世界最長の鉄道トンネル、スイスのゴッタルドベーストンネル内で貨物列車の脱線事故
2023年8月10日午後(日本時間8月11日夜)、アルプス山脈を貫くスイスのゴッタルドベーストンネル内で貨物列車の脱線事故が発生しました。
現地の報道などによると、脱線したのはイタリアからスイスを経由しドイツ、フランスなどへ向かっていた32両編成の貨物列車で、事故はトンネルの南側入り口から約15㎞の地点で発生しました。32両のうち16両が脱線し、報道写真からは横倒しになり、トンネル内壁に接触してかろうじて転覆を防いでいる様子がうかがえます。また、積み荷のワインが散乱し、一時は線路がワイン浸しになる被害が出た模様で、スイス連邦鉄道SBBの公式ページには、脱線した車両とともに積み荷と思われる瓶が散乱している様子が掲載されています。なお、負傷者はありませんでした。
ゴッタルドベーストンネル内の貨物列車脱線事故 その原因は? 復旧はいつ?
事故原因として有力視されているのが、車軸の破損です。
報道などによると、トンネル侵入前にすれ違った列車の対向列車の運転士が、該当列車の一部の車両から火花が出ていることを確認。停車して調べたところ、ブレーキが解除されないまま走行していたことが分かり、これを手動で解除したうえで運行を再開しました。
しかし、トンネル入り口から7~8㎞の地点において、100㎞/hで走行中に貨車の車軸が破損、列車はそのまま8㎞ほど枕木や線路に損傷を与えながら走行したものと見られれています。そして事故現場にある連絡線の分岐器で列車が分離され、後続車両は連絡線に転線してその先にある東西トンネルの隔壁を破壊しました。
ゴッタルドベーストンネルは、上下線それぞれが東西に分かれた別のトンネルとなっていますが、およそ300mおきに上下線の渡り線があり、脱線した車両が渡り線とそれに続く上下線を隔てる安全扉を損傷させたため、両方向とも使用不能となりました。その後、損傷の少なかった東側のトンネルを使用し、8月22日に運行を再開。現在は1日100本程度の貨物列車が交互通行を行っているということです。ただし、旅客列車については、非常事態に片側のトンネルを避難経路として使用することが決められていることから、片側交互通行では運行できないため、旧線への迂回が行われています(スイス連邦鉄道の発表によれば、片側交互通行で旅客列車が運行可能かどうかの調査を行っているということです)。
2023年9月末現在、事故から1ヶ月以上をかけてようやく事故車両の撤去が終了し、トンネルの復旧作業が始まっているようですが、当局によればレール8㎞と枕木2万本の交換が必要となっており、復旧のめどは全く立っておらず、今後数カ月にわたって西側トンネルは使用不能な状態が続くとみられ、トンネル容量を超える貨物列車と旅客列車は旧線への迂回が続くものと思われます。
一部の報道では、旅客列車の運行再開は2024年以降になるとの情報が伝えられています。
ただし、旧線はループ線が連続する山岳路線で、所要時間は1時間ほど余計にかかっているということです。また、2階建て車両の運行ができないため、逐次増発は行われている模様ですが輸送能力はかなり落ちており、スイス連邦鉄道では事前の切符の入手を勧めている模様です。
この旧線は現在ではパノラマルートとも呼ばれ、新トンネル完成後は主要幹線ではなくなりましたが、観光路線として活用するほか、こうした有事の際のバイパスとして残されていたことが幸いしたようです。どこかの国では、新幹線ができるとすぐに在来線は切り捨てようとします(正確には、新幹線を作るために在来線を切り捨てるわけですが)が、全国レベル(陸続きのヨーロッパの場合は国際レベル)考えた場合、一つの交通機関がだめになった場合に備えてバックアップは欠かせません。
ゴッタルドベーストンネルとは? 全長57㎞、世界最長のアルプス縦断トンネル
ゴッタルドベーストンネルは、アルプス山脈を南北に貫く新たな高速鉄道のトンネルを建設する「アルプトランジット計画」に基づき、1993年に着工され、23年の歳月を経て2016年に開業した鉄道トンネルです。
このトンネルの位置するゴッタルド峠は、東西に延びるアルプス山脈を南北に横断する交通路として、少なくとも13世紀ごろからその存在が知られるようになりました。しかし、標高2000mを超える断崖絶壁の続く難所で馬車の通行はできず、通れるのは人間とそれに従う家畜のみ。雪解け水が増える春から初夏にかけてを中心に、遭難事故も絶えなかったようです。
ようやく馬車の通行が可能となったのは18世紀で、19世紀末の1881年には全長15㎞のゴッタルド鉄道トンネルが10年の歳月と200人以上の犠牲者を出して完成、翌1882年には鉄道による安定的な運行が始まりました。それでも、トンネルの入り口自体が標高1,000m以上にあり、その前後はいくつものループ橋で険しい山越えを強いられていました。1980年には、総延長16.7㎞のゴッタルド道路トンネルが運用を開始、これによりヨーロッパではドイツ・フランスースイス―イタリアを結ぶ高速道路網が完成しました。
このように高速道路網は整備された一方、周辺をドイツ・フランス・イタリアという主要国に挟まれたスイスでは、EUの結びつきの強化にともなってこれらの国を行き来するいわゆる「通過交通」が増加し、スイス国内では「スイスには排気ガス以外もたらさない」として大きな問題に発展しました。
そこでスイスは、EU諸国へトラック通過量の制限を提案しましたが、これは周辺国の反対にあい実現しませんでした。そのため、スイスでは自国内を通過するだけの貨物自動車に対して税金を課すとともに、長大トンネルの建設によって鉄道線路を再編し、通過貨物を鉄道へと転換することを提案しました。これは周辺国の同意を得ることができたため、アルプス山脈を通過するために険しい山越えとなっている路線に対し、現在の路線やトンネルのさらに低い位置に新たにトンネルを掘ることとなり、そのうちの一つがゴッタルド峠を超えるためのゴッタルドベーストンネルでした。
同時にスイス政府は、新たなアルプス山脈を越える道路建設を中止し、鉄道輸送へ切り替える法律も制定、その実現のために長大鉄道トンネルの建設プロジェクトが実行されることとなり、「アルプトランジット計画」と呼ばれています。
当初は国内1ルートが選定される予定でしたが、ゴッタルドルートとレッチェベルクルートの2ルートが整備されることとなり、まず2007年に全長34.6㎞のレッチェベルクベーストンネルが完成。こちらは旧線よりも400m低い場所でアルプス山脈を貫くトンネルとなりましたが、予算の都合上2/3の区間が単線区間で、開業後すぐに線路容量が限界に達してしまいました。全プロジェクトが完成して計画通りの輸送力を発揮するためには、さらに10億スイスフラン(1フラン=150円として1500億円)の追加費用がかかるとされ、2028年度の完成を目指しているということです。
ゴッタルドベーストンネルは、すでに述べた通り2023年9月現在世界最長の鉄道トンネルとなっており、その構造は東西2本のトンネルで構成され、トンネル内の最高速度は250㎞/h、スイス連邦鉄道によれば、2023年8月現在、ゴッタルドベーストンネルは1日当たり260本の貨物列車と65本の旅客列車が運行可能で、ヨーロッパを南北につなぐ主要幹線の一つとなっています。なお、実際の運行本数は2017年のデータによれば1日130~160本程度で、このうち2/3が貨物列車ということです。
また、東西のトンネルはそれぞれが独立した単線構造となっており(日本でいう単線並列、狭義では双単線ともいう)、さらに325mおきに連絡線が設けられ、いざというときには片側のトンネルを利用して単線運行が可能な設計となっています。
ヨーロッパの高速鉄道では、工事や不具合で片方の線路が使えなくなった場合に備えて双単線構造にしておくことが一般的で、今回の事故でもこの構造のおかげで最短で復旧させることができたといえます。一方、日本では過密ダイヤを理由として単線並列の採用例はほとんどなく、旧線をバックアップとして残しておいた点も踏まえると、交通機関を止めてはいけないインフラとして認識していることがうかがえます。
トンネルの完成により、それまで3時間30分かかっていたチューリッヒ(スイス)―ミラノ(イタリア)は、チェネリベーストンネルの完成と合わせて2時間40分程度となるはずでしたが、低速の貨物列車と高速の旅客列車が混在することからその性能を最大に発揮することはできず、2021年現在3時間程度の所要時間となっています。
また、貨物列車も旧線の最大1400tに対し、4000t級の列車の運行が可能となったほか、旧線上に存在した急勾配でのブレーキによる損失などを含めると、30%以上のエネルギー節約になっているとしています。