数少ないジョイフルトレインの生き残り『サロンカーなにわ』 2019年11月は山陽本線・四国ツアーで運転 

JR西日本の所有する14系『 サロンカーなにわ』が、11月に下記の日程で運転されます。

 

11月2日 大阪駅7:45頃 → 下関駅19:00頃

11月3日 下関駅6:20頃 → 大阪駅18:30頃

 

11月23日 大阪駅7:00頃 → 高松駅14:00頃

11月24日 高松駅16:20頃 → 大阪駅21:45頃

 

いずれも旅行会社のツアーとして催行されるもので、前者が日本旅行、後者が小田急トラベルが主催します。

お申し込み、ご旅行条件などは、各社のサイトなどでご確認下さい。

ジョイフルトレインの先駆けだった『サロンカーなにわ』

JRW Salon Car Naniwa

JR西日本 サロンカーなにわ
Wikipediaより ©Rsa

この『サロンカーなにわ』は、いわゆるジョイフルトレインの先駆け的存在で、国鉄末期の1983年(昭和58年)に登場しました。

当時団体旅行列車と言えばいわゆるお座敷列車でしたが、団体専用列車の需要は高く、必要数が不足している上に車両の老朽化が進んでいたことから、車両を増備することになりました。その際、若者の需要を取り込むことを想定し、今までの和風お座敷列車とは一線を画した車両を登場させることになりました。

国鉄の財政は極めて厳しく、機関車さえ交換すれば走行線区を選ばないこと、機関車、客車とも大量に余剰車が発生しつつあったという理由から、14系からの改造車で賄われました。

まず東京向けに『サロンエクスプレス東京』がデビュー、続いて大阪向けに『サロンカーなにわ』が登場、当初の予想通り投入当初から大きな反響を呼び、「ジョイフルトレイン」という新しい言葉を世間に定着させ、日本各地に類似の列車が多数登場しました。

ジョイフルトレインの全盛期

特に1980年代後半~1990年代前半は、日本全体が好景気だったこともあり、多くの大口団体客需要に支えられ、日本各地で同じようなコンセプトの列車が登場しました。当初は余剰車の客車が中心でしたが、地方線区では大都市ほどではない小口の需要に合わせ、急行型のキハ58を改造した短編成ものや、都市部では過密ダイヤに合わせるため同じく急行型の165系を改造したものもありました。国鉄末期には急行列車が大削減されたことから、余剰となっていた急行型車両の第二の働き場所ともなりました。また、わずかながら新製されたものもありました。

Salonexpresstokyo

サロンエクスプレス東京
Wikipediaより ©spaceaero2
JRwest14Asuka

あすか
Wikipediaより ©Rsa
Ef65 105 euroliner

ユーロライナー
Wikipediaより ©spaceaero2
Seychelle JRWest

セイシェル
Wikipediaより ©Atsasebo

大阪近辺でも、この『サロンカーなにわ』の他、宮原所属の『あすか』(12系+14系)、和歌山の『いきいきサロンきのくに』(12系)といったジョイフルトレインが存在し、周辺地域では福知山に『セイシェル』(キハ58)、岡山に『ゆうゆうサロン岡山』(12系)、『スーパーサルーンゆめじ』(211系+213系)、広島に『旅路』(12系)『ホリデーパル』(20系)『リゾートサルーン・フェスタ』(キハ58)などがあり、90年代半ごろまでは稼働率も高く、1日に複数の列車を見かけたり撮影できたりすることもしばしばでした。

はるばる中京圏、関東圏、九州から関西まで遠征してくる列車も時折あり、まさにジョイフルトレインの全盛期であったといえるでしょう。

 

JNR EC485 UTAGE inside

JR東日本のお座敷列車「宴」の車内
Wikipediaより ©UE-PON2600

これらの列車はほぼ全車両がグリーン車で、車内はリクライニングシートか畳となっているものが多く、車両によっては展望車やサロンカー、カラオケなどのサービスを連結しているものもあり、団体客の利用に特化した設備が特徴でした。ただし、『サロンエクスプレス東京』『ユーロライナー』のように、4~6人程度の個室が中心の列車(登場時)もあり、編成内容は多種多様でした。

旅行形態の変化とジョイフルトレインの衰退

1990年代後半以降、旅行のスタイルが大きく変わります。

大規模な団体旅行は大幅に減少する一方、個人や小グループでの旅行が大きく増え、小回りの利くバスやマイカー旅行に人気が集まると、ジョイフルトレインの稼働率は目に見えて下がりました。また、多くが在来車の改造であったことから、この時点で車齢30年~40年に達する車両も多く、ちょうど老朽化も重なって廃車が進められていくようになります。地方幹線でも国鉄時代に比べ列車の増発が進み、不定期列車の割り込む余地も少なくなって定期列車への利用を促進する形で、1994年にはJR九州で団体専用列車が全廃、これにJR東海も続き、JR西日本でも『サロンカーなにわ』以外はすべて姿を消しました。

一方で2000代以降は、ご当地列車ともいうべき観光列車が数多く登場し、かつてのジョイフルトレインとは趣を変えながらも「のってたのしい列車」(JR東日本)、「D&S列車」(JR九州)などという新しい名称を与えられた「乗ることを楽しみにする」列車は増加傾向にあり、ジョイフルトレインの遺伝子はしっかりと受け継がれているといえるでしょう。

2019年現在も現役の『サロンカーなにわ』

C57 C56 SLYamaguchi DX

C57、C56の重連によるSLやまぐちDX号

Wikipediaより ©kazusan
JRW Salon Car Naniwa in Bantan Line

通常は7両ですが、減車されて使用される場合も
Wikipediaより ©Mitsuki-2368

さて、こうしてJR西日本にただ一つ残された『サロンカーなにわ』は、団体列車や多客時の臨時列車としてかつてのジョイフルトレインの使われ方そのままに使用されてきました。特筆すべきものとしては、たびたびお召列車として使用されていることで、このため展望車は防弾ガラス、トイレをはじめお召列車の利用を想定した改造工事がなされています。

これとは別に、1994年と2011年にリニューアル工事も受けています。

しかし、種車である14系のうち、『サロンカーなにわ』として残存しているものは1973~1974年(昭和48~49年)製で、すでに車齢が45年を超えています。臨時列車専用で走行距離が短いとはいえ、そろそろ寿命を迎えたとしても不思議はありません。数少ないジョイフルトレインとして、客車列車として、そして国鉄車両として末永い活躍を祈りたいものです。

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