新幹線ができるとどうして在来線は廃止? 並行在来線問題とは

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新幹線開業で並行在来線が第三セクター・バス転換

北海道新幹線延伸で函館本線の一部が廃止・バス転換へ

2030年に予定されている北海道新幹線の新函館北斗ー札幌延長にあわせ、並行在来線となる函館本線の函館―長万部―小樽のうち、長万部ー余市が廃止されることが、ほぼ決定的となりました。

これは、2022年2月3日に行われた「並行在来線対策協議会・後志ブロック会議」で決定されたもので、長万部ー小樽の沿線9市町村のうち、2021年12月にすでにバス転換で合意していた長万部町、共和町、倶知安町、仁木町に加え、黒松内町、ニセコ町、蘭越町がこの日の会合で函館本線の廃止、バス転換に合意しました。

残る余市―小樽については、鉄道としての存続を望む余市町と、判断を保留する小樽市の間で協議がまとまらず、ひとまず保留となった模様です。余市町は、小樽を超えて札幌方面への直通流動もあることから、鉄道による存続を求めていますが、余市―小樽は1時間1本程度のJRに対して毎時2本以上のバスがあるなど、こちらも存続へ向けては厳しい状態が続いています。

なお、同じく北海道新幹線延伸時に並行在来線となる函館本線函館―長万部については、JRからの経営分離となることは決まっているものの、具体的な方針についてはまだ決まっていません。

西九州新幹線開業でも、長崎本線の一部が上下分離式へ

2022年9月23日に決まった西九州新幹線の開業に合わせ、並行在来線となる長崎本線肥前山口―諫早についても、JR九州からは経営分離されることが決定しています。

しかし、この区間については厳密に並行しているとは言い難いことから、施設は佐賀県・長崎県が保有し、JR九州が両県から施設を借りて列車を運行するいわゆる上下分離式とされました。ひとまず新幹線開業から23年間はJR九州が運行を行い、博多―肥前鹿島の特急も運行される見込みです。

並行在来線とは? JRからの経営分離は既定されている

さて、新幹線が開業する区間で耳にするこの「並行在来線」、いったい何なのでしょうか。なぜJRから経営分離される必要があるのでしょうか。

現在一般的な意味で言われる並行在来線とは、国土交通省のWebサイトによれば「整備新幹線区間を並行する形で運行する在来線鉄道」で、これらは「整備新幹線に加えて並行在来線を経営することは営業主体であるJRにとって過重な負担となる場合があるため、沿線全ての道府県及び市町村から同意を得た上で、整備新幹線の開業時に経営分離されることとなっています」とされています。

逆に考えれば、整備新幹線開業まで(実際には着工の条件として)には沿線すべての自治体が並行在来線の経営分離に同意しているということになります。

つまり並行在来線は、整備新幹線開業時にJRの手を離れる、ということは既定路線として定められているのです。なぜ新幹線ができると並行在来線は経営分離されるのか? その答えは決まりだから、ということになります。

ただ、経営主体が変わるだけのか、はたまた廃止なのかはなんとも決められていません。そして、ここで出てきた整備新幹線とはいったい何なのでしょうか? また、どういう経緯で、在来線は経営分離と決まったのでしょうか。

整備新幹線計画とは? 国鉄時代に基本計画が策定された新幹線

1964年(昭和39年)10月、輸送力のひっ迫した東海道本線の線増という名目で、東海道新幹線が開業します。すでに世界的にも鉄道斜陽化が叫ばれていた時代でしたが、高速鉄道はひとまず成功をおさめました。この成功を受け、同じように輸送力の限界が近づいていた山陽本線の輸送力増強のため、1965年(昭和40年)には新大阪ー岡山、1969年(昭和44年)には岡山ー博多の工事が認可されます。

こうなると、ぜひ我が地元にも新幹線を建設してほしい、という声が上がるのは当然のこと。そこで日本全国に新幹線路線網を整備する根拠として、1970年(昭和45年)に全国新幹線整備法が制定され、整備や建設の手順が定められました。この時から、新幹線は在来線の輸送力増強という当初の名目を外れ、必ずしも需要に応じて建設されるものではなく、国土や地方の発展の手段として、さらにはしばしば政治の道具としても利用されるようになりました。

この法律に基づき、1971年(昭和46年)には東北新幹線(東京ー盛岡)、上越新幹線(東京ー新潟)、成田新幹線(のちに中止)の整備計画が決定、同年中には工事が始まりました。1973年(昭和48年)には、これに続く新幹線として次の区間の基本計画が策定されました。

  • 東北新幹線 盛岡市―青森市
  • 北海道新幹線 青森市―札幌市
  • 北陸新幹線 東京都―大阪市
  • 九州新幹線 福岡市―鹿児島市
  • 九州新幹線 福岡市―長崎市

この5計画が、後に整備新幹線と呼ばれるもので、今日までの新幹線計画の基礎となっています。

国鉄改革で一度は立ち消えた整備新幹線 新幹線建設費のため在来線は犠牲に

整備新幹線の計画策定時は国鉄という組織があり、建設主体や営業主体も全て国鉄であり、並行する在来線については当初は当然国鉄が運営するものとして、その扱いは全く問題にもされていませんでした。しかし、当時の国鉄は赤字問題が取り沙汰され、とても新幹線の建設どころではありませんでした。基本計画は定められたものの、オイルショックによる景気の停滞や、国鉄の分割民営化問題もからんで1982年(昭和57年)には整備新幹線計画は当面見合わせとなりました。

事態が大きく動くのは国鉄が分割民営化された前後で、1987年(昭和62年)には計画凍結が解除され、長野オリンピック輸送と関連し1989年には北陸新幹線の高崎―軽井沢の建設が始まりました。ですが、この時には当初の計画策定時とは状況が一変、次の問題が立ちはだかりました。

建設、運営主体とされていた国鉄は解体されなくなり、建設費をだれが負担するのか、その後の運営をだれがするのか、という問題が発生したのです。

運営主体はJRがなるとしても、いくら国策とはいえ巨額の建設費を民営化された会社に全てを負担させることはできません。このため、建設費をだれが負担するのかから議論する必要がありました。長野新幹線の場合、最終的には経営主体となるJR東日本が建設費の50%を負担し、残りを国と沿線自治体が負担することとなりました。

さらにもう一つの問題として、在来線の扱いが浮上しました。長野新幹線と並行して走る信越本線は、客単価の高い長距離客が新幹線に移行するため、経営状態が極端に悪くなることが予想されました。国鉄であれば、新幹線で得た利益で在来線を維持するという構造も問題ありませんが、JR東日本にしてみれば、国策で建設する新幹線線の建設費を負担する上に、不採算の並行在来線を維持するとなると二重の負担となります。こうなると、JR東日本から建設費の合意が得られなくなる可能性があるため、新幹線の建設費を確保するために在来線を犠牲する形で、並行在来線はJRからの経営分離が定められたのでした。

こうして、整備新幹線開業第一号となった長野新幹線では、並行在来線となった信越本線高崎―長野のうち、軽井沢ー篠ノ井がしなの鉄道へと分離、補機が必要でコストのかかる横川―軽井沢は廃止されることになりました。その一方で、収益の見込まれる高崎―横川や篠ノ井―長野はJRの経営のまま残るという、極めてJRにとって有利な条件で決着しました。

碓氷峠 EF63+189系
EF63と協調運転を行いながら碓氷峠を下る189系『あさま』 横川ー軽井沢11.2㎞に対して、標準的な所要時間は下り24分、上り17分かかっており、機関車解結の時間を含めるとさらに時間が必要だった 設備や人手も多くかかり、新幹線が開業して客単価の高い特急列車がなくって3両程度の普通列車の往来だけになると、とてもコストの面ではあわなくなる 加えてEF63の車齢も35年に達することから、新幹線開業と同時にこの区間は廃止となった Wikipediaより

これが、今日に至るまでの並行在来線の扱いのモデルケースとなることになります。

長野新幹線の開業時にこのような決着を見たこともあり、以降の整備新幹線の建設に当たっては、並行在来線は当然のようにJRからの経営分離、と考えられるようになりました。

JRは建設費は負担しないのに… 並行在来線の範囲もJRの一存

ところが、その後の整備新幹線の建設費については、長野新幹線とは少し事情が異なっています。

長野新幹線ではJR東日本が建設費の50%を負担しましたが、その後建設が予定されている九州新幹線や北海道新幹線ではとてもJR九州やJR北海道が建設費を負担できそうにありませんでした。

JRが建設費負担に合意するのを待っていたのではいつまでたっても着工できない、そう考えた整備新幹線推進派は、計画自体が頓挫することを避けるため、新たな建設費負担の枠組みを作りました。

その結果、整備新幹線の建設費のうち国が2/3、沿線自治体が1/3を負担、JRの負担は線路使用料として沿線自治体に支払う分のみとなりました。つまり、JRに建設費の負担はなくなったのです。

建設費の条件が変わったにもかかわらず、並行在来線の扱いについては、沿線自治体の合意が前提であるもののJRからの経営分離は変わりませんでした。JRにとってはただで新幹線が手に入るうえ不採算路線は切り捨てられてるという、有利この上ない条件を手に入れたわけです。

さらに、並行在来線の定義もあいまいなままで、例えばJR西日本は北陸新幹線大阪延伸時には、湖西線を並行在来線として経営分離する意向を表明しましたが、路線内に同じ駅があるからという理由だけでで並行在来線と呼べるのかは疑問です。一方で、駅間が重複しても、例えば収益の見込める京都ー大阪などは、並行在来線とは見なさない姿勢です。

また、北海道新幹線延伸にあたって廃止となる長万部ー余市も、そもそもすでに優等列車はなく、新幹線が開業しても旅客が移行することは考えられません。単に新幹線開業を口実としたただのローカル線整理とも言えそうです。

並行在来線の経営分離・廃止は、「どうすれば新幹線が建設できるか?」という視点での産物

先に、並行在来線が経営分離または廃止されるのは決まりだから、と述べましたが、ではどうしてそう決まったのか? という問いに対して、ものすごく簡単に答えれば、

「建設で利益を受ける人たちだけが集まって、どうすれば新幹線の建設できるか、ということを第一に考えた結果、在来線を犠牲にしてJRから切り離せばいいんだという結論に達した」からです。利用者にとっては不便になるとか、鉄道網が切り刻まれてその力を発揮できなくなるとか、並行在来線は赤字で未来永劫地元の負担になるとか、そんなことはどうでもよく、どこかに不都合が出たとしても「新幹線を作る」ということだけが目標だったのですから、彼らにとっては在来線などどうでもいい問題なのでしょう。

新幹線は国土や地域の発展に大きな影響を与えるものであることは疑いありません。しかし、新幹線さえあれば良いというものでもないはずです。地域の輸送を大切にしなければ、新幹線が開業してもその地域は成立しなくなるでしょう。

西九州新幹線の未着工区間は、佐賀県が新幹線は費用対効果として合わない、在来線を守りたいとして建設に反対しており、いまだにルートすら決まっていません。佐賀県を悪者として取り上げる記事もありますが、実はそんなことはなく、佐賀県は実にまともな思考回路を持ち合わせているのです。

鉄道は、全国くまなく張り巡らされてこそ、その力が最大限に発揮出るのです。新幹線ができても、鉄道空白地帯が増えるようでは、本末転倒な気がするのですが、さて将来日本の国土はどうなるのでしょうか。

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