現金は鉄道で運ばれていた? 幻と言われた現金輸送車マニ30の存在を日銀がつぶやく
日本銀行のtwitter上で紹介された、現金輸送車マニ30形が、SNSなどで話題になっています。
マニ30形は、日本銀行が印刷した紙幣を全国各地の日本銀行支店に届けたり、役目を終えた紙幣を日本銀行本店に回収したりするため、日本銀行所有の現金輸送車として製造された車両です。かつては道路事情も悪く、確実にそして迅速に全国各地へ輸送する手段は鉄道しかなかったため、長い間現金輸送は鉄道によって行われてきました。
1993年より自動車による現金輸送が始まり、鉄道による輸送は2003年で終了、用途を失ったマニ30形は全車両が廃車となりました。このうちラストナンバーのマニ30-2012が、その貴重さから小樽市総合博物館で展示されています。
現役時代はその特殊性から、運行ダイヤや車両の構造については当然のこと、その車両の存在も隠される時期もあり、国鉄やJRが作成する在籍車両一覧にも掲載されていないことや、趣味誌でも取り扱いがタブーとなっていたことから、幻の車両とまで言われていました。
しかし、日本銀行が公開した「おうちでにちぎん(オンライン本店見学)」の中で、「現金輸送車(マニ車)の模型」として紹介されている他、2021年11月には日本銀行のtwitter上で「現金輸送車の歴史」が投稿され、長い沈黙を破って日本銀行が正式に現金輸送方法について公開した、と話題になっています。
マニ30形とはどんな車両? 特殊な外観と車内設備
マニ30形は、国鉄が製造し日本銀行が所有した現金輸送車両で、2001~2012までの12両が存在していました。
戦前製のオハ35系をベースに、1949年に製造されたマニ34から改番されたグループと、それらの老朽化に伴い50系客車をベースに1978年から製造されたグループの2つが存在し、車体番号は前者が2001~2006、後者が2007~2012となっています。
日本銀行が発行した紙幣の鉄道輸送は戦前から行われてきましたが、この際使用されていたのは普通の貨車で、その他の荷物と同様に輸送されていました。
しかし、終戦後到来した激しいインフレーションにより貨幣の発行量は急増し、それに伴い紙幣輸送量も増加。さらに治安の悪化で輸送中の警備体制も見直しを迫られることとなりました。このため、1948年に日本銀行から運輸省に対し、現金輸送車の設計依頼が行われます。当時の日本は占領下にあったため、車体の新造にはGHQの許可が必要で、さらに資材不足のためGHQへ資材優先供給の斡旋もあわせて申請されました。
1度は保留となったものの、GHQの承認を取り付けたことから、1949年に現金輸送車としてマニ34の6両が製造されました。
車内は中央に警備員添乗室を挟んで両側に荷室があり、片方の車端部に車掌室が設けられています。荷室に窓は一切なく、車掌室のない妻面は尾灯以外何も無いという特殊な構造です。警備員添乗室の窓は、銃器を使った襲撃に備えて厚さ18mmの防弾ガラスがはめ込まれていました。
また、職員は一度乗務すると列車を離れることが出来ないため、トイレはもちろん寝台設備(2001~2006は、後にリクライニングシートに変更)や簡易キッチン、テーブルを備えた休憩スペースも設けられていました。
マニ30 運行ダイヤは? 意外にも通常の列車に連結されて運転
マニ30の運行スケジュールは当然ながら秘密とされ、国鉄職員でもそれを知るものは少数であったといわれています。また添乗する日本銀行の職員や警備の鉄道公安官(現在の鉄道警察隊)にも、直前までその任務が知らされなかったということです。
しかし、いざ運転という段階になると、意外にも通常の旅客列車に連結され、主に急行列車として運転されるケースがほとんどでした。また、場合によっては荷物列車や貨物列車、あるいは普通列車に連結されるケースもあったようです。
運転に際しては基本的に機関車の次位に連結され、定期列車に連結することができない時は、臨時の貨物列車として運行される場合もありました。
高速化に対応できず 現金輸送で終了マニ30も廃車に 小樽市で1両が保存
国鉄末期以降は、客車列車や荷物列車の減少により、連結される列車は次第に貨物列車のみに集約されるようになりますが、最高速度が95㎞/hと高速化に対応できないことから、1992年より順次自動車輸送に切り替えられることになり、2003年に鉄道による現金輸送は終了しました。
これにより用途を失ったことから、2004年に廃車となりました。
その際、ラストナンバーであるマニ30-2012が、鉄道輸送史を語る貴重な歴史資料として小樽市で保存されることとなり、小樽市総合博物館で展示されています。