JTB時刻表2020/8月号 終戦直前1945年発行「たった1枚」の時刻表が特典として付属

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JTB時刻表8月号 終戦直前 1945年7月発行の時刻表が付録

7月20日、JTBから時刻表8月号が発売となりました。今回号は、付録として1945年7月改正の時刻表が付属しています。翌月に終戦を控え、戦争末期とも呼べる時期にあたります。

戦争が始まると、戦時輸送のため貨物列車が優先され、さらに長期化に伴って次第に国力をすり減らしてゆく日本国内では、特急列車の廃止、急行列車の削減、寝台車や食堂車の休止、所要時間の増加など、鉄道でもサービスの低下が相次ぎました。特に1944年(昭和19年)末以降、日本各地への空襲が本格化すると、日々の運行も不安定になっていきます。鉄道施設は空襲の標的にもなり、施設や車両の被災も増えてゆきました。潜水艦の待ち伏せを避けるため、青函連絡船などの航路時刻は、時刻表から記載が消されました。

さらに物資不足も深刻となり、時刻表の発行も困難となります。このため、1945年(昭和20年)7月発行の時刻表は、全国の主要幹線のみを1枚にまとめた簡素なものとなりました。

戦前「最悪」だった1945年6月改正

とはいっても、すでに国民が自由に旅行できる時代ではなく、軍人が帰郷したり、その逆に家族が面会に訪れたり、あるいは故郷の家族に不幸があった場合など、国民が鉄道で長距離を移動する機会というのは限られたものであったと考えられます。従って、全国規模の時刻表がたったの1枚になっても、それほど国民生活に大きな影響を与えるものではなかったのでしょう。

この直前に行われた6月10日のダイヤ改正では、ただでさえ削減されていた旅客列車がさらに削減され、その列車設定キロは26万㎞と、1942年(昭和17年)の6割程度まで落ち込み、この状態で終戦を迎えることになります。

終戦時、国鉄は路線長のうち5%に当たる1,600㎞の路線が被害を受け、機関車の14%、客車の19%、電車の25%、貨車の8%が戦災により使用できない状態でした。また、車両工場の55%、鉄道連絡船の65%が被災していましたが、資材不足による故障、整備不良は膨大な数に及んでいました。旧運輸省がまとめたいわゆる「国鉄白書」によれば、

………思えば、戦時中は随分無理をした。車両の検査期限を延長して修理能力の不足を補い、又貨車には無理な増積をして、これを酷使した。比較的閑散な線のレールをはがして、幹線の線路を増強した。

(略)

国鉄は全くヘトヘトになって終戦を迎えたのである。

国有鉄道実相報告書(国鉄白書)

と記されています。さらに白書では、

しかし、終戦によって国鉄の使命は終わったのではなかった。一般産業は仮死状態に入り、………停止してしまったのであるが、国民の足といわれ、国民の動脈といわれている国鉄は、一瞬たりとも休止することを許されなかった。敗戦という未曾有の事態に逢着して国民均しく呆然たる中に国鉄従事員は、一時の休息をも与えられず疲れ切った車両や施設にむちうち、新しい使命を以って再出発しなければならなかったのである。

国有鉄道実相報告書(国鉄白書)

とあり、資材不足の中、戦後復興の原動力として、国鉄が素早く立ち上がろうとした姿も記されており、今回の付録時刻表は、そうした大きな歴史の中の1場面として、後世に当時の鉄道の姿を伝える大切な資料とも言えそうです。

なお蛇足ながら、国鉄の旅客輸送力が最悪に落ち込んだのは戦時中ではなく、実は戦後でした。戦前・戦中に徴用されていた朝鮮人・中国人の炭鉱労働者の多くが終戦とともに帰国してしまったため、日本国内は極端な石炭不足となりました。さらに数少ない石炭を、産業を限定し優先して確保したため、蒸気機関車用の石炭は極度に不足してしまいます。このため、1947年(昭和22年)の改正では大規模な列車削減が行われ、列車キロは15万kmと、終戦時のさらに6割以下に落ち込み、「日本の鉄道史上最悪の事態」といわれるまでの状況となりました。この影響は甚大で、輸送手段の不足から社会全体がたちまち滞るようになったため、鉄道は優先産業として石炭の供給を受けることとなりました。このため、4月以降は運転状況が好転し、以降は急速に復興が進むことになります。

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