7月23日付朝日新聞DIGITALより
国鉄分割民営化が行われたのが1987年、それから32年が経過しています。もともとJR北海道、四国、九州の三社は「三島会社」と呼ばれ、その経営は発足当初から危ぶまれていました
それでも、最初の数年間は好景気に支えられ、その後も国鉄の遺産を頼りにつないできたわけですが、いよいよそれも尽き今社会問題となってきたわけです。
ちなみに今回「維持困難」の基準となっているのは、輸送密度4000人未満という数字です。これは、「1日1㎞平均通過人員」とも呼ばれ、その路線の任意の1㎞の切り出したとき、平均で1日何人の人が通過しているか、という数字です。よく混同されるのですが、その路線の利用者数のことではありません。 国鉄分割民営化の際、赤字ローカル線としてバス転換=廃止の対象を選定する際に使われたのが、この輸送密度4000人という数字でした。それが、32年たってもなお「維持困難」の基準として生きているわけです。
32年前と比べ地方は特に人口減少が顕著となり、道路の整備も格段に進んだ今、地方の鉄道を取り巻く環境は厳しさを増すばかりです。JRの経営問題というと、とかく北海道ばかりが取り上げられがちですが、、四国、九州も根本的には32年前の状況と変わらず、時間の問題といえるでしょう。
そして問題の根幹は、北海道の場合も四国、九州の場合も、それが会社の体質や放漫がすべての原因ではなく、本来は大切な社会のインフラである鉄道を民間だけに任してしまう、そして収支だけでその存続を判断してしまう考え方、そしてこれがその地方だけの問題であると多くの人が考えるところにあるのだと思います。
鉄道は、社会を支えるインフラである道路や電気、ガス、水道、郵便といったものと同列であると思います。赤字だからと言ってこう言ったものを切り捨てるわけにはいきません。もちろん資金は無尽蔵ではありませんから、必要だからと言ってすべてを作ったり維持することもできません。ある程度の選択は必要かと思いますし、優先順位もあるでしょう。
ですが、やはり採算だけを取り上げて、「お金がないから廃止」にはどうしても納得がいかないのです。直接的な収支は赤字でも、鉄道が存在するために地域や日本全体に与える影響は、かなり大きいものと思います。
地方の鉄道を支えているのはいわゆる交通弱者、とくに高校生・中学生などの子供たちではないでしょうか。鉄道が廃線になり、不便を感じるようなところへ、子供たちは将来帰ってきて、子育てをしてくれるでしょうか? 鉄道が廃線となり、高速道路を作って今の大人たちが便利になっても、将来はそれを使う人も地方には残っていない、なんてことにもなりかねません。
そうなっては、日本の国土はますます不均衡となり、大都市圏以外はもはや地元だけは維持できず、結局は大都市圏の皆さんの負担増加ということにもつながります。
今後地元の自治体や住民の方々を交えて存続、廃線の話し合いが加速するものと思いますが、ぜひとも直接的な収支だけでなく、社会的、将来的な影響も考えて判断を下していただきたいと思います。
数回の投稿にもかかわらず少しくらい話題になってしまいました。
三島JRを応援する意味で、駅名標キーホルダーのご紹介です。
新函館北斗駅
博多駅
TOMIX ゆふいんの森