日本初の多扉車 京阪5000系が5扉運用を終了へ 鉄道車両の扉数・幅の変遷

車両のはなし
スポンサーリンク

アマゾン タイムセール

人気の商品が毎日登場。

タイムセール実施中

スポンサーリンク

アマゾン タイムセール

人気の商品が毎日登場。

タイムセール実施中

日本初の多扉車 京阪5000系が5扉運用を終了

京阪電鉄は、2021年1月に実施するダイヤ改正おいて、同社の所有する5000系電車の5扉車運用を終了すると発表しました。

通勤電車では1両当たりの扉数は片側3~4か所が一般的ですが、京阪5000系は片側に5扉を備えた多扉者の先駆け的存在で、その後205系、209系、京王6000系などで採用され、多扉車の存在は関東でも一般的に知られるようになりました。

扉数の多さは、ラッシュ時の乗降時間の短縮や混雑緩和につながる反面、座席数が減少して着席サービスの低下にもつながることや、ラッシュ以外の閑散時間帯には過剰設備となり、ラッシュの混雑低下もあって関東圏からはすでに姿を消しています。

京阪5000系は、ラッシュ時には5扉車として運用される一方、日中にはこのうち2扉を締め切り、天井に収納した座席を配置することで3扉車としても使用でき、登場以来実に45年にわたって、二つの顔を持つ電車として運用されてきましたが、ダイヤ改正後は3扉車専用となります。

3扉と5扉 変化自在の京阪5000系

京阪5000系は、1970年(昭和45年)から1980年(昭和55年)にかけて製造された車両で、7連7本と事故廃車代替1両の50両が製造されました。

当時の京阪電鉄では、乗客の増加でラッシュの混雑緩和が喫緊の課題となっていました。特に、各駅停車の乗降時間の増加が慢性的な列車の遅れを引き起こしていました。根本的な解決として複々線区間の延長に着手しますが、完成までには相当の時間を要するものでした。また、当時の京阪は架線電圧が600Vで、送電容量の関係から1編成は7両までに制限されており、電車の増結も不可能でした。1500Vへの昇圧も検討されますが、当時は京都市内で電圧600Vの京都市電と平面交差していたため、こちらも実現にはかなりの時間が必要でした。

そこで、これらの完成までのつなぎとして車両側で対策を行うこととなり、製造されたのが5000系でした。

5000系は、19mの車体に片側5か所の両開き扉が設置され、乗降がスムーズに行える設計とされました。ただし、扉幅は両開き扉標準の1300㎜に対して1200㎜と若干狭い設計となっています。また、扉配置と車体長の関係上、窓とドア配置は前後で非対称となり、大阪側の車端部には窓と座席が設置されていません。

編成の一部分ではなく、編成の全車両が多扉車という例は、京阪5000系が唯一の存在 ずらりと並んだ扉は圧巻
Wikipediaより

5000系の最大の特徴は、このドア数とドア配置に加え、日中は5扉のうち2扉を締め切りとし、3扉車としても運行できることでした。さらに締め切り扉の天井には収納式の座席を設置、3扉車として運行する際は締め切り扉部分にもロングシートがセットされ、日中の着席サービスにも対応していました。

当然構造的には複雑となり車体重量の増加を招くことから、車体は当時としては珍しいアルミ製とし、在来車よりも軽量化することにも成功しました。

ラッシュ時以外は締め切りとなる扉 区別のため、上半分は塗装されずアルミ地となっている
Wikipediaより

落成後は、その性能がもっとも発揮できる朝ラッシュに大阪側へ到着する列車を中心に運用が組まれ、閑散時間帯には2扉を締め切って座席を配置し、通常の列車と同じ着席サービスを提供しました。なお、5扉と3扉の切り替えは原則として車庫内や引き上げ時に行われ、ホームでの作業時にはいったん乗客をすべて降ろした後で切り替え作業を行っていました。

座席を使用した状態 5扉運用時には、折り畳みの上天井へ収納される
Wikipediaより

首都圏を中心に増加した多扉車

多扉車はしばらく京阪の独擅場でしたが、ラッシュ対策が限界に近づいてた平成に入ったころから首都圏での採用が目立つようになります。

まず1990年、当時10連で運転されていた山手線の11連化に合わせ、増結分は6扉を備えたサハ204が投入されました。平日の始発から朝10時までは座席を収納した状態で使用され「家畜電車」とも揶揄されましたが、増結効果と合わせ混雑緩和と遅延防止に効果は絶大でした。この成功を受け首都圏の一部のJR線では編成中に1両ないし2両の6扉車を連結するケースが多くみられるようになりました。

山手線205系で導入された6扉車 写真は埼京線転属後 山手線では後継車となるE231系でも導入された
Wikipediaより

私鉄でも、1991年に京王6000系で、5扉車が投入されます。当時の京王線では、すでに1時間当たりの最大運転本数が30本に達し、優等列車の10連化も完了しており増発、増結の余力がなくなったため、乗降時間短縮を目指して5連×4本が投入されました。この他、東急や東武、営団地下鉄(現在の東京メトロ)などでも一部で導入されました。

扉数ではなく、幅を拡大したワイドドア車

一方、扉の数ではなく幅を広げた車両として「ワイドドア」車が導入された例もありました。その嚆矢となったのが小田急1000系で、1990年に扉幅を2,000㎜に広げた車両が登場しました。

扉幅を広げたことでラッシュ時の乗降をスムーズにする狙いがありましたが、扉周りの空間が広く人が滞留し、かえって乗降の妨げる結果となりました。また、座席の減少で着席サービスの低下にもつながったことから、1996年以降扉幅を1,600㎜にする改造工事を行っています。

ワイドドアを採用した小田急1000系 運転席直後を除き、幅2,000㎜の扉が並ぶ かえって乗客の動線を悪化させたため、後に扉幅を狭める改造を受けている
Wikipediaより

小田急では続く2000系と3000系の1次車でこの幅1,600㎜の扉を採用しましたが、2002年製の2次車以降は標準の1,300㎜扉へと戻っています。

また、営団地下鉄(現在の東京メトロ)の05系でも、混雑の激しい東西線で幅1,800㎜の扉を採用した編成が登場しました。しかし、乗降時間の短縮効果に乏しく導入は5編成で終了、以降は標準扉となっていました。しかし、再び混雑が激しくなってきたことから、2010年以降に投入された15000系では再びワイドドアを採用しています。

関西でも、ラッシュ時の増結車両として製造された阪急8200系が1,500㎜の扉を採用しましたが、合計4両の製造にとどまり他形式へ波及することはありませんでした。阪神では伝統的に1,400㎜の両開き扉を採用していましたが、こちらも2001年製の9300系以降は標準的な1,300㎜扉へと変更されています。

多扉車・ワイドドア車の衰退

このように様々な会社で登場した多扉車、ワイドドア車ですが、2020年現在そのほとんどが後継車がないまま引退となりました。

その理由は、社会情勢の変化によりラッシュの混雑が緩和され、こうした特殊車両の需要が少なくなったことが挙げられます。今後も朝ラッシュの混雑が劇的に悪化する可能性は少ないことから、今後も登場する可能性は少ないといえるでしょう。

また、多扉車やワイドドア車など、標準スタイルから外れる車両が淘汰される最大の原因は、やはりホームドアの導入でしょう。同一路線で同形式の車両だけを運用できるJRならともかく、在来車や特殊車両が入り乱れる私鉄では、イレギュラー車両が敬遠されるのも止むを得ません。

また、座席の減少は日中など閑散時間帯のサービス低下ともなり、乗客から不満の声が寄せられることも少なくなかったようです。

こうした理由から、先にあげたような多扉車やワイドドア車は2010年代以降に急速に姿を消し、多扉車については2020年12月現在存在しているのは京阪5000系だけという状態になっています。

なお、ワイドドア車については、東京メトロ東西線ではホームドアの導入にも大きな支障がなかったことから、15000系と05系の合わせて18編成が健在です。

5扉車運用終了 京阪5000系にも引退が迫る

こうして多扉車が次第に淘汰される中、扉数を切り替えて着席サービスを提供できる京阪5000系は長きにわたって活躍の場を得てきました。

しかし登場以来45年が経過し、車体の老朽化も進んでいることから、2016年以降編成単位での廃車が進行しています。

2020年12月現在、在籍しているのは7連×4編成で、平日は4運用、土休日は3運用をこなしています。このうち、平日は大阪側へ朝8時前後に到着する通勤準急や普通として、5扉車として本来の役割を果たしています(予備がないため、検査時などは一般車が代走します)が、先にも述べた通り、2021年1月改正において5扉車運用は終了することとなりました。さらに今後はホームドアの設置が予定されており、扉位置の異なる5000系は近い将来全廃となることが報じられています。

京阪電鉄では、長らく乗客の減少する状態が続き、かつては複々線を活かしてピーク1時間当たり44本を運転していましたが、現在は35本まで減少するなど、減量ダイヤが続いています。この状況から考えても、今後は京阪おいても多扉車の製造される可能性はほとんどなさそうで、5000系の廃車とともに日本から多扉車はすべ引退となりそうです。

タイトルとURLをコピーしました