TOMIXから、0系1000番台の製品化がアナウンスされています。
新幹線0系と言うと、その形を見れば日本人なら知らない人はいないでしょう。1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業と同時にデビューした、初代新幹線です。
1000番台は、そのうち1976年(昭和51年)から製造されたグループで、同じ0系ながらマイナーチェンジが行われたため、番台区分されました。
0系は、1986年(昭和61年)までの間に38次に渡って製造され、1000番台の投入により0系による0系の置き換えも始まりました。それも編成単位だけでなく、車両単位での置き換えも行われ、同じ編成で新旧車両が混在することになりました。さらに、用途に合わせ沢山の改造車の出現し、その全貌は次第に複雑なものになってしまいました。製造総数は3216両に上ります。
新幹線に食堂車が組み込まれたのは意外と遅く、1975年(昭和50年)の博多開業時でした。在来線より一回り大きな車体を生かし、食堂スペースとは別に通路を設けたことにより、食事客と通り抜け客の分離が図られました。
これほど長い期間製造が続いたのは、当時の国鉄内部の事情でした。新幹線が開業した1964年(昭和39年)以降、国鉄は赤字経営に陥り、その額は年々膨らんでいきました。また、1970年(昭和45年)ごろからは労使関係が極度に悪化、現場の労働者の立場が相対的に強くなり、新しいことを覚えなければならない新車や新システムの導入、職員数削減につながる効率化が全く進まなくなりました。その結果、新幹線も開業時のシステムをそのまま使わざるを得なくなり、これが0系の長期生産につながったのです。
ところで、この0系、当時の技術の粋を集めて作られたようなイメージですが、実はそうではありません。
東海道新幹線は、東京オリンピックに間に合うよう、着工から5年で完成させなければなりませんでした。200km/hを超える鉄道での営業運転は世界にも前例がなく、まったくの手探りでした。そこで、未知の技術はできるだけ避け、すでに確立している技術のうち最も信頼度の高いものを拡大して利用する、という方針がとられたのです。
こうして生産された0系ですが、開業前日に20か所のトラブルがあったのは有名な話です。
初めての高速鉄道車両ということもあり、0系は随所に余裕を持たせた設計であったといわれ、このおかげで長期生産にも耐えることができ、結果として基本設計の優秀さをアピールすることにもなりました。
すでに引退してから11年が経過しましたが、新幹線の歴史に輝く名車であることは間違いありませんね。
TOMIXからは、2020年1月の販売が予告されています。
増結セットで、16両フル編成が再現できます。