繁忙期の『のぞみ』は全席座席指定へ
JR東海とJR西日本は2023年9月13日、年末年始期間の『のぞみ』を全席指定席として運行することを発表しました。
現在『のぞみ』は16両編成のうち1~3号車が自由席となっていますが、これを指定席とすることで2割程度の指定席の増席となるということです。
当面予定されている期間は2023年12月28日から2024年の1月4日までで、JRによると今後もゴールデンウィークやお盆にも適用されますが、具体的な期間は利用状況や曜日配列などを参考として決定するということです。
なぜ? 『のぞみ』の全席指定化 飛び込み乗車はできなくなる?
JR東海、JR西日本によると、繁忙期には新幹線の自由席に着席乗車するために早朝から列ができるなど駅が混雑し、さらに混雑した自由席車両への乗降に時間がかかるなどして、列車が遅れる原因ともなっていました。これに加え、始発駅で自由席が満員となり、途中の駅からは乗車できないケースが混雑期には発生していました。
また、『のぞみ』の1時間12本化などで終日の輸送力は輸送量を上回っているにも拘らず、特に午前中など一部の列車に集中する現象が起きていたため、輸送量の均等化などの意味合いも含めて全席指定化に踏み切ったということです。
『ひかり』『こだま』には繁忙期間も引き続き自由席が連結されます。このため『のぞみ』指定席化には、『のぞみ』に比べて乗車効率の低い『ひかり』『こだま』への乗客誘導の目的もあるかもしれません。九州新幹線へ直通する『みずほ』『さくら』は、全席指定席化の対象外となります。
なお、一部では「飛び込み乗車ができる新幹線の気軽さが失われる」「『ひかり』『こだま』が混雑する」という意見が見られますが、『のぞみ』に対しては自由席特急券のいわゆる「立席特急券」としての使用が認められるため、指定席券がない場合でも飛び込み乗車は可能となっています。一方で、JRは「『ひかり』『こだま』混雑時には、『のぞみ』の立席へ案内する」ともしており、『のぞみ』が完全に混雑から解放されるわけではなさそうです。
かつては全席指定が当たり前だった新幹線・特急列車
実は、かつての国鉄では特急列車は「全席指定」が原則で、東海道新幹線開業時には『ひかり』『こだま』も当然自由席はありませんでした。
また、在来線の特急列車も同じで、東海道新幹線が開業した1964年10月改正で運行されていた特急列車は全て座席指定制でした。このため、営業規則にも特急列車で指定席、自由席を区分する制度はなく、特急料金には当然のこととして指定席料金が含まれるものとされていました。
この頃は、現在のように全国がネットワークされたオンライン発行のシステムもなく、窓口で指定席券を買おうとしても、窓口から管理センターへ電話で問い合わせ、管理センターで台帳へ手書きで書き込み、さらにその返答を受けて窓口で手書きの指定席券を発行するという手間が必要でした。それまでは対象となる指定席の数も少なく、これで間に合っていましたが、東海道新幹線の開業で一気に対象列車、販売数が増加し、このような手作業ではまったく間に合わなくなり、新幹線の切符を買うまでに1時間以上もかかる有様でした。
そこで国鉄では、オンラインによる指定席発券制度の拡充を急ぐとともに(現在のマルスシステムの原型は既に稼働していましたが、東海道新幹線の指定席がオンライン化されるのはこの翌年のことでした)、急場の処置として切符販売の簡略化を目的とし、1964年から1965年の年末年始にかけて『こだま』に自由席を設けることとなり、国鉄史上初めて「特急列車の自由席」が誕生しました。
当初は年末年始だけの特例として存在していましたが、1965年3月より『こだま』には基本的に自由席が連結されるようになり、さらに1966年3月からは在来線の特急列車の一部にも自由席が連結されるようになりました。なお、『こだま』への自由席設置に合わせ、全席指定だった『ひかり』にも立席特急券が設定されています。
自由席特急料金については、本来は応急的な処置であったため、営業規則の大きな見直しは避けて「(指定券代が含まれた)特急料金から指定席券相当額を引いたもの」として運用されることとなりました。この応急処置がそのまま定着したため、急行列車の指定席が「乗車券+急行券+指定席券」で構成されるのに対し、自由席特急料金が「指定席特急料金から割り引く」というシステムになっている理由となっています。
では、なぜ国鉄の特急列車には自由席がなかったのでしょうか?
それは、特急列車が「特別急行」の文字通り「特別」な存在だったからです。
東海道新幹線開業前に行われた1961年(昭和36年)10月改正、いわゆるサンロクトオ改正までは、日本全国を走っていた定期特急列車は9往復だけで、しかもそのうち8往復が東海道・山陽本線系統となっており、特急列車はその存在自体が希少なものでした。サンロクトオ改正では、定期特急列車が13往復追加され、日本全国に特急列車網が拡充された大きな改正でしたが、依然として全国で急行列車が200本以上、準急列車が400本以上設定され、長距離から短距離まで輸送の主力はこれらの列車でした。
このため、乗客は予算や目的に応じ、定員乗車で余裕のある特急か、あるいは混雑を覚悟してでも安い急行を利用するか、選択することができました。
また、東海道新幹線開業前後の東京―大阪で比較した場合、急行料金300円(指定席は100円追加)に対して特急料金は800円と高額で、急行利用が当然だった当時の庶民感覚では、気軽に利用できる存在ではありませんでした。なお、当時の東京―大阪の運賃は1,180円、『ひかり』2等車(現在の普通車)の場合はこれに特急料金1,300円を加えた2,480円となり、1等車(現在のグリーン車)ともなると5,400円というもので、当時の人からはさぞ高額に映った筈ですが、連日満員御礼に近い状態ということは、時間短縮効果のインパクトがそれだけ強烈だったということでしょう。
新幹線や特急列車に自由席が連結されるようになったわけ
すでに述べたように、切符販売のシステム上という運行者側の都合で自由席が連結されるようになった特急列車でしたが、1970年代以降は次第に自由席を連結することが多くなっていきます。
1972年(昭和47年)改正で、山陽新幹線が岡山まで開業。この時に新大阪ー岡山には原則『こだま』は設定されず、代わって緩行タイプの『ひかり』が『こだま』の役割を担うこととなったため、『ひかり』にも自由席が設置されることとなりました。併せて『ひかり』の立席特急券も廃止となっています。
在来線でも、当時の国鉄の財政難は深刻となっており、何とか増収を図りたい思いから急行列車の特急への格上げが行われるようになります。路線によっては急行列車の乗車機会が大きく減ってしまうため、救済措置として特急列車にも自由席が連結される例が目立つようになりました。
こうして大人の事情により特急列車にも自由席が連結され、気軽に乗車できるようになった反面、本数の増加も手伝って特急列車は次第に「特別な存在」ではなくなっていきました。これにより、差別化が困難になった急行列車は急速に削減が進み、いつしか特急列車しか存在しないという奇妙な状態になってしまいました。
そして2023年現在、繁忙期の『のぞみ』だけとはいえ再び全席指定化が行われることになりました。かつては廉価で様々なニーズに応えた急行列車網が存在していたからこそ、全席指定の特急の存在を求める利用者もあったでしょう。
しかし、今回の措置は旅客の要望というわけでもなく、かといって選択や代替手段が提供されるわけでもありません。またしても運行側の大人の事情による制度変更となるようです。