中央線快速向けのグリーン車 サロE233-1・2が竣工の模様
2024年度以降の導入に向けて準備が進められている中央線快速へのグリーン車投入計画で、第一陣となるサロE233-1とサロE233-2の2両が竣工、その模様がネットで報じられています。
中央線快速へのグリーン車導入は2015年に発表されたもので、現行の10両編成に新たに2階建てグリーン車を組み込み12両編成化するというものでした。当初は2020年度に実施予定とされていましたが、バリアフリー化など同時に進行している事業との折り合いにより、2023年度へと延期されていました。しかし、世界的な半導体不足などから車両の製造にも遅れが出ており、少なくとも1年程度遅れる見込みとされ、現時点では具体的な実施時期の発表はなされていません。
そんな中で、量産試作車ともいえる2両が2022年7月12日に総合車両製作所を出場、甲種回送された模様です。
事前の情報通り、東京駅での折り返し時間短縮のため両開き扉となったのが特徴で、2階建て車両での両開き扉は常磐線で試作されたクハ415-1901以来となります。扉幅の拡大により、座席配置や車内レイアウトも既存のサロE233と比べ変更が加えられている模様ですが、詳細は明らかになっていません。
なぜ「グリーン車」なのか? その由来は何?
近年中には始まる中央線快速のグリーン車サービスですが、そもそもなぜ「グリーン車」と呼ばれるのでしょうか?
グリーン車という名称ができたのは1969年(昭和44年)のことで、それまで1等車、2等車と呼ばれていたものをグリーン車、普通車と呼び変えることで誕生しました。
1950年代半ばまでは国鉄は3等級制を採用しており、上位から順に1等車、2等車、3等車と呼ばれていました。
このうち1等車に関しては、1960年(昭和35年)までに全廃となり、旧2等車が1等車に、旧3等車が2等車にそれぞれ改称されています。このため、例えばそれ以前の小説などで1等車という記述があれば、現在のグリーン車よりワンランク上の車両ということになります。
旧1等車の名残は現在の車両形式にも残っており、3等級時代は上位から順にイ、ロ、ハと呼称してたところ、イに該当する1等車がなくなってしまったため、ロが1等車(現在のグリーン車)、ハが2等車(現在の普通車)に使用されるようになりました。
そして最初の疑問に戻りますが、なぜ1等車が「グリーン車」と呼ばれるようになったのか? それについては以下のように諸説があり、はっきりとはわかっていません。
- 1等車の窓下にひかれていた緑色のラインに由来する説
- 1961年(昭和36年)より、1等車は窓下に緑色のラインが入れられていました 経費削減で1978年(昭和53年)にこの塗装は廃止されましたが、このラインカラーを取り入れたという説
- 「特別2等車」で指定席と自由席を区別するために座席にかけられた緑色のカバーに由来する説
- 1950年代の一部の列車で、(旧)2等車の中でも設備の良い車両を指定席の特別2等車とし、その他の自由席2等車と区別するためつけられた座席カバーに由来するという説(特別料金が必要だった) なお、特別2等車は全体的な(旧)2等車のサービスアップによって特別な存在でなくなったため、後に(新)1等車に統合
- 1968年(昭和43年)まで使用されていた1等車の切符が緑色であったことに由来する説
- 愛知県にあるリニア鉄道館では、グリーン車の由来についてこの説が記載されています
現在のところ、これらの説が有力とされていますが、1等車がグリーン車と名称変更されることを報じる当時の新聞には、グリーンの由来について「安全と快適さを表わすイメージに通じる」と記載しているものもあります。
グリーン車のマークの由来は?
2022年現在、外観からグリーン車を識別するために、多くの場合乗降口付近にグリーン車マークが取り付けられています。このマークの由来は何なのでしょうか。
このグリーン車マークについては、四つ葉のクローバーを模したものと言われています。その由来について当時の新聞には、担当者の話として「“幸運”にもめぐりあえます」というコメントが掲載されています。
ちなみにこのグリーン車マークを考案したのは工業デザイナーの黒岩保美氏で、グリーン車マークだけでなく当時の特急列車のトレインマーク、特急色やブルートレイン、湘南色など、現在まで続く数多くのデザインを手がけたことでも有名です。