日田彦山線BRT予定区間が大雨で被災 8月28日開業は大丈夫?

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日田彦山線BRT予定区間が被災 8月28日開業は大丈夫?

2023年7月9日から続いた大雨の影響で、2017年から不通となり、BRTとして開業準備が進めらていた日田彦山線のBRT区間、通称「ひこぼしライン」の道路が損傷したことが分かりました。

報道によると、大きな被害を受けたのは筑前岩屋駅から南へ500mの個所で、画像からは専用道路ののり面が大きく崩れ、路面の一部やガードレールが宙づりになっている様子が確認できます。

また、崩落した土砂が斜面下の民家に迫り、土砂の一部が敷地内へ流入している模様です。

また、この他の区間でも、道路への土砂流入や倒木が確認されている模様の他、日田彦山線のハイライトでもあった粟木野橋梁付近でも、土砂崩れが確認されているということです。

日田彦山線は2017年のいわゆる九州北部豪雨により大きな被害を受け、添田―夜明は鉄道による復旧を断念。2023年8月28日に災害以来6年ぶりにBRTとして運転を再開する予定でした。

JR九州によると、2023年7月13日現在復旧日時に関する情報はなく、予定通り開業できるか調査中としています。

貨物輸送で始まった日田彦山線 成り立ちは複雑

日田彦山線は、日豊本線に接続する城野駅から久大本線と接続する夜明駅までを結ぶ、68.7kmの路線です。なお、実際の列車の運行は、日豊本線に乗り入れて小倉駅を起点とし、また2017年の大雨による被災前は夜明駅から久大本線の日田駅まで直通していました。

もともとは沿線で産出される石炭や石灰石輸送のために作られた路線で、路線の成り立ちもかなり複雑なものとなっています。日田彦山線のうち最も古い区間は現在の田川伊田ー田川後藤寺に当たる区間で、その開業は1896年(明治29年)、当時の豊洲鉄道の手によって、後の田川線(現在の平成筑豊鉄道田川線)の延長として開業したものでした。田川線の起点であった行橋駅は、この前年に小倉―行橋が開業しており、早い開業が資源輸送路線としていかに重要視されていたかが分かります。1903年(明治36年)には、添田駅まで達しました。

田川後藤寺駅
田川後藤寺駅の構内 ローカル線には広すぎる構内が、かつての賑わいを物語る Wikipeida(田川後藤寺駅)より @PekePON

城野ー添田が開業するのは大正時代に入ってからで、1925年(大正4年)までに小倉鉄道の手によって鹿児島本線と接続する東小倉を起点に東小倉ー香春ー上添田(現在の添田)が開業、さらに1942年(昭和17年)に彦山までが開業しました。ただし、日豊本線城野駅へ乗り入れるのは、戦後の1956年(昭和31年)のことで、東小倉へと向かう路線は、貨物線となったのち1962年(昭和37年)に廃止となっています。

夜明駅側からは、1937年(昭和12年)に夜明ー宝珠山が彦山線として開業、1957年には最後の未開通区間となっていた彦山―大行司が開業し、東小倉ー香春ー大任ー添田ー夜明が日田線として全通しましたが、この時点では後の添田線のルートとなっており、田川伊田―添田は田川線と区別されていました。1960年(昭和35年)に香春ー田川伊田の連絡線が完成したことにより、田川線の一部を編入して日田彦山線へと改編し、従来の日田線は添田線として分離されることとなりました。

全通後は、準急(後に急行)となる『はんだ』『日田』や、山陰本線まで直通する『あきよし』など優等列車も設定され、また沿線の石炭や石灰石輸送も好調で多数の貨物列車が行きかう主要路線の一つでしたが、相次ぐ鉱山の閉山により貨物列車は縮小し、国鉄時代にほとんどが廃止。それにつれて沿線人口も減少し、1980年(昭和55年)改正では優等列車もなくなりました。

さらに、添田線は特定地方交通線として廃止となり、周辺を走っていた伊田線、糸田線、田川線も平成筑豊鉄道へと転換され、最後まで残った貨物列車も1997年改正で廃止、以降は純然たるローカル線となっていました。

大雨で被災の日田彦山線 地元合意が得られずバス転換へ

2017年7月のいわゆる九州北部豪雨は、日田彦山線沿線に大きな爪痕を残し、特に添田―夜明は鉄橋や駅舎流出、トンネルへの土砂流入など60か所以上が被災しました。しかし、この区間は輸送密度が299人と、日田彦山線の中でも極めて利用の少ない区間で、JR九州は鉄道として復旧する場合、施設を沿線自治体が所有・維持し、JR九州は運行に専念する上下分離式での運行を求めることとなりました。

しかし、上下分離式を導入した場合、沿線自治体の負担額は年間1億6000万円余りとなり、これに沿線自治体が反発。このため、復旧計画は進まず長期間にわたって不通が続く原因ともなりました。

結局、JR九州は沿線から負担合意が得られないことを「廃線へ合意した」とみなし、2019年にはBRT方式によるバス転換を提案、2020年までに沿線自治体の合意を得られたことから、添田―夜明はバスによる復旧を目指すこととなり、2023年8月28日に被災から実に6年ぶりの再会が予定されていました。

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