊肥本線となり、宮地線の支線だった立野―高森は高森線と改称されました。

高森線は終点となった高森駅からさらに延伸される計画があり、最終的には日豊本線と接続する延岡駅までを結ぶ路線となるはずでした。このため、高森駅は仮駅となっており、全線開通時には移動する予定となっていました。

延岡側からは、九州を横断する主要な路線となるべく1935年(昭和10年)に日ノ影線として開業、戦争による中断を挟みながら1972年(昭和47年)には高千穂駅までが開業して高千穂線となりました。残る高森―高千穂の約27㎞は、1973年(昭和48年)に着工、1977年(昭和52年)の完成に向け工事が続けられていました。

しかし、工事最中の1975年(昭和50年)2月、高森トンネル採掘中に異常出水が発生。これは誤って地下水脈地帯を破砕したためで、毎分36tという大量の水があふれ出しました。

これが工事の進行に影響を与えたのはもちろんのこと、周辺の住宅では井戸が枯れるなど被害は甚大でした。建設に当たっていた鉄道建設公団(当時)が沿線住民に対して補償を行う必要が生じたことに加え、出水はその後も続き工事は難航しました。時期的にも国鉄の赤字問題がクローズアップされ、新たなローカル線の建設も疑問が投げかけられていたこともあり、結局1980年(昭和55年)に建設中止が決定しました。

建設途中で放棄された高森トンネルは、高森湧水トンネル公園として整備され、内部を歩くことができる 行き止まりの地点からは現在も毎分32tという大量の出水があり、高盛町の貴重な水源となっている 撮影:鉄道模型モール制作室

結ばれることのなかった高森線と高千穂線は、その後特定地方交通線に選定されて廃止対象となり、それぞれ南阿蘇鉄道、高千穂鉄道として新たに発足しました。しかし、高千穂鉄道は2005年9月の台風14号で橋梁が流出するなど大きな被害を受け、復旧に際して資金のめどがつかないことから2007年までに全線で廃止届が提出され、2009年には会社自体が解散となりました。

今回大きな被害を受けた南阿蘇鉄道では、国の支援策が整ったことにより、ほぼ事業者の負担なく復旧工事に取り掛かることができましたが、17年前の高千穂鉄道の被災の際にはこうした制度はなく、そういった意味ではローカル線存続に対して行う支援は、少しずつですが充実してきているのかもしれません。

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